色即是空 ~ 行く川の流れは絶えずして ~ 3

北の大地での生活

All things in the universe

<02 Oct 2015 Fri>命をいただくということ

2015-10-02 | 日々徒然なるままに


宗教上の理由による食べるものの忌避は、人が作り上げた信念や洗脳による価値観も含まれているかもしれません。
また、商業用家畜の飼い方・育て方が生命倫理に反するという個人の信念のもとに
牛や豚や鳥などの肉を食べない、あるいは製造過程に疑問を感じるから卵や牛乳を食べない、
エコロジーに反するから食べない、革製品を買わないなど、個人の行動で抗議を表す人もいます。



生命を扱うのに、その生命に対してあまりにもひどい仕打ちをしている。
愛玩動物やイルカ、クジラなどの問題とは別に、人が食べるために生かされている動物
本来、生命は生命を食して生きてきたのですから当然でもあったことですが、
大量消費にあわせるための大量生産で大量遺棄もされている現状では、
命ち対する概念がやはりおかしくなっている気もします。

目に余るような家畜の飼い方をしているというのはあまり知らないのですが、
フォアグラなど、特殊な食料を得るための方法は、それが良いのかどうか、
確かに疑問を感じるところはあります。

しかし生きるためには他の命を犠牲にしなくてはならない一面があります。
自然界では弱肉強食、そこに人間活動のような無駄が生じる余地はなく、
ほとんどが生きるための捕食です。
それは単なる犠牲というより、生命活動を繋ぐため受け継がれる命といえます。



空気中に微生物がいるからと呼吸をやめてしまった僧侶がいたそうです。
それは殺生を禁ずるあまり、自分が生きることそのものの否定、
与えられた命を粗末にするものではないでしょうか。
命は生かされているものであり、
他人のものでも自分のものでも、粗末するものではないと思います。
ただ、そこに強い信念があることで、単なる自殺と言うことはできません。



酪農業は産業として成り立ち、それをしないことには食べていくことに困難を生じる人々がいます。
何かを奪うことをしないと生きる事に困難を生じる人々がいます。
当然、代償はあるでしょう。

実際、肉には身体を元気にするエネルギーが含まれています。
植物だけを食べて生きていけば良いという選択もできますが、
人の身体には多少の無理が生じるかもしれません。

生きていることは消耗することで、何を支払って何を得るか。
成長(生産)と消耗はいずれ逆転し、生命は死に至ります。
自分自身で判断して、適切に取捨選択してより良く生きることしかできません。

生産過程に問題があると思われる食べ物を食べないという選択もありますが、
生産過程が問題であると考えるのであれば
その状況をより良いと自分が信じるものに変えるために正しく行動するという選択もあります。

信じるものに忠実であること、行動すること、
受け入れること、聞き入れること、正しく判断すること、
他の命を頂かないと生きていけないのであれば、何をすべきかをきちんと考えることが大切です。

人の信念は人それぞれで、それぞれが正しいと自分で判断し、
心から信じているのであれば尊重すべきでしょう。
もちろん、だからといってその考えが正しいとは限りませんが。

神様がする善悪の判断はあやふやな人間の価値観に基づいたそれとは違うといいます。
身体を削って何かをすることが生きることなのだから、
それに見合う何かを受け継いで生きたいものです。

コメント
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