五、「教会とわたしたち」(407)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その47)
30.キリスト教の影響について不平を述べ立
てる者は、実は恥ずべき快楽の機会を求め
ているにすぎない。
かつてスキピオ・ナシカという名の人があなたがたの大祭司であった。カルタゴ戦役後の恐慌のただ中にあって、元老院は彼を満場一致で選出した。そのころ、彼らがフリギアの祭儀を導入するに最適の人物を探し求めていたからである。もし彼が今日生きているならば、あな
たがたは面を上げて彼の顔を仰ぐことができないであろう。(前回はここまで)彼はあなたがたが今日行っている恥ずべき行為を止めさせることであろう。災難が降りかかるとあなたがたがキリスト教の影響に不満を申し立てるのは、あなたがたが何の制約もなしに、ほしいままに放逸な行いにふけりたいというだけのことではないか。すべての障害が除去され、邪魔されることなしに快楽にふけりたいからではないか。
あなたがたが平安とあらゆる種類の善が豊かであるように願うのは、あなたがたがこれらの便益をそれにふさわしい方法、すなわち節度・真面目・節制・敬虔をもって用いるためではなく、狂気の沙汰をつくしてかぎりなくさまざまな歓楽を追い求めるためである。かくして、あなたがたは順境にあっても、どのように暴虐な敵の行いよりもはるかに悪い結果をもたらすような悪を生み出している。このような理由から、先に述べたあなたがたの大祭司で元老院の指導者で(つづく) (「神の国」出村彰訳)