掛川駅から掛川城址公園までは、北へゆっくり歩いて15分ほど。城の周辺には城に関する建物や堀、古井戸などの文化財がある。これらの多くは市の観光案内、他のホームページ、ブログなどで紹介されている。今回は、妻と私とタロ(犬)が散歩がてら目についた私的な事物の紹介。今日は、これから用事があるので早めのアップ。
市立中央図書
城の北東には、市立中央図書館がある。平成13年に新たに改築され、城下町にふさわしい和風建築の建物だ。
図書館の入り口にある二宮金次郎像
私が通った小学校の校庭にもあった。薪を背負って歩きながら本を読む姿だ。勤労・勤勉な姿の象徴という思い出も残っている。しかし、最近は歩きながらの本読みや歩きスマホが危険とのことで、座った二宮金次郎像も創られているところもあるようだ。
池
図書館と掛川城を挟むように池がある。小さいが橋や東家などもあり池の周囲を散策できる。
サギ
シラサギが一羽大きな石の上に立っていた。水面にも逆さのサギが映っている。彫像のように動かない。時々顔だけが、パントマイムのようにゆっくり横を向く。そして動きが止まる。暫くユーモラスなサギを見ていた。
作品 阿吽(あうん)
拡大写真:3個の金色のボールで上の石が支えられている
二の丸美術館の外庭に、阿吽という作品が立っている。説明板によると一般に阿吽の像は仁王や狛犬の姿で、神社仏閣や山門などに守護・魔除けとして祀られている。復元前の掛川城址にも狛犬型の阿吽があった。
この阿吽は、掛川城天守閣の復元にあわせて、掛川の新たな守護としてつくられた作品。掛川の人々が、陰陽(いんよう)・阿吽の気をもって呼吸を整え、仰いでは天文を観、臥しては地理を察し、盛徳大業(せいとくたいぎょう)をなすように、との願いを銘の由来としているとのこと。
城の周囲を歩いた後、チョット街に出てみた。
和風建築の地方銀行
壁には山内一豊と妻の像が浮き出ている。
1590年に家康が東海から関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が入った。一豊は掛川城の大幅な拡張を実施し、石垣・瓦葺の建築物・天守など近世城郭としての体裁を整えた城郭とした。1600年の関ヶ原の戦いの後、一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転したとのこと。
建物の軒につるしていた札差(ふださし)
幕府から御家人らへの蔵米の受け取りを代行するだけではなく、旗本や御家人に蔵米を抵当にして金を用立てるという金融業務が、札差の重要な役割となっていったとのこと。
くすのきの大木
この楠木は御触書によると樹齢350年、胴回り5m、樹高20mとあり、第22代掛川藩主井伊直好(1659年に赴任)の頃植えられたと思われるとのこと。江戸中期、明治、大正、昭和、平成と掛川の変遷を見つめてきた楠木だ。
逆川(さかがわ)
楠木を後にし逆川に向かった。昨日紹介した十九首塚も逆川の一角にある。昔、逆川は蛇行が激しく、水害をもたらしていた。一説には、堤が欠ける(決壊する)ことから欠川(かけがわ)と呼ばれ、さらに掛川と称されるようになったとのこと。掛川城の南を流れており天然の濠となっていた。
遊歩道の案内板
現在は護岸工事がなされ、遊歩道も整備されている。遊歩道は土手の上にもあるが、橋の前後は橋に架かる道路を横断しなくてもいいように、川に近い土手の中腹にも遊歩道がある。
土手に咲いていた芙蓉
スイセン、桜、ユリ、芙蓉など季節の花も多く見られる。遊歩道は十九首塚より先にも続いている。また、城より南にも続いていて、大手門などの旧跡もある。たっぷり散歩やジョギングができる。
以上、紹介した場所の他、名所・旧跡を含めて、ゆっくり歩いて1,2時間で周れる。掛川は閑静な城下町で、散策にふさわしい推薦できる街並だ。
市立中央図書
城の北東には、市立中央図書館がある。平成13年に新たに改築され、城下町にふさわしい和風建築の建物だ。
図書館の入り口にある二宮金次郎像
私が通った小学校の校庭にもあった。薪を背負って歩きながら本を読む姿だ。勤労・勤勉な姿の象徴という思い出も残っている。しかし、最近は歩きながらの本読みや歩きスマホが危険とのことで、座った二宮金次郎像も創られているところもあるようだ。
池
図書館と掛川城を挟むように池がある。小さいが橋や東家などもあり池の周囲を散策できる。
サギ
シラサギが一羽大きな石の上に立っていた。水面にも逆さのサギが映っている。彫像のように動かない。時々顔だけが、パントマイムのようにゆっくり横を向く。そして動きが止まる。暫くユーモラスなサギを見ていた。
作品 阿吽(あうん)
拡大写真:3個の金色のボールで上の石が支えられている
二の丸美術館の外庭に、阿吽という作品が立っている。説明板によると一般に阿吽の像は仁王や狛犬の姿で、神社仏閣や山門などに守護・魔除けとして祀られている。復元前の掛川城址にも狛犬型の阿吽があった。
この阿吽は、掛川城天守閣の復元にあわせて、掛川の新たな守護としてつくられた作品。掛川の人々が、陰陽(いんよう)・阿吽の気をもって呼吸を整え、仰いでは天文を観、臥しては地理を察し、盛徳大業(せいとくたいぎょう)をなすように、との願いを銘の由来としているとのこと。
城の周囲を歩いた後、チョット街に出てみた。
和風建築の地方銀行
壁には山内一豊と妻の像が浮き出ている。
1590年に家康が東海から関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が入った。一豊は掛川城の大幅な拡張を実施し、石垣・瓦葺の建築物・天守など近世城郭としての体裁を整えた城郭とした。1600年の関ヶ原の戦いの後、一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転したとのこと。
建物の軒につるしていた札差(ふださし)
幕府から御家人らへの蔵米の受け取りを代行するだけではなく、旗本や御家人に蔵米を抵当にして金を用立てるという金融業務が、札差の重要な役割となっていったとのこと。
くすのきの大木
この楠木は御触書によると樹齢350年、胴回り5m、樹高20mとあり、第22代掛川藩主井伊直好(1659年に赴任)の頃植えられたと思われるとのこと。江戸中期、明治、大正、昭和、平成と掛川の変遷を見つめてきた楠木だ。
逆川(さかがわ)
楠木を後にし逆川に向かった。昨日紹介した十九首塚も逆川の一角にある。昔、逆川は蛇行が激しく、水害をもたらしていた。一説には、堤が欠ける(決壊する)ことから欠川(かけがわ)と呼ばれ、さらに掛川と称されるようになったとのこと。掛川城の南を流れており天然の濠となっていた。
遊歩道の案内板
現在は護岸工事がなされ、遊歩道も整備されている。遊歩道は土手の上にもあるが、橋の前後は橋に架かる道路を横断しなくてもいいように、川に近い土手の中腹にも遊歩道がある。
土手に咲いていた芙蓉
スイセン、桜、ユリ、芙蓉など季節の花も多く見られる。遊歩道は十九首塚より先にも続いている。また、城より南にも続いていて、大手門などの旧跡もある。たっぷり散歩やジョギングができる。
以上、紹介した場所の他、名所・旧跡を含めて、ゆっくり歩いて1,2時間で周れる。掛川は閑静な城下町で、散策にふさわしい推薦できる街並だ。
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