めんどりおばあの庭

エッセイと花好きのおばあさんのたわ言

ブログに四苦八苦

2014-03-12 09:18:33 | 日記

 昨日に比べて少し気温が上がったようです。

 庭の白梅が満開です。娘が生まれた年に植えた梅の木。
 
 樹齢48年を超えています。大きな実をつけます。

 毎年、娘夫婦が梅もぎを手伝ってくれていました。

 昨年は手伝ってくれた娘が逝き、81歳の夫が梅の木に登り、
 手の届くところだけもぎました。

 何を見ても娘を思い出します。

  
 ブログを再開したことをアメリカにいる妹に知らせたところ
 見てくれ、コメントを寄せてくれました。

 妹は息子ばかり三人。私の娘を可愛がってくれました。

 ところが、妹からのコメントが開けません。
 多分、最初の設定に問題ありと、色々試してみましたがお手上げです。
 
 

 今まで、困ったときには娘に電話していた駄目な母親。
 仕事が忙しくても都合をつけて来てくれてた娘。

 ブログも手探り状態で書いてます。

 娘が遺してくれたブログ、何とか続けましょう。

 
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この曲が終わったら

2014-03-11 10:25:10 | 日記
 
亡き娘が好きだった須藤薫さんの曲を聴きながら
病院のベットで友人に送信した娘の最後のメールを
読み返した。
 2013年3月6日のメールだ。


 一人に戻るのね・・・♪
 が、このニュースを知ってから、頭の中回ってました・・・

 「涙のステップ」・・・歌手の須藤薫さんが死去
 (読売新聞ー03月04日21:01)

 学生時代、杉真理くんがらみでよく聴いてました。
 
 高三の夏休みに、ユーミンと真理くんと三人でやった
 ジョイントライブにすごく行きたかったけど、受験だったし、
 お金なくてあきらめたことを未だに後悔。
 で、当時ちょうどオープンしたての立川の駅ビル(当時はまだ
 ルミネではなくWILLだった)で、ミニフリーライブがあって、
 それはなんとか一人で見に行ったんだよね。
 二曲ぐらいだったけど、ものすごく近くで見れて、貴重な体験
 でした。
 その後、絶対フルライブに行きたいと思いつつ、いけずじまい
 だっんだよね・・・

 真理くんのライブは結構行ったのに、なぜか薫ちゃんのゲスト
 の回にはなかなか当たらず・・・

 やっぱり、ライブは行きたい時行ける時に思いきらないとだめ
 だなぁ。

 で、実家にカセット(笑い)とCD数枚あるのだけど、今聴けず、
 仕方ないから、ネットの音源ひろって聴いています。

 改めて聴くと、やっぱり、名曲揃いだよなぁ。
 そして、高校、大学時代のいろいろな想い出が甦ってくる。
 ベタな表現ですが、私の青春そのもの、だったんだなぁ、と。

 どうか安らかに・・・                    

   
 このときの娘の気持ちを思いやると涙が止まらなくなる。
 このメールの一ヶ月半後に娘は逝った。
 今頃、天国で須藤薫さんに会っているかしら。
 偶然だが、須藤薫さんは学部は違うが娘の大学の先輩だった。
 

 進行性のガンに冒され、余命を告知され、それでも愚痴を
 こぼさず抗がん剤の治療を受けていた。
 我が娘ながらその頑張る姿に尊敬の念さえ抱いた。

 娘のつれあいが、娘が聴いていた曲を我が家のテレビの
 HDDに入れてくれた。 
 数え切れないほどの曲だ。ジャンルも様々。
 娘は「私は音楽がなければ生きていけない」とつれあいに
 言っていたそうだ。
 最後の入院の前にも中野サンプラザまでライブに行ったそうだ。

 そして、旅行が好きで最後の桜の咲く頃、彼と沖縄を旅した。
 
 そして、私たちには東京駅前のホテルの「アフタヌーンティ」の 
 予約のプレゼントがあった。 

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めんどりのお話し

2014-03-10 19:55:07 | 日記

年のせいか、最近、やたらと子供の頃を思い出す。

戦後の食糧難で我が家でも鶏を数羽、飼っていた。

祖母が知り合いから貰ってきた有精卵を孵化して育てた鶏だった。

その時に、鶏は21日間で孵化することを学んだ。

小学校に行く前に鶏の餌やりが私の仕事だった。主に菜っ葉類を刻んで

糠に混ぜて与えていた。私は南九州の祖父母の家に預けられていたのだが、

霧島山麓の冬の寒さは厳しく、冬の餌作りは冷たくて嫌な仕事だった。

私の手はしもやけで赤く膨らんでいたのだ。

それでも祖母が作ってくれたお弁当には、甘くて美味しい炒り卵が

たっぷりと詰まっていた。

初夏のある日のこと、私は祖母の前に正座させられていた。

鶏小屋の卵がなくなったが、あなたが食べたに違いないと言うのだ。

勿論、私には身に覚えがない。生卵をつまみ食い、否、飲むなんて

そんな野蛮でお行儀の悪いことをするなんて。

否定しても祖母は頑として聞き入れない。

祖母は島津藩士の娘で誇り高い人だった。

私には、昔、近所の家の青い柿の実を食べた前科があったからであろう。

その実は渋くて食べられたものではなかったが。

その時にも、こっぴどく叱られてお腹にお灸をすえられた。

食べ物のない時代で、私はいつもお腹を空かせていたのであろう。

それとも元来、食いしん坊だったのかも。

鶏小屋は裏山に面していた。小屋の側に物置があり、その柱に青大将の

脱皮した抜け殻が絡まっていた。私は卵を盗んだのは青大将だと思ったが

祖母は口答えと言い訳を許さない厳しい人だった。

結局、祖母に誤解されたまま、罰として長時間、正座させられたのだ。

今でも思い出すと悔しくなる思い出である。


鶏にはいろいろと思い出がある。

母方の叔母は小学校の教師で独身を通した。

この叔母も、私には厳しく恐い存在だった。

その叔母がメリーと名前をつけて鶏を飼っていた。

鶏小屋は低い土地にあり、大雨で水浸しになりメリーさんは溺れて

死んでしまったのだ。

後年、叔母を訪ねたとき、空っぽの鶏小屋の前で気丈な叔母が涙ぐんでいた。


私を育て、可愛がってくれた人たちは、もう、いない。






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2014-03-08 22:03:35 | 日記
「めんどりの庭」を立ち上げ、最初の投稿だけで投げ出してしまいました。

あれから4年の歳月が過ぎました。

人生は後悔の連続。

明日のことは分かりません。


ブログの立ち上げを手伝ってくれた娘は昨年、天国に召されました。

進行性のがんでした。

親より先に逝くなんて。

私は娘のために何をしてあげたのでしょうか。

後悔ばかりです。

今朝の、朝ドラの中で「子供を亡くした悲しみは死ぬまで続く」

と、言う台詞がありました。

もうすぐ一周忌です。

どうしようもない深い悲しみの中、「めんどりの庭]を思い出しました。

余命を宣告されている中、娘は最後まで生きる希望を持ち続けました。

娘が、このまま無気力に生きている私に、お母さんしっかりしてと、

「めんどりの庭」を思い出させたのでしょうか。

大雪に押しつぶされながらも、パンジーの花がしっかりと根を張り

健気に咲いてます。





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