Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 164

2020年12月24日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

古代エジプトの貿易相手国の一つであるプント国について少し触れておきます。

       

プント国の比定地 https://historum.com/threads/a-muslim-majority-indus-valley-civilization.124818/page-18 紀元前25世紀には既にプントとの交易があったのですが、帝国の北にはエーゲ海に“テラ”(別名、サントリーニ島、Σαντορίνη、 Santorini もしくは ティーラ島、Θήρα、 Thira、ミノア文明下の大規模な港湾都市遺跡、アクロティリ遺跡)があります。(テラの位置に赤い小さい印をしておきました)そしてそこには、すでにダマスクローズがあったはずです。

  

アクロティリ遺跡には ”Ship procession fresco(6/22参考)” が描かれていました。古代エジプトとの文化交流があったのではと考えられます。

 

事実、エジプトのトトメス4世(Thutmose IV (紀元前1600年)の墓には古代エジプト文明におけるバラの最初の記録、バラを描いた象形文字があります。紀元前400年から200年のエジプトの埋葬室ではバラの花輪が発見されました。後年になり、エジプトの女王クレオパトラ(69-30 CE)は、マーカスアントニウス(Marcus Antonius , 83-30BCE)の道にバラの花びらを撒いたと言われています。

しかし、上の4行の内容に関する裏付けは、画像でお示しすることができませんでした。今のネット上では情報を得ることができませんでした。薔薇に対する関心度が個人的な嗜好の範囲内だったのでは、或いは薔薇から精油を取る技術がまだ成熟していなかったのかも知れません。後で登場しますが(発掘されたアッシリアとメソポタミアの楔形文から、シュメール人とアッシリア人(BC1200)が、香りを抽出する技術を最初に習得していたことが明らかになっています。)乳香とミルラの魅力にはとてもかなわなかったようです。

 

紀元前26世紀、エジプト第4王朝のクフ王の時代にプント国から黄金がもたらされたという記録があり、また、紀元前25世紀、エジプト第5王朝のサフラー王はプント国との交易を行っており、没薬と白金(第18王朝時代にファラオの装身具に使われた)が輸入されています。

エジプト第11王朝のメンチュヘテプ3世の時代(紀元前1950年頃)エジプトから紅海までの陸路の整備が行われました。

古代エジプトでプントとの交易に最も熱心なファラオの一人だった紀元前15世紀のエジプト第18王朝のハトシェプスト女王は、カルナック神殿の埋葬品を調達するため、ヌビアの金を財源に紅海艦隊を作り、アカバ湾の最奥エイラートから、約500年ぶりとなるプントとの交易を行っていました。ハトシェプストの時代、プントからは乳香と没薬(ミルラ)がもたらされました。ハトシェプスト女王葬祭殿には5隻の船団による航海の記録がレリーフで残され、そこには、ハトシェプストが航海責任者で大臣でもあるネシにプントから宝物を奪い取るよう命じたかのような説明があります。プントから輸入された品は香料や黒檀の他、アフリカ各地から運ばれてきた金、象牙、毛皮などでした。

ハトシェプスト王の統治から9年、神アメンへの航海成功の祈願が残されており、そこに生きたままの香の樹を始めとする宝物を持ち帰るとの決意が述べられており航海の困難さが窺えます。エジプト第20王朝の時代、つまりエジプト新王国の時代が終わると、プントとの交易は途絶え、プントは神話と伝説の国となり、非現実的な夢の国として語られるようになりました。

 

    女王ファラオ ハトシェプストの命令によるプントの国への遠征