理由もなく「広島二科賞」を辞退させられた謎 ~ ご理解お願いします
以前、私が広島二科写真公募展で二重応募して辞退したと、多くの人に誤解されている様です。
事実と違った事が言い伝えられては困ります、最近でも間違った噂を聞きました。
私は広島二科公募展で、二重応募したことは一度もありません
この件は、胸の中に収めて墓場まで持っていくつもりでしたが、二科会写真部広島支部の議事録
が残っているとしたら、大きく間違った記録が記載されている筈です。
私がこの世を去ったのち、それらが事実として扱われると思うと、それだけは絶対に避けたい。
今まで真面目に生きてきた私の人生ばかりか、家族や子や孫の代までも大変迷惑をかけるので
生きている内に、記憶が鮮明な真相を公表する事にしました。
30年以上も前ですが、広島二科公募展で広島二科賞が2年連続で受賞が決まった時の事です。
写真界の重鎮(故)林 忠彦先生が広島二科賞を決めて頂いた際、その年の本展で入選している
写真に似たようなものがあると言われた広島の代表者に対して、そんな事は無いと言われて
広島二科賞が決まったと聞いております。
それを知ってか知らずか無視して、某デパートで写真展が始まる一週間ほど前、大変影響力のある
人たちが二科展(本展)で入選していた写真がそっくりだと言って支部長に詰め寄ったようです。
その結果、支部長令として「辞退せよ、その替わり広島二科賞の席は繰り上げず空席にするから」
と納得のいく説明もなく一方的に告げられ、併せて入選も辞退させられました。
既に印刷してあった大量の入選目録も全て廃棄され、お金をかけて新しく目録が印刷されました。
さらに、その裏で大変なことが起きているとは、知る由もありませんでした。
関係した幹部たちが、各地で二重応募して辞退したかの如く説明しているのを聞いた時は愕然です。
過去に前例の無かった広島二科賞の空席に、多くの人達が関心を持っていたので、事実と違う噂が
流れ、当時大きな話題となりました、写真が一番楽しかった頃だっただけに、とても辛かったです。
それでも私から反論した事は一度もありません、何故なら写真を続けていく上で怖かったからです。
その後、どんなに辛いどん底の写真人生が待っていたか・・・
しかし、写真を辞めようと思って事は一度もありませんでした。
努力して学んだことを実行してシャッターを押せば、直ぐに結果が出るから楽しかったからです。
写真(A)は土手の上から撮影した写真で、写真(B)は川の中に入って正面から写した写真です。
AとBは撮影地点が違うので背景も違うし、AとBは鳥の向きが反対を向いていて形も違います。
表現技法は似ていますが、類似作品ではないと判断して応募しました。
また、当時の支部長に事前に見てもらったうえで応募していたのに、何ともつまらない話です。
二重応募という話は論外、そこまでして辞退させなければいけなかったのか、理解に苦しむ。
一部の幹部が先導したとはいえ、はっきりした理由も告げず一方的に辞退させた二科会写真部
広島支部の責任は重大です。
私は至って真面目に写真を楽しんでいます、真相をご理解のうえ暖かく見守って頂ければ幸いです。
荒木 忠義 私の履歴書 (sakura.ne.jp) 令和4年4月25日