
今日の修司交友録は青森時代の俳句仲間について書く
1949(昭和24) 修司13歳 翌年朝鮮戦争勃発('53年まで)
修司は青森市の映画館「歌舞伎座」に身を寄せ 野脇中学校2年に転入した
句作をしていた京武久美(きょうぶ ひさよし)と知り合い俳句を創り始める
京武と共に文芸部に属し 学校新聞に俳句・詩・童話を熱心に投稿する

野脇中学校2年の時の寺山修司と京武久美1936(昭和11)ー存命中:俳人
1951(昭和26)~1954(昭和29) 修司15~17歳 青森高校時代
青森高校に入学 新聞部・文芸部に所属する
京武と共に「山彦俳句会」を結成し 「校内俳句大会」」を開催する
同じく京武と俳句雑誌「牧羊神」を創刊する→【山形健次郎】
第1回全国高校生俳句コンクールが行われ寺山2位となる(1位は京武)
第1回全国高校生俳句コンクールが行われ寺山2位となる(1位は京武)
※京武は卒業後、東北海運局職員となる
金子兜太主宰の「海程」の同人メンバーとして活躍 句集「二月四日」
インタビューの終わりに「戦争は知らない」の歌が入っている
寺山修司作詞 「戦争は知らない」
"野に咲く花の 名前は知らない だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの
帽子にいっぱい 摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの
戦争の日を 何も知らない だけど私に 父はいない
父を想えば あゝ荒野に 赤い夕日が 夕陽が沈む
戦さで死んだ 悲しい父さん 私は あなたの娘です
20年後の この故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの
見ていて下さい 遥かな父さん いわし雲とぶ 空の下
戦さ知らずに 20才になって 嫁いで母に 母になるの"
父を想えば あゝ荒野に 赤い夕日が 夕陽が沈む
戦さで死んだ 悲しい父さん 私は あなたの娘です
20年後の この故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの
見ていて下さい 遥かな父さん いわし雲とぶ 空の下
戦さ知らずに 20才になって 嫁いで母に 母になるの"
【山形健次郎】「牧羊神」創刊時のメンバー
寺山修司の資料映像は出て来るが 談話としては無い
今日はここまで 次回は早大時代の交友録の予定
明日またお会いしましょう
[Rosey]