五、「教会とわたしたち」(408) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その48)
30.キリスト教の影響について不平を述べ立 てる者は、実は恥ずべき快楽の機会を求めているにすぎない。
あなたがたが平安とあらゆる種類の善が豊かであるように願うのは、あなたがたがこれらの便益をそれに
ふさわしい方法、すなわち節度・真面目・節制・敬虔をもって用いるためではなく、狂気の沙汰をつくしてかぎり
なくさまざまな歓楽を追い求めるためである。かくして、あなたがたは順境にあっても、どのように暴虐な敵の
行いよりもはるかに悪い結果をもたらすような悪を生み出している。このような理由から、先に述べたあなたが
たの大祭司で元老院の指導者で(前回はここまで)あったスキピオは、まさにこのような災難があなたがたの
上に降りかかることを案じ、あなたがたの好敵手、カルタゴの町を破壊することに反対し、その破壊を提案した
カトーと対立した。スキピオは絶対的な安心感が弱い人間にとって危険であると考えたので、それを心配した
のである。彼はいまだに後見人の下にある市民たちにとって、ある程度の恐怖感は良い教師であることを知っ
ていたのである。
そうして、実際彼の判断は誤っていなかった。そののち起こったことは、彼が真実を語っていたことを証明し
た。カルタゴが潰滅(かいめつ)したとき、ローマ共和国は深い不安から解放され、恐れは取り除かれた。しか
し万事が好調に進んでいる状態から途方もない悪が生じ始めた。(つづく) (「神の国」出村彰訳)