ダンテの「神曲 地獄」編 第14歌(カッコ内は筆子、その3) (原 光訳 2000年、沖積舎)
◯やがてわたしらは第二(参照3月20日号、第13歌、その5)と第三環(道、みち)を分つ境に来たが、そこでは正義の恐ろしい技術(たくみ)が見られた。
新奇なことがよく分るやうに言ふと、わたしらはいかなる植物も生え育たぬ荒地に着いたのだ。
悲痛な森はそこを取巻く環をなしてゐる、たぎる血の堀が森を取巻いてゐるやうに。まさにこの境でわたしらは立止まつた。(前回ここまで) ◯この平地は
乾いてびつしりした砂で、かつてカトンの足が踏みつけた(前47年)、あの熱砂(アフリカのリビアの砂漠)とそつくりだ。
おお、神の復讐よ、わたしの眼に示されたものを読むすべてのものに、どんなにおんみは恐れられることだろう!
まる裸の霊たちの多くの群が見られたが、みんな実に惨めに哭(な)き叫んでゐて、互に異なる掟に服しているやうに見えた。(つづく)
◯本日は、2016年7月17日は第二十九主日、三位一体後第八主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「真の平和」という主題である。聖書はエフェソ2・
11~17、その14節、「敵意という隔ての壁を取り壊し」といわれている。どなたが、どのようにして「隔ての壁を取り壊」されるのか、よくよく考えたい。敵意と
いう隔ての壁は、表に出てこないのが普通であるから厄介である。内に秘められた「隔てに壁」を誰が破壊できるのか。この世界に一人だけ。
◯写真は、教会の南側の緑の「蔦」は今が盛ん。通行人に親しまれている。7月15日撮影