日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2015-11-03 00:01:27 | 大分中央ウィークリー

創世記21章32節である。「二人はベエル・シェバで契約を結び、アビメレクと、その軍隊の長ピコルはペリシテの国に帰って行った。」という。アビメレクは、20章1節で「ゲラルの王」と紹介されている。更に下って26章1節でイサクが交渉した「ゲラルにいるペリシテ人の王ゲラル」とは世代が違うので別人である。しかし「ペリシテ人の」というところは関係がある。

 

「ペリシテの国に帰って行った」という。後にこのゲラルの地方を拠点に出エジプトのヨシュアの時代、前12世紀ころからダビデの時代(前10世紀)に至るまでイスラエルを脅かす「海の民ペリシテ人」の遠い先祖であるとするのが最近の説である(フランシスコ会訳注1967)。資料説では時代が違いすぎるとするのが通説である。

 

33節である。「アブラハムは、ベエル・シェバに一本のきょうりゅうの木を植え、永遠の神、主の御名を呼んだ。」という。ここにわざわざ「一本のきょうりゅうの木を植え」とある。何か意味があったのであろう。しかし今日までそれに関する他に資料がない。残念ながら、正確な意味が不明である。しかしここ状況から判断して、契約のための主への信仰の証として自分の家の者達がいつまでも覚えるための記念の植樹かもしれない。つまりベエル・シェバの名と意識的に関連させて植樹をもう一つの証としたようである。

 

「永遠の神、主の名を呼んだ。」という「永遠の神」の呼び名は初めて登場する。ヘブライ語における「永遠(オーラーム)」は、「時間がない」という概念であり、限りない時間の長さをいう。われわれの時間感覚と平行も対立もしない。従って永遠の「今」である。この場合は、今、契約の保証をするという力強い神の働きをいう。


牧 会 通 信

2015-11-02 23:49:56 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第11歌(カッコ内は筆子、その7)

◯放縦は神を怒らせることより少く、受ける非難もより少いといふことを?

あの言葉をよく吟味し、ここの外の上で刑罰を受けてゐるものたちが、いかなるものかを思ひ返すならば、

なぜあのものたちが凶悪なものたちから分離されてゐるのか、なぜ槌で打つ神の復讐の怒りがより少ないのか、よく分るだろう。」

 (ここまで前回)

◯「おお、濁つたあらゆる視力を癒す太陽よ、あなたが解決するときわたしは実に嬉しいので、知ることに劣らず疑ふことがわたしには喜ばしいのです。

すこし前に話を戻していただきますと、」とわたしは言つた、「高利は神の真意に叛くと言はれましたが、この縺(もつ)れを解いて下さい。」

「息子よ、」と師は答へた、「哲学はそれを理解するものに、いくつもの箇所で示してゐる、自然は神の英知と技術から(つづく)

 

◯2015年11月1日は、今年の第四十四主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「共に感謝する」という主題である。聖書はレビ記22章17~33節、その33節「わたし

はあなたたちの神となるために、エジプトの国からあなたたちを導き出した者である。わたしは主である。」といい、神がわたしたちの主となられたことの始ま

りを告げている。それでは「わたし」の出エジプトはどこか、考えられよ。

 

◯写真は10月29日(木)夕、chikoグランシアタで開催された「ラブ・ソナタ大分」(実行委員長・広田正勝、単立チャペルノア牧師)2400人参加。