五、「教会とわたしたち」(387) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その26)
⒖.マルクス・レグルスは、宗教的信仰のゆえに喜んで捕囚に堪えた人々の偉大な範例である。しかし彼の異教的信仰は、彼からその益を奪い取ってしまった。
このような勇気はまさしく賞賛に値する。これが示されたのが、恐るべき状況の下に(前回はここまで)おいてであっただけに、その勇気はいっそう偉大である。彼は神々によって誓った。そしてその神々への礼拝を怠ったことが、人類に降り
かかったこれらの災難の原因だとわたしたちの敵は言い立てている。これらの神々への礼拝は、実はこの世での繁栄をかち取ることを望んでであった。しかし、神々がその立てた誓いに忠実であった者にすら、このような苦難が降りかかる
ことを意に介しなかったとすれば、偽りの誓いを立てる者に対して怒りを発する場合には、どのような重い刑罰を加えることであろうか。
少なくともレグルスの実例は、神々の礼拝者に対し、この世の幸福を手に入れる助けにはならないことを示している。深く神々に帰依して仕えた者が、鎖につながれて連れ去られたのである。そして彼が神々によって立てた誓いを破ろうと
はしなかったばかりに、彼は前代未聞の苛酷な方法で虐殺されたのである。さらに、もしも神々の祭儀が、のちの世での報いとして幸福を与えるものであるとすれば、なにゆえ彼らはキリスト教を非難し、ローマがこのような災害に会ったの
神々への礼拝を~(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968)