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日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-04-04 22:53:55 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(406)       近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その46)

  29.キリストが敵の暴虐から彼らを救い出してくれなかったと論じ立てる不信者に対し、キリストの僕はどう答えるべきか。

  キリスト信者はこう答える。「わたしの神はその全能をもって、あらゆるところにおられる。神はどのような場所に

も限定されない。神は知られずして現臨し、動くことなく立ち去られる。神がわたしを逆境に会わせられるのは、わ

たしの美点を試すためか、わたしの罪を罰するためである。この世の苦難を信仰をもって堪え忍ぶ報いとし

て、神はわたしを支えて永遠の報酬へと至らせられる。どうしてわたしはあなたに向かって、(前回はここまで)

あなたの神々についてかたらねばならないだろう。いわんや、わたしの神について語る必要はない。神は『もろ

もろの神に優って恐るべき者で、もろもろの民のすべての神々はむなしい。しかし主はもろもろの天を造られた。』(詩篇九六・四―五)」。

30.キリスト教の影響について不平を述べ立  てる者は、実は恥ずべき快楽の機会を求めているにすぎない。

  かつてスキピオ・ナシカという名の人があなたがたの大祭司であった。カルタゴ戦役後の恐慌のただ中に

あって、元老院は彼を満場一致で選出した。そのころ、彼らがフリギアの祭儀を導入するに最適の人物を探し

求めていたからである。もし彼が今日生きているならば、あなたがたは面を上げて彼の顔を仰ぐことができな

いであろう。(つづく) (「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-04-04 22:48:58 | 大分中央ウィークリー

創世記24章29節である。「リベカにはラバンという兄がいたが、ラバンはすぐに町のはずれの泉の傍らにいる

その人のところに走った。」という。リベカの行動は早かった。単に行動が早いというよりも、心の驚きと事の重

大さを感受する感受性の速さをわれわれは理解すべきであろう。従ってそれを受けた家族の中でも、とくに若

いリベカの兄ラバンがその反応を家族のだれよりも早く受け取ったようである。

 

「ラバンはすぐに町のはずれの泉の傍らにいるその人のところに走った。」という。もちろんリベカの身につけて

いた高価な飾りに気がついたであろうが、リベカの両親ならともかく、この若者には恐らく関係がない。リベカの

感動をそのまま受け取って即座の行動を起こしたのであろう。遠路はるばるやってきた親族への礼を失しては

ならないと彼も一目散に走った。われわれにもその感動を強力に伝えている。

 

30節である。「妹が着けている鼻輪と腕輪とを見、妹リベカが、『その人がこう言いました』と話しているのを聞

いたためである。彼が行ってみると、確かに泉のほとりのらくだのそばにその人が立っていた。」といわれてい

る。「妹が着けている鼻輪と腕輪とを見、」といわれているが、この若者にはある種の良好な感動を添えた。

 

現場に行ってみると、「確かに泉のほとりのらくだのそばにその人が立っていた。」という。兄が、早速、招きの

言葉をかけるが、彼の行動は好感をもたらしたに違いない。結婚の協定を結ぶに当たって、嫁となる本人の性

格や育ち方が大事であるが、兄弟がいればその兄弟の性格や行動も大事な要素の一つであることはいうまで

もない。招きの言葉を受けていただきたい兄弟であることを「その人」僕に伝えている。


牧 会 通 信

2017-04-04 22:42:06 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 16歌(カッコ内は筆子、その8)

◯わたしはあなた方の土地のもので、いままでずつとあなた方の働きと尊敬すべき名を、敬愛をこめて口にしかつ聴いてゐたのです。

  わたしはこの苦味を後にし、真実を言ふこの先達の約束した、甘い果実を得に行くのですが、まづここの中心まで下らねばならないのです。」

  「まだ長い間魂がそなたの五体を導き、そなたの名誉が死後にも光り輝くやうに、」と同じ霊が答へた、(前回ここまで)

◯「ところで、礼儀と勇気がかつてのやうにわたしらの市(まち)に生きてゐるだらうか、すつかり消え失せてしまつたのだらうか、

  といふのもすこし前からわたしらと苦痛を共にしてゐて、仲間とともにあすこを行くグイリエルモ・ボルシエレ(フィレンツェの武人)が、その話でわたしらをひどく苦しめてゐるからです。」 (つづく)

 

◯本日、4月2日の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は、「永遠の命のパン」という。聖書は、ヨハネ

による福音書6章27~40節である。その27節に、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、

永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたのために与える食べ物である。父

である神が人の子を認証された(口語訳、「ゆだねられた」)からである。」という。「認証された」との、原語は、

「王が押印した」という意味であり、口語訳の方がわかりやすい。このお方を信じ、そのために働くのが教会の

活動である。人の命に関る問題であるから、この世では特に大事な働きであるこことはいうまでもない。

◯写真は、3月21日、八女伝道所での記念撮影である。前席の空席は富樫史朗書記と南茂が撮影操作中。