味覚はイメージに左右される、という話を前回書きました。
今回はそれでまた連想した話を。
何の雑誌で読んだのかは忘れてしまいましたが(小説の雑誌であることは確か)《佳人の食卓》というエッセイを読んだことがあります。
筆者の方が、外国でさる御婦人にもてなしを受けるエピソードでした。
上流階級とおぼしきその婦人は、若くはないが実に美しいひとで、“臈たけた、という表現がぴったりだった”と書いてあったように思います。
けれど、その女性の作ってくれた手料理というのが、ジャガイモと肉を焼いたものなのですが“こちらは焦げていて、こちらは生焼けというありさまなのであった”というもの。
けれどですね、これは、酷い料理を食べさせられた、とか、幻滅した、とかのエピソードではないんです!
そのひどい料理は、筆者の方の思い出し笑いを誘いこそすれ、決して嫌な思い出ではないんですよね。それどころか、美味しくなかったその料理は、筆者が事あるごとに思い出す、懐かしいある種のご馳走なのです。
平たく言えば、特別に美しいひとの作ったものは、どんなものでも男性は(まあ、男性のすべてではないにしろ)感激するのです。私は、感心したり、ちょっとショックを受けたり。
忘れ得ぬ料理、といっても色々だと、思わされたエピソードでした。
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