遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

こんな人がいた~「杉並シリーズその12 寺山修司その10 海と猫と言葉と」

2023年10月28日 | 読書


今日は寺山修司の交友録を一休み 言葉の面から彼の詩作品を眺めてみる  
修司の作品を読んでまず感じるのは 意表を突く言葉の組み合わせだ

たとえば代表的な彼の短歌の例
"マッチ擦るつかのま 海に霧深し 身捨つるほどの 祖国はありや "
上の句と下の句のギャップは何だろう 叙景と叙事・・・ではない
よくわからないが 彼の場合はすべてが心象風景のような気もする

 「海」の言葉も多く使われるが、
 例えば 「一ばんみじかい抒情詩」
 "なみだは にんげんのつくることのできる 一ばんちいさな 海です"
なみだ=海・・・寺山が「言葉の錬金術師」と呼ばれる所以なのだろう

次てがみ=さかな となる次の詩も同様  
"つきよのうみに いちまいの てがみをながして やりました
  つきのひかりに てらされて てがみはあおく なるでしょう
  ひとがさかなと よぶものは みんなだれかの てがみです"

「かなしくなったときは」
"かなしくなったときは 海を見にゆく 古本屋のかえりも 海を見にゆく
あなたが病気なら 海を見にゆく 心貧しい朝も 海を見にゆく
ああ 海よ 大きな肩とひろい胸よ
どんなつらい朝も どんなむごい夜も いつかは終わる
人生はいつか終わるが 海だけは終わらないのだ
かなしくなったときは 海を見にゆく 一人ぼっちの夜も 海を見にゆく"

言葉が時空を超えて広がりを増す
哀しい→海を見る→朝も夜も→終わる→朝も夜も人生も→海は終わらない

修司は「猫」が好きだったのだろうか? 猫の詩も多い
「少年時代」
"長靴をはいた猫と ぼくとが はじめて出会ったのは
書物の森のなかだった
長靴をはいた猫は ぼくに煙草をおしえてくれた ちょっといじわるで
いいやつだった
長靴をはいた猫と わかれたのは 木の葉散る秋という名のカフェ
その日ぼくは はじめて恋を知った
人生のはじまる前と 人生のはじまった あと 
そのあいだのドアを すばやく駆けぬけようとした
ぼくの長靴をはいた猫は いまどこにいるか?"

「名詞」 思わず笑ってしまう詩 こういう奇想?はどこから出て来る? 
"恋という字と猫という字を入れ替えてみよう
「あの月夜にトタン屋根の上の一匹の恋を見かけてから
ぼくはすっかりあなたに猫してしまった」と
それからブランディー をグラスに注いで いると
恋がすぐそばでひげをうごかしている"

今日の最後に一曲(歌詞付き)
「ふしあわせという名の猫」詞:寺山修司 曲:山木幸三郎 歌:カルメン・マキ 


{Rosey]