五、「教会とわたしたち」(406) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その46)
29.キリストが敵の暴虐から彼らを救い出してくれなかったと論じ立てる不信者に対し、キリストの僕はどう答えるべきか。
キリスト信者はこう答える。「わたしの神はその全能をもって、あらゆるところにおられる。神はどのような場所に
も限定されない。神は知られずして現臨し、動くことなく立ち去られる。神がわたしを逆境に会わせられるのは、わ
たしの美点を試すためか、わたしの罪を罰するためである。この世の苦難を信仰をもって堪え忍ぶ報いとし
て、神はわたしを支えて永遠の報酬へと至らせられる。どうしてわたしはあなたに向かって、(前回はここまで)
あなたの神々についてかたらねばならないだろう。いわんや、わたしの神について語る必要はない。神は『もろ
もろの神に優って恐るべき者で、もろもろの民のすべての神々はむなしい。しかし主はもろもろの天を造られた。』(詩篇九六・四―五)」。
30.キリスト教の影響について不平を述べ立 てる者は、実は恥ずべき快楽の機会を求めているにすぎない。
かつてスキピオ・ナシカという名の人があなたがたの大祭司であった。カルタゴ戦役後の恐慌のただ中に
あって、元老院は彼を満場一致で選出した。そのころ、彼らがフリギアの祭儀を導入するに最適の人物を探し
求めていたからである。もし彼が今日生きているならば、あなたがたは面を上げて彼の顔を仰ぐことができな
いであろう。(つづく) (「神の国」出村彰訳)