日記も気ままに

JULIEというフィクション、澤田研二というノンフィクション。
フィクションには裏打ちされたノンフィクションがある。

曄田依子「繕い屋の娘カヤ」

2018-03-21 | 【や】行
2017年12月31日 第一刷発行
絵:曄田依子
㈱岩崎書店

今日は冬に逆戻りとかで、関東以北は雪やったようやね

ジュリーさんは、どないしてはるんでしょうか、、、
歌声が聴きたい、、
いやいや今日は本の話

ここら辺も雨が降っててけっこう寒かったので散歩はあきらめ、
ずっと借りっぱなしになっていた本を読むことにしました。

ほんま、借りっぱなしで
これは、本友さんが、面白い本があるのよ。って送ってくださったもので、
コデックス装丁っていうらしいのですが、ページがしっかり開くので、
読むときに本を押さえている必要がありません。
以前WBSだったかな、、、ノートにこの装丁がされているのを見たことがあります。
本になっているのは初めてで、ほんとに読みやすかったです。



          

さて、物語の舞台は日本(たぶん)。
10歳の少女カヤの父は戦争へ行き、母は仕事に行ったまま帰ってきませんでした。
小さい女の子が一人で暮らす怖さや辛さも経験しながら、
一人になったカヤは、両親の残したたくさんの本を読み勉強をし、父の仕事を見よう見真似で憶えた繕いの仕事をし、
母がしていたように、薬草を作って、生計を立て両親がいつか帰ってくることを信じつつ一人で暮らしています。

カヤは、お客であるお屋敷の人たちと会うとき、
お父さんのようにアイロンを当てたシャツにお母さんお手製の黒い蝶ネクタイ、縦縞模様のパンツを着て行きます。
父や母に対する尊敬と仕事に対しての真摯な気持ちなのでしょうね。

お屋敷から帰る途中、いつものように、大好きな祝守神社へお参りに行き、
そこで、狛犬の台座から落っこちて、犬になってしまったミスマルと出会う。

ミスマルは、自分が台座から落ちるなんてきっと神様に何かあったのに違いない。
一緒に神様のところへ行こうとカヤを誘う。
で、物語はカヤとミスマルの冒険物語に進んでいきます。

さまざまな困難を乗り越えて少女と犬が神様を救うのですが、
このお話を深めているものの一つに、この少女が「繕い屋」であることがとても意味があることのように思えます。
親子の関係修復ということかしら。

子どもながら、精神も技術ちゃんとプロ意識があるのですね。
だからこそ、神様によばれたのかな、、と思いました。

素敵な絵と文章でしたが、冒険に行き始めるまではなかなか入り込めず、
カヤのお母さんが家を出た理由が、よくわからない、、。
お母さんとの再会の場面がどこかであるのか、、とお母さんの存在を意識して読んでしまった。
お父さんには、戦争に取られた。というはっきりした理由があるのに、、、

絵と文が同じ作家さんです。
自分の文章のイメージがそのまま描かけるのはええなぁ、、、

あっ、読んでるときに気になったの
舞台は日本(?)・・・だけど、出てくるアイテムがいろいろ日本らしくない感じだな、、
なので、私の生活範囲の日本ではなさそう、、
(いろいろ加筆してしまうわ、、、)
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