1945/S20年 荷風67歳
開戦から4年目 この年の日誌から主な出来事を超要約記述記述する
01/01 日誌が29巻になり感慨深い
・・・その後 日を追って空襲警報、砲声など日増しに激しくなる・・・
01/27 有楽町・銀座地区が爆撃される(この日誌は摘録に無し)
1945年1月27日空襲 数寄屋橋上を逃げ惑う親子(Wikipedia)
02/25 神田周辺に焼夷弾爆撃(日乗では27日付で被害地域等記述)
03/10 明け方 窓外火光で照り隣人の叫び声で眼を覚ます
手カバンに日誌と草稿を入れ庭に出ると 火の手近くまで来ている様子
表通りへ出て逃げ惑う人々の中を霊南坂西班牙大使館近くの空地で小憩
26年間棲んだ偏奇館 せめてその焼け落ちる様を見ようと戻り始めるが
既に荷風の家も燃え始めたと 近隣の人々に言われ諦めた
その後 荷風は 代々木の五叟(※)の家に向かう
※杵屋五叟:荷風の従弟・邦楽家・荷風の養子永光の父
市中の様子を見に出かけた五叟父子の語るところ
「北は千住から南は芝、田町までが灰になった 浅草一帯、本所、向島、
玉ノ井など全て焼失 明治座に避難した人たちも皆死んだ」
1945年3月10日、空襲直後の日中の東京(Wikipedia))
1945-3-10 浅草仲見世 (Wikipedia)
1945-3-10 鎮火後の街の風景 (Wikipedia)
東京戦災地図(Wikipedia)
3月10日以降も空襲は続くが 今日はここまで
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]