お金と縁のなさそうな人がしみじみ描かれていて
損得勘定と関係がない人ところでドラマが展開してゆくところが好きで
作品を楽しみに待っている。
夕凪の街 桜の国の館内には
カーテンコールで流れていた曲と同じかと思わせる
ゆるやかにセピアな雰囲気ともぴったりしんみりといい感じで
ハーブの曲が幕明けを期待させて流されていた。
職業柄、戦争体験の話を聞く機会は多い。
爆弾が降ってきた大空襲で生きのびた人たちも
南方からかろうじての帰還兵も
死んだ仲間や身内を悼む言葉とともに
自分は運が良かったと必ず言われる。
なぜ原爆だけは
自分が生きている事への責めを感じるのか?
『いきとってはいけんのじゃ』は
ずっと解けないなぞだった。
たった1個の無差別大量殺人兵器の光と熱は
その時、その人が生きている事を全否定した。
受けた人でないと分からない恐怖
ケロイドとして見える傷でなく
心にも『殺された』
存在否定のケロイドを焼き付けたのかと
映画を観終わってストンと腑に落ちた。
原爆毒と言うらしい。
後遺症はその人で終わらず
子から孫へ受け継がれる不気味と不安と
無意識に巣作る差別と話は現在へと続いていった。
結婚と言う形態をとる時に
その人の持つ差別観は哀しいかな如実になる。
私の娘に
『兄の障害にクレームがつくような人とは上手くいかない』
とよく話す。
結婚は一つの心の踏み絵であるような。
いきとってくれて ありがとう
何かを成す自分ではなくて
そこに居るだけで
だれかにそう言われたら
だれかにそう思われたら
存在肯定は
それだけでもう充分な気持ちになれるのだ。
昭和33年の広島の絵には
食べることに汲々しているバラックの生活のにおいと
原爆ドームの向こうに
ちゃんと広島球場の夜間照明が立っていた。
人間の持つ底力を見せつけているような構図に思えた。
軽い明るいタッチで映像は流れてゆくのに
最初から最後まで、涙が止まらなかった。
素材は確かに重くてとことん根っこは深い。