うきうきステップで精神障害ホームヘルパー講習の仕上げの実習先から帰ったらしい。人からいつもと違う軽やかな帰還だと言われてしまった。毎度、訪問介護で疲れた上にスキでない所内の空気を思うと、ヘルパーステーションへの階段を上る足の重い事。
精神障害者作業所で1日過ごした。只、一緒に作業をさせてもらっただけで、かえってジャマ者。この実習がすまないと精神障害者のホームヘルプに従事出来ない仕組みになったいるので、作業所には迷惑だけどいたしかたない。
朝、元気に作業所に足を踏み入れたが、空気が重苦しい。確かにあやしい闖入者に緊張が走っているような。今日は作業する品がまだ来ないと言う事で、レクレーションタイムとなる。指導員さんがトランプを勧めて下さって、私も仲間に入る。ルールも忘れたので、詳しい人に習いながら、私の方の緊張はすっかり解けて楽しんだ。
途中、トイレ、お茶とトランプ最中にも関わらずメンバーが退席してしまうが、みんな咎める事なくゆっくりと席に戻るまで待っている。息子も落ち着かないとウロウロする。闖入者とトランプはウロウロ込みで気持の均衡を保っておられるのかもしれなかった。ひとり二階で寝て居られる方もあった。帰りたくなったら帰っても良い。自分の体調と相談して、自分の行動は自分で決めるルールだ。
やがて作業品が来た。さっきまでのダラダラとうって変わって、もくもくと始まる。敬老の日の折詰めの箱の組み立てだ。中の仕切り十字を組み立てて、紅白の紙を敷いて箱に組み込む作業だ。別に流れ作業にもならず、全工程を一人で完成させている人あり、部分に集中する人あり。疲れた人は二階の休憩室で勝手に横になれる。ここでは能率は問われない。「ゆっくりしようね。あわてなくていいよ。失敗分の余分もあるから。」と声かけがあった。(わたくし、一個、力余ってこわしました^^;)
仕事半ばで昼食。一緒に作業をすると朝の緊張がほどけてきた空気がある。隣りの席の人はあいかわらず黙々と食べて話し掛けていいのか悪いのか躊躇う雰囲気。厚かましく声をかけると照れ笑いの顔でコクっと頷かれた。私を拒否されているのではなくて、隣りに座っている事を許してもらえている様でうれしくなって、後は黙って並んで座っていた。
午後の仕事は折り詰めの仕事と、ギフトのラッピング。ラッピングは初めての仕事だったらしい。難色を示す指導員さんに「私スキ」と申し出があって、みんなで包み方を習う。ひと仕事すむと私にも一緒にやった達成感が満ちている。朝は話づらかった喫煙グループの輪にも行って話し掛けた。
「お金を言ったらわずかだけど、ここでみんなと居る事になんか良い事がある。」と言われた。確かに。
急げと言われない。叱られない。自分のペースで人を共同作業の輪に加わった達成感。一日、楽しかった。リフレッシュしたのは私自身だった。
失敗がない様に緊張が走る事務所。ささいな失敗でも叱責があるから、事務能力がスポッと抜けている私は書類ひとつひとつ何度もチェックするが、抜けていてまた叱責をくらう。自由発想で行動が出来ないからサービス提供者に提案すると必ず、重箱の隅をつついた様な反対理由で潰される。意見は言わず盲従。言われたパターンで仕事をこなすが楽の気持が強くなっている昨今。私がのびのび出来ないから、職場に向かう足取りは自然といつも重い。
自分自身を否定されない、無理を人から強いられない、自分の意志に従える時間と空間。あれこれ言われない事が逆に『丁寧さと能率』を生んでいる様な作業所だった。私自身のどこか社会不適合な部分がカチッと作業所にはまったようだ。社会全体の方がヘンなんじゃない?
精神障害者作業所で1日過ごした。只、一緒に作業をさせてもらっただけで、かえってジャマ者。この実習がすまないと精神障害者のホームヘルプに従事出来ない仕組みになったいるので、作業所には迷惑だけどいたしかたない。
朝、元気に作業所に足を踏み入れたが、空気が重苦しい。確かにあやしい闖入者に緊張が走っているような。今日は作業する品がまだ来ないと言う事で、レクレーションタイムとなる。指導員さんがトランプを勧めて下さって、私も仲間に入る。ルールも忘れたので、詳しい人に習いながら、私の方の緊張はすっかり解けて楽しんだ。
途中、トイレ、お茶とトランプ最中にも関わらずメンバーが退席してしまうが、みんな咎める事なくゆっくりと席に戻るまで待っている。息子も落ち着かないとウロウロする。闖入者とトランプはウロウロ込みで気持の均衡を保っておられるのかもしれなかった。ひとり二階で寝て居られる方もあった。帰りたくなったら帰っても良い。自分の体調と相談して、自分の行動は自分で決めるルールだ。
やがて作業品が来た。さっきまでのダラダラとうって変わって、もくもくと始まる。敬老の日の折詰めの箱の組み立てだ。中の仕切り十字を組み立てて、紅白の紙を敷いて箱に組み込む作業だ。別に流れ作業にもならず、全工程を一人で完成させている人あり、部分に集中する人あり。疲れた人は二階の休憩室で勝手に横になれる。ここでは能率は問われない。「ゆっくりしようね。あわてなくていいよ。失敗分の余分もあるから。」と声かけがあった。(わたくし、一個、力余ってこわしました^^;)
仕事半ばで昼食。一緒に作業をすると朝の緊張がほどけてきた空気がある。隣りの席の人はあいかわらず黙々と食べて話し掛けていいのか悪いのか躊躇う雰囲気。厚かましく声をかけると照れ笑いの顔でコクっと頷かれた。私を拒否されているのではなくて、隣りに座っている事を許してもらえている様でうれしくなって、後は黙って並んで座っていた。
午後の仕事は折り詰めの仕事と、ギフトのラッピング。ラッピングは初めての仕事だったらしい。難色を示す指導員さんに「私スキ」と申し出があって、みんなで包み方を習う。ひと仕事すむと私にも一緒にやった達成感が満ちている。朝は話づらかった喫煙グループの輪にも行って話し掛けた。
「お金を言ったらわずかだけど、ここでみんなと居る事になんか良い事がある。」と言われた。確かに。
急げと言われない。叱られない。自分のペースで人を共同作業の輪に加わった達成感。一日、楽しかった。リフレッシュしたのは私自身だった。
失敗がない様に緊張が走る事務所。ささいな失敗でも叱責があるから、事務能力がスポッと抜けている私は書類ひとつひとつ何度もチェックするが、抜けていてまた叱責をくらう。自由発想で行動が出来ないからサービス提供者に提案すると必ず、重箱の隅をつついた様な反対理由で潰される。意見は言わず盲従。言われたパターンで仕事をこなすが楽の気持が強くなっている昨今。私がのびのび出来ないから、職場に向かう足取りは自然といつも重い。
自分自身を否定されない、無理を人から強いられない、自分の意志に従える時間と空間。あれこれ言われない事が逆に『丁寧さと能率』を生んでいる様な作業所だった。私自身のどこか社会不適合な部分がカチッと作業所にはまったようだ。社会全体の方がヘンなんじゃない?
実習、着々と進んでいるのですね。
精神の作業所の雰囲気がわかりました。
なるほど、確かに、そんな感じなんですね。
仕事が到着したら、みんな黙々とやり出した
というところ、なるほどーと思っちゃいました。
知的の作業所の雰囲気はなんとなく想像できるけど、
うちらの子はそんな中で適応できるんかなー。
作業所を探すのは、そんな場を子どものために用意するのは
親(主に母親)の仕事、というのだけれど、ほんと、
不安です。
知的と精神は、また違うのでしょうが、仕事の場
って、本当に必要ですよね。
我が息子もこの作業所は手仕事なので、ぶきっちょだからどうかな?と思いました。でも、この作業所は本当に楽しかった。指導員の仕事がどこかにあったら、転職したいくらい。
息子は今、午前中だけの仕事を持っています。障害年金とバイト料となんとか自活できそうですが、バイトはバイトなので先行きは不安ですね。
もうすぐ障害者支援法が可決されてしまいそうですが、本当に支援の方に力を入れてもらいたいものです。
公務員の障害者募集要項に「知的」も「精神」もないのはどうしてでしょうね?3障害などと言われても、目に見える身体障害の方々より遥かに世の中から、協調してもらえない、偏見の中にある障害と言えますね。かなしい事ですが。
話が反れました。母親の仕事って事はないですよね。なんでも母親の所為にされてはたまりませんよ。障害の子の日常の世話だけでも、健常のお子さんの何倍も心痛や苦労を強いられます。自分が倒れてはいけないと、踏ん張っている母親にばかり過重な期待をして、行政が逃げている気がしてしかたありません。
私も市のふくし窓口で「お母さんにかかっていますね。」と言われて、情けなくなりました。困っているから助けはないか聞きに行ったのに…