五、「教会とわたしたち」(391)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その30)
⒗.多くの聖別された処女たちが捕囚の間に暴行を蒙った。彼女らが進んで同意したのでない限り、これは彼女らの魂の罪を意味するであろうか。
それゆえに、次のことをまずしっかりと弁え知るべきである。それは、善良な生活を送るに必要な徳というものが宿るのは、ひとのこころの中にであり、また肉体が聖くされるのは聖別された意志の働きによる、ということである。もし意思さえ
毅然としているならば、だれか他の人がどのようなことを肉体に、また肉体によって行おうとも、その人自身が自ら何か罪を犯すことなしには攻撃を逃れられないかぎり、被害者には何の咎もない。しかして、他人の肉体になしうることは乱暴
のみならず、欲情の行いをも含む。後者の範疇に属する行為は、貞節を損なうことがない。貞節は平穏な精神によって(前回はここまで) のみしかと保たれるからである。被害者が恥ずかしく思うのは、自分の意志もこれに同意したかも知
れない、と考えるからである。肉の歓びへの何らかの屈服なくしては、このようなことはなかなか起こらないものであろう。
⒘ 処罰や汚辱の恐れから自殺をすることに
ついて。
このような非業を忍ぶよりは、むしろ死を選んだ婦人たちについては、感動の余り彼らのために赦しを願わない者がいるであろうか。他方、他人の悪口を避けようとして自分自身で
~(つづく) (教団出版「神の国」出村彰訳1968)