寿迎夢・寿迎夢

海砂利水魚水行末雲来末風来末

キッカケ

2013-05-10 | Weblog
「あなたに怒る心がありますか?」と尋ねれば、ほとんどの者が「ある」と答えるだろう。
では、「その怒る心を見せてください」と再び尋ねると、ほとんどの者が首を傾げてしまう。

なぜなら、間違いなく有るのだが「怒る心」は見せられないからだ。
ところが、誰かに「コツン」と頭でも叩かれれば、たちどころに「怒る心」が現われてくる。

「なにすんだよ!」と、怒りの言葉を発し怒りの表情を見せ、体全体で「怒る心」を
表現することになるだろう。

平常心のときでは「怒る心」は潜在化していてどこを探してもみつからない。
だが、怒るべきキッカケがあれば「怒る心」が顕在化してくるのだ。

悲しい出来事があれば、「悲しみの心」が現われ体全体で悲しみを表現するに違いない。
美味しい食べ物が目の前にあれば、食べたいという「欲望」が現われてくるのである。

これと同じように、人間には未だ現われていないいくつもの性分が潜在化している。
つまり、どのような人間にも自分を変身させる可能性が秘められいて、その性分は
キッカケがあれば顕在化するのである。

「キッカケ」とは何か……。
それは、環境である。

人間と環境は密接に関係しあい、互いに影響しあっている。
悪しき環境に接すると悪しき性分が、善き環境に接すれば善き性分が顕在化することを
知るべきだろう。

[演歌] 大沢桃子「京都洛北路」 2010年9月8日発売!