遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

詩人あの人この人~林芙美子その24「織田作之助と絶筆と」

2023年10月02日 | 読書



左:林芙美子1903(明治36)-1951(昭和26)( 右:輪島昭子(?)・・・撮影は1927(昭和22)

林芙美子は、無頼派の太宰治・坂口安吾・織田作之助らと親しくしていた。
芙美子も女性無頼派みたいなところがある さぞ意気投合したことだろう
自殺マニアの太宰から一緒に死のうと誘われ 一蹴した逸話もあるようだ
上の写真の輪島昭子という人、織田作の3番目の妻である

芙美子と織田作や昭子が知り合った顛末は以下の通り
1946(昭和21)11月 
織田作は新聞連載中の「土曜婦人」の取材のため昭子と二人で上京
その時に雑誌社が芙美子と織田作との対談を企画 対談は林邸で行われた
テーマは「処女について」というもの だった

織田作の「可能性の文学」の一節を超要約記述引用(リンクの青空文庫より)
"同じ商売の林芙美子さんですら五尺八寸(約176cm)のヒョロ長い私に会うまで
五尺(約152cm)そこそこの前垂を掛けた番頭姿を想像していた
だから読者はどんなけがらわしい私を想像していたか知れたものではない
バイキンのようにけがらわしい男だと思われても所詮致し方はない
しかし、せめてあんまり醜怪な容貌だとは思われたくない
私は一昨日「エロチシズムと文学」という題で朝っぱらから放送した
その時のアナウンサーは妙齢の乙女 「只今よりエロチ……」と言いかけて
私を見ると耳の附根まで赧くなった
私は十五分の予定だったその放送を十分で終ってしまった
残りの五分間で「皆さん、僕はあんな小説を書いておりますが、僕はあんな男ではありません」と絶叫して・・・

この時の「エロチシズムと文学」について
ここでの織田作は 無頼派より戯作派というほうがふさわしいかもしれない 

「処女について」という対談内容の記録は無い
ともかく反権威・反権力では筋金入りの2人 意気投合したことは間違いない
対談のあと 芙美子は料理を作って織田作と昭子らをもてなした


織田作之助 1913(大正2)- 1947(昭和22年) ルパンにて 

1946(昭和21)12月
織田作は泊まっていた銀座裏の宿で持病の結核による大量の喀血を起こす
芙美子・緑敏夫妻は 薬やカンフル剤や酸素吸入器の入手、入院手配をする等
昭子を扶けたが 翌年1月 織田作は入院先の病院で死去 未だ33歳だった

織田作の「土曜婦人」は連載中止となり、後に未完のまま文庫本化された
その解説に"若くして逝った彼の文学は逞しいものだと私は思う。惜しい。惜しくてたまらない"と芙美子は書いている

織田作と知り合った時 芙美子は「めし」を執筆中だった
その舞台は大阪 大阪弁が書けず困っていた芙美子に織田作が友人を紹介
芙美子が大阪を舞台に書き 織田作が東京を舞台に書く
この交錯は単なる偶然なのか それともお互いに響き合うものを感じたからか
しかも「土曜婦人」「めし」共に 未完の絶筆となった

残念ながら芙美子の「めし」はまだ青空文庫化されていない
代わりに芙美子の体験が活きている「リラ」の女達(青空文庫リンク)

24回に及んだ林芙美子シリーズも今日で終わり
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]