![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b6/a1ae11f4d60c74163c633d13934f10e9.jpg)
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檀夫妻と太郎・次郎・小弥太(石神井)
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ふみが生まれて(石神井)
1956(昭和31) 檀44歳・ヨソ子33歳
帰宅した檀から杏子と「事」起こしたと聞かされ、ヨソ子は翌日家を出た
愛人が名前も知らない他人なら、まだ二人を許せたのに、と思いながら・・・
そして、鎌倉に住む待鳥京子などを頼り、一人で生きて行こうとする
2週間ほどして、檀の書いた杏子との「事」の顛末が雑誌に載った
事が起きて2週間ほど、家を出た私への嫌がらせか、とヨソ子は更に傷つく
ともかく自分の荷物を取りに、いったん石神井の家に戻る
檀は杏子と山の上ホテルで同棲していた
家は義母(檀の実母トミ)が取り仕切っていた
仲人の与田を交えて離婚の話し合いが行われ、二人は別居することになる
なお、トミは一雄9歳の時、若い医大生と出奔した過去がある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/70/e9f2b94ffc14a7eb5ab2fa4a4a7d04a9.jpg)
その後、檀と杏子は別れるが、ソヨ子は檀が死ぬまで面倒を見ることになる
夫婦のことは他人が理解しようとするほうが無理だろうが・・・
さて、檀の話も食傷気味、今日で檀捨離するつもりで、檀の放浪の跡を追う
1964(昭和39) 師の佐藤春夫没する
1970(昭和45) ポルトガルのサンタクルスに居を構え、1年2ヵ月滞在
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地元では先生扱いで、家には標識が掲げられている
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1971(昭和46) ヨソ子が檀の体調を心配しポルトガルを訪ね2か月半滞在
1972(昭和47) 檀が日本へ戻る
金木町での講演の際、弘前城にヨソ子と旅行する
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1974(昭和49) 檀は福岡市西区能古島に自宅を購入、一人転居する
1975(昭和50) 悪性肺ガンのため九州大学医学部付属病院に入院
『火宅の人』執筆を再開、病床で最終章をヨソ子立会で口述録音する
1976(昭和51) 檀没する(享年63歳)
辞世の句「モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん」
1994(平成06) ヨソ子72歳 沢木耕太郎の取材に対応
2015(平成27) ヨソ子没する(享年92歳)
最後に余談を幾つか、いや、余檀かな
・大親友だった太宰と、泥酔してガス心中を図ったが未遂に終わった
・杏子との前に、タマネギ頭の女性映画評論家とも「事」を起こした
・太宰の死後、安吾と親友になり、彼の様々な仕事や事件に関わった
・料理し人をもてなすことが大好きで、檀流クッキングという本も書いた
それでは、次回から新たなシリーズを!
明日またお会いしましょう。
[Rosey]