日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-04-11 00:08:15 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(407)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その47)

 30.キリスト教の影響について不平を述べ立

      てる者は、実は恥ずべき快楽の機会を求め

      ているにすぎない。

  かつてスキピオ・ナシカという名の人があなたがたの大祭司であった。カルタゴ戦役後の恐慌のただ中にあって、元老院は彼を満場一致で選出した。そのころ、彼らがフリギアの祭儀を導入するに最適の人物を探し求めていたからである。もし彼が今日生きているならば、あな

たがたは面を上げて彼の顔を仰ぐことができないであろう。(前回はここまで)彼はあなたがたが今日行っている恥ずべき行為を止めさせることであろう。災難が降りかかるとあなたがたがキリスト教の影響に不満を申し立てるのは、あなたがたが何の制約もなしに、ほしいままに放逸な行いにふけりたいというだけのことではないか。すべての障害が除去され、邪魔されることなしに快楽にふけりたいからではないか。

  あなたがたが平安とあらゆる種類の善が豊かであるように願うのは、あなたがたがこれらの便益をそれにふさわしい方法、すなわち節度・真面目・節制・敬虔をもって用いるためではなく、狂気の沙汰をつくしてかぎりなくさまざまな歓楽を追い求めるためである。かくして、あなたがたは順境にあっても、どのように暴虐な敵の行いよりもはるかに悪い結果をもたらすような悪を生み出している。このような理由から、先に述べたあなたがたの大祭司で元老院の指導者で(つづく) (「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-04-11 00:06:16 | 大分中央ウィークリー

創世記24章30節である。「妹が着けている鼻輪と腕輪とを見、妹リベカが、『その人がこう言いました』と話しているのを聞いたためである。彼が行ってみると、確かに泉のほとりのらくだのそばにその人が立っていた。」といわれている。「妹が着けている鼻輪と腕輪とを見、」といわれているが、この若者にはある種の良好な感動を添えた。 

現場に行ってみると、「確かに泉のほとりのらくだのそばにその人が立っていた。」という。兄が、早速、招きの言葉をかけるが、彼の行動は好感をもたらしたに違いない。結婚の協定を結ぶに当たって、嫁となる本人の性格や育ち方が大事であるが、兄弟がいればその兄弟の性格や行動も大事な要素の一つであることはいうまでもない。招きの言葉を受けていただきたい兄弟であることを「その人」僕に伝えている。 

31節である。「そこでラバンは言った。『おいでください。主に祝福されたお方。なぜ、町の外に立っておられるのですか。わたしが、お泊りになる部屋もらくだの休む場所も整えました。』」と。兄ラバンの丁寧なご挨拶である。らくだの数は十頭であった。その「らくだの休む場所も整えました」というのであるから、十頭のらくだに水を飲ませたリベカの報告がしっかり受け止められていました。 

ラバンの初対面の挨拶の言葉に「主に祝福されたお方」という。アブラハムの弟のナホルの家に同じヤハウェへの信仰があったかどうか不明である。もとは彼らの父テラも含めてユーフラテス河の河向の神々を拝んでいた(ヨシュ24:2)。しかし、アブラハムは一つの神の信仰をもってカルデアのウルを出発して長い旅路に出た(11:31-12:1)。兄ラバンの挨拶の言葉はアブラハムを意識しての尊敬語のようである。


牧 会 通 信

2017-04-11 00:01:30 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 16歌(カッコ内は筆子、その9)

◯「ところで、礼儀と勇気がかつてのやうにわたしらの市(まち)に生きてゐるだらうか、すつかり消え失せてしまつたのだらうか、

  といふのもすこし前からわたしらと苦痛を共にしてゐて、仲間とともにあすこを行くグイリエルモ・ボルシエレ(フィレンツェの武人)が、その話でわたしらをひどく苦しめてゐるからです。」(前回ここまで)

◯「成上つた新参者と突然の利得が、傲慢と放縦をおんみの内に生みだしたのだ、フィオレツァ(十三世紀末フィレンツェ付近よりやって来て住みつく新参の民)よ、それでおんみはいま哭き悲しんでゐる。」

  このやうに顔を上げてわたしが叫ぶと、三人はこれを返辞と悟つて、やつぱり真実だつたのかと見詰め合ふやうに互に見詰め合つた。

  「いつでも他のものの疑念をこのやうにたやすく晴らせるなら、」と三人は答へた、「このやうに意のままに話せるのなら、そなたは幸福だ!

  それではこの暗い場所からつつがなく出て、地上に戻り美しい星たちをまた見るならば、自分はあすこにゐたと話したい気になるとき、

  ぜひとも人人にわたしらのことを話してほしい。」それから輪を解いて逃げ去つたが、そのすばやい足は翼そつくりだつた。 (つづく)

◯本日、4月9日の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は、「主の受難」という。聖書は、ゼカリヤ書9

章9~14節である。その9節、「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神

に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。」と。預言者

ハガイに2ヶ月遅れの同時代、前520年に神殿再建のために活躍した預言者、新しい王の来臨を預言した。

 

◯写真は、3月1日に花芽をつけてから37日で、こんなにりっぱな花になった君子ラン(4月6日撮影)。