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http://sites.google.com/site/wwwscoliosisorgawareness/scoliosis-media-community-guide
ジェシカのケース
Jessica Fides(26歳)のこのごろは、体重の1.5倍の重量上げを行うことが日課と
なっている。しかし、そう遠くない昔にはもう二度と歩けないのではないか、
という不安に苛まされていました。
13歳のとき、ジェシカは思春期特発性側弯症と診断され、進行が進んでいたために
手術をしなければならない状態でした。しかし、いまは、大学に通学し、オリン
ピック選考にもノミネートされるウエイトリフティングの選手としても活躍してい
ます。
ジェシカは、側弯症の患者でもアクティブに生きていけることを証明することを
目標として毎日を歩んでいます。
「娘は競技ダンサーになるために練習に励んでいたので、本当にやせぽっちでした」
と彼女の母親は振り返ります。「ある日、六年生になったときですが、娘がレオ
タードを着たときに、娘の肩が傾いていることに気付きました」
「私はそれは娘がやせすぎているからだと思いました。でも、近づいてよく観察
すると背中が曲がっていることに気付きました」
ジェシカは側弯症と診断されたときのことを、恐怖と疑念に満ちた日々として記憶
しています。なぜなら、その病気がどういうもので、これからの彼女の人生にどう
いう意味を持つものかがまったく理解できなかったからです。
「私がはじめて側弯症とわかったとき、誰に相談していいかがまずわかりません
でした」
「母親とふたりで泣き叫んでいたことを思い出します。ふたりともこれがどういう
病気か、ということが理解できなかったのです」
診断の後、カーブの進行は早く、装具を着けようと注文し、それが届いた時には
もはやそれを着用することもできない状態になっていました。
それがきっかけとなり、彼女自身もそして両親も手術する以外に方法がないことを
知りました。
「もしそのときに手術していなかったら、きっと私の背中はもっとひどい状態に
なっていたと思います」とジェシカは言います。
「カーブの進行により、肺と心臓にも影響を与えていました。それが私の気持ちを
苛立たせ、手術のリスクは知っていましたが、ダンスがもう一度できるかどうか
それがわからずに不安でした」
1995年、ジェシカは脊柱固定手術を受けました。上位胸椎から腰椎まで固定され
四本のロッドで補強されました。一週間ほど入院し、手術後四日目からは歩行を
開始しました。そして、二ヶ月後にはダンスを再開していました。
「手術によって身体の動きが変化したことはわかりました。えびぞりになる動きは
できませんでした。日常生活動作で、ある特定の動きもできなくなっていました。
しかし、同時に、これだけ動けるじゃないか、ということを知ったときにはさらに
驚きでした。なぜなら手術を受けるために手術室にはいったときには、私は二度と
まともには歩くことができないかもしれないと思っていたからです」
それからの彼女は何にでもチャレンジしました。目の前に現れるものには何にでも
チャレンジしました。高校では、ウエイトリフティングに才能があることを発見し
それ以来継続してきました。フロリダガルフコーストチームに所属し、彼女の体重
クラスではつねに二位の成績をおさめてきました。
最近では、2008年オリンピック選考に選抜されるという出来事もありました。
またフロリダ大学では生理学と生化学を専攻し、今後は医学部に進学することも
計画しています。また、米国側弯症協会のスポークスマンとしても活動を続けて
います。
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(august03より)
ジェシカさんのケースがすべての側弯症患者さんに該当するわけではありませんが
彼女の前向きに生きる、という姿勢は、すべての側弯症患者さんにも当てはまる
ものと信じてやみません。
自分で制限してしまえば、それ以上の成長がありえないのは、何も側弯症だけに
かぎったことではありません。
側弯症は病気のひとつですが、側弯症を「病気」として人生をあきらめる理由は
どこにもありません。
お母さんがたも、こどもの成長と未来を信じて、勇気をもって歩んで欲しいと
願います。
http://sites.google.com/site/wwwscoliosisorgawareness/scoliosis-media-community-guide
ジェシカのケース
Jessica Fides(26歳)のこのごろは、体重の1.5倍の重量上げを行うことが日課と
なっている。しかし、そう遠くない昔にはもう二度と歩けないのではないか、
という不安に苛まされていました。
13歳のとき、ジェシカは思春期特発性側弯症と診断され、進行が進んでいたために
手術をしなければならない状態でした。しかし、いまは、大学に通学し、オリン
ピック選考にもノミネートされるウエイトリフティングの選手としても活躍してい
ます。
ジェシカは、側弯症の患者でもアクティブに生きていけることを証明することを
目標として毎日を歩んでいます。
「娘は競技ダンサーになるために練習に励んでいたので、本当にやせぽっちでした」
と彼女の母親は振り返ります。「ある日、六年生になったときですが、娘がレオ
タードを着たときに、娘の肩が傾いていることに気付きました」
「私はそれは娘がやせすぎているからだと思いました。でも、近づいてよく観察
すると背中が曲がっていることに気付きました」
ジェシカは側弯症と診断されたときのことを、恐怖と疑念に満ちた日々として記憶
しています。なぜなら、その病気がどういうもので、これからの彼女の人生にどう
いう意味を持つものかがまったく理解できなかったからです。
「私がはじめて側弯症とわかったとき、誰に相談していいかがまずわかりません
でした」
「母親とふたりで泣き叫んでいたことを思い出します。ふたりともこれがどういう
病気か、ということが理解できなかったのです」
診断の後、カーブの進行は早く、装具を着けようと注文し、それが届いた時には
もはやそれを着用することもできない状態になっていました。
それがきっかけとなり、彼女自身もそして両親も手術する以外に方法がないことを
知りました。
「もしそのときに手術していなかったら、きっと私の背中はもっとひどい状態に
なっていたと思います」とジェシカは言います。
「カーブの進行により、肺と心臓にも影響を与えていました。それが私の気持ちを
苛立たせ、手術のリスクは知っていましたが、ダンスがもう一度できるかどうか
それがわからずに不安でした」
1995年、ジェシカは脊柱固定手術を受けました。上位胸椎から腰椎まで固定され
四本のロッドで補強されました。一週間ほど入院し、手術後四日目からは歩行を
開始しました。そして、二ヶ月後にはダンスを再開していました。
「手術によって身体の動きが変化したことはわかりました。えびぞりになる動きは
できませんでした。日常生活動作で、ある特定の動きもできなくなっていました。
しかし、同時に、これだけ動けるじゃないか、ということを知ったときにはさらに
驚きでした。なぜなら手術を受けるために手術室にはいったときには、私は二度と
まともには歩くことができないかもしれないと思っていたからです」
それからの彼女は何にでもチャレンジしました。目の前に現れるものには何にでも
チャレンジしました。高校では、ウエイトリフティングに才能があることを発見し
それ以来継続してきました。フロリダガルフコーストチームに所属し、彼女の体重
クラスではつねに二位の成績をおさめてきました。
最近では、2008年オリンピック選考に選抜されるという出来事もありました。
またフロリダ大学では生理学と生化学を専攻し、今後は医学部に進学することも
計画しています。また、米国側弯症協会のスポークスマンとしても活動を続けて
います。
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(august03より)
ジェシカさんのケースがすべての側弯症患者さんに該当するわけではありませんが
彼女の前向きに生きる、という姿勢は、すべての側弯症患者さんにも当てはまる
ものと信じてやみません。
自分で制限してしまえば、それ以上の成長がありえないのは、何も側弯症だけに
かぎったことではありません。
側弯症は病気のひとつですが、側弯症を「病気」として人生をあきらめる理由は
どこにもありません。
お母さんがたも、こどもの成長と未来を信じて、勇気をもって歩んで欲しいと
願います。
どこにもありません・・・この言葉はとても響きました。
私は30歳台の昨年の秋、大人になってから手術をうけました。
手術を受けた身体の傷とともに心の痛みも大きく、「手術しなければ、これからもっとひどくなるかもしれない」という心配をかかえて生きなければいけないから良かったのだ!と頭では分かりつつも、まだ、手術して本当に良かったとプラスには考えられず、手術をして失ったものに目が行き、気持ちがツライことがあります。(よくないですね、マイナス思考は!)
が、術後10カ月たった今、そくわんの手術をした身体ですが結婚もしようと前向きに活動?も始めました。
勿論結婚を本当にすることになったら、手術のことも、相手の人に病気の事も話さなければならないと思うのです。それは、私にとって今までもこれからも大変なツライことです。そくわんが子供に遺伝する可能性があると考えることも、私にとっては怖いことでした。
が、ツライ!大変!怖い!と思わずに普通の事のように話ができるようになればと思っています。
今までそくわんだからって、人生つらいことだらけだったわけではないし、好きな人も好きになってくれる人も沢山いて、そくわんであることで、確かに結婚や人との付き合いに躊躇があったことは否めないけれど、もっと自分の病気にだけ集中せずに、病気を恥じずに、大きな視野で見られるようになりたいと思っています。
すみません、ちょっとまとまりありませんが、きいていただきたくて、そして自分に言い聞かせるようにかいてしまいました。掲載されなくても結構です!
august03さんのブログに励ましていただいている人がいっぱいいます。
どうぞお身体を大切に、元気にいらっしゃってください。