やっと咲きました。
この枝が冬から注目してきた枝です。七輪花が付きました。細い枝なので隣の枝の方が花が多くついています。あと3-4日で、花が散る前に枝の根元から切り落とします。名残惜しいなあ。
全体はこんな感じです。朝、下を通ると匂ってきます。一年間毎日面倒を見てきた苦労が吹き飛ぶ瞬間です。
やっと咲きました。
この枝が冬から注目してきた枝です。七輪花が付きました。細い枝なので隣の枝の方が花が多くついています。あと3-4日で、花が散る前に枝の根元から切り落とします。名残惜しいなあ。
全体はこんな感じです。朝、下を通ると匂ってきます。一年間毎日面倒を見てきた苦労が吹き飛ぶ瞬間です。
※4シルクロード Achaemenid Persian Empire at its greatest extent, showing the Royal Road.
王の道( Persian Royal Road)はアケメネス朝(BC550 - BC330)にペルシャ帝国の大王ダレイオス1世によって、紀元前5世紀に建造された古代の公道。王都スーサからサルディスに至る(地図中央の茶色の線で示された)道路。交通と通信を容易にするために建設しました。道には宿駅が設けられ、守備隊が置かれていました。
スーサからサルディスまでの 2,699 kmを7日間で旅することができ、歴史家ヘロドトスは、「この公道を利用したペルシャの旅行以上に速い旅は、世界のなかでも他にはない」と記しています。
この頃には既にダマスクローズはこの道を通ってローマに入っていたというのです。
Central Asia during Roman times, with the first Silk Road
東西にシルクロードが走り、それと直角に交差して南から北に延びてアラル海に注ぎ込んでいるのがアムダリヤ川です。(地図左の、縦に伸びる細い線がそれです)
The Silk Road in the 1st century 1世紀頃は海路でローマに入っていたようです。この地図では書かれていませんが、アレキサンドリアを南に(地図上にEthiopiaと書かれているところ)、ナイル川を下って南に、ナイルの低地を船で東へ進路を取りインド洋に出るコースもありました。古来から運河を引く計画が何度も出ては立ち消えになった地域です。
※5 ダデス峡谷 https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=20062039786
これら2枚の絵を見ていると、プレニウスがNaturalis Historia の中で『薔薇は湿地よりも乾燥地にあるほうが香り高く、肥えた土地でなくても、粘土質であっても、灌漑されていない土壌でも育ち、瓦礫の荒れた土壌にも好んで生長します。』と述べていたのを思い出します。
※6イスラム国 http://www.jlifeus.com/e-pedia/09.ZZgrass/02.Eurasia/text/01.persia.htm
700年にはすでにウマイヤ朝がイベリヤ半島の大部分、シシリー、コルシカ、サルディニア島、イタリア半島南部、モロッコ、アルジェリア、リビア、エジプト、アラビア半島全域、トルコ西部、アルメニア、アゼルバイジャン、イランの全域を、トルクメニスタンとウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタンの一部を領土としています。首都はダマスカスです。