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詩人あの人この人~江口章子・その8「流浪の旅5~生田春月」

2023年08月24日 | 読書


最初に瀬戸内本やネット情報を参考に、江口章子の父母・兄姉の名、
婚姻そのほかの人脈?を図にしてみた
以後、江口章子をテーマに書く時は、冒頭にこのPDFにリンクを張っておく



図中のうち「生田春月」から始めたい
章子の詩集「追分の心」に序文を寄せた詩人である
「追分の心」は以前にGーDriveにPDFを丸ごとアップした
が、該当ページを探すのがタイヘン 今回は「序」のPDFだけにした

洗練された美を愛する人、美に輝いた人、ろうたけた若い姿・・・
こんな序文を寄せられたら、章子でなくとも舞い上がってしまいそうだ

次に、詩集最後には春月の墓前、五周忌に詠んだ章子の和歌も詠んで欲しい
前のブログで書いたかどうか忘れたが、生田春月は自殺した(38歳)
大阪から別府へ行く船に乗り込み、播磨灘を航行中の船上から身を投げた
章子が「墓前に捧ぐ」を書いた1930(昭和05)年のことだった

妻と愛人の板挟みになって・・・が通説のようだ
妻は花田生世、彼女は章子の終生の友人だった
年若い愛人が他にいた、という説もあるが、真相は分かっていないようだ

「序文」にあるとおり、章子が有髪の尼僧になっていることは春月も承知だ
自分は坊さんにはなれない、行けない境地に行った章子さんが羨ましい・・・
とも書いている

しかし、死ぬ時は一緒に、と章子は春月に言っていたらしいのだ
だとすれば、「なんであの時、一緒に死のう、と言ってくれなかったのよ」
と章子が恨みがましい気持ちになったとすれば、それも分かる気がする

あの時、というのは「墓前に捧ぐ」「五周忌」で詠まれた時のことだ
また、仏門に入ったものの、心の安寧は簡単には得られないらしい
ここも、ぜひ京都にいる時のこの歌も読んで見て欲し

今日はここまで
それでは明日またお会いしましょう

[Rosey]

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