少し歩いただけで足が痛み出す童話の人魚姫とは違って、ナオミの足は丈夫だった。少女時代の海岸遊びと訓練のたまものだった。
講演が終わるとナオミはゴムまりのように弾んで階段をかけ抜けた。
なぜ彼女はマウスピークスとの邂逅にそれほどまで興奮したのだろう。
悩み続けてきた問題の答えが与えられる予感を得たせいかも知れなかった。
ドアをノックすると返事を待つ間さえももどかしくドアを開けた。
「元気のいいお嬢さん。階段を段飛ばしに上る音が聞こえたわよ」
マウスピークスは巨体をカウチに沈めていた。
竜延香・・・・・・ナオミが入ってきた瞬間、かすかに漂う香水に気づいた。
興奮した犬のように息を切らしたナオミは言った。
「すいません。二段飛ばしに来ました。ナオミ・アプリオールと言います」
「つっ立ってないでおすわりなさい。何か聞きたいことがあるんでしょう」
指さされた応接椅子を見た時、ナオミは気がついた。興奮しておしかけたが質問など何も考えていなかったことに。
思わず正直に現在の悩みを相談した。
「人生とはいったい何でしょう?」
マウスピークスは恐そうな表情を浮かべたが、しばらくすると大声で笑い出した。
どうやら、相手を間違えてるよというセリフは聞かされなくてもよさそうだ。
「真剣らしいわね。笑ったりしてごめんなさい。学生時代に英文学部で一番恐い先生が言っていた、なぜ人は文学を勉強するかという理由と答えが同じだわ」
ナオミは彼女が気を悪くしたのでないと知ってホッとした。
「人生とは何か? その質問に答えるためには人間性とは何かを考えなけりゃ。人生を考えることは人が生きる意味を考えること。人間という存在を規定し他の動物から隔てているもの。それは、人間が余計なことを考えるってことじゃないかしら」
「余計なこと?」
「たとえば学問。学問がなくても死ぬわけじゃない。でも人間は余計なものと百も承知で学問する。わたしはまだ犬に学校があるという話は聞いたことがないわ。たしかに番犬や警察犬の学校はあるけど、あれは彼らが自発的に行くのじゃなくて飼い主の意志が働いているわけでしょう。芸術もそうね。魚が美術館を作ったという話も聞かないわ」
ナオミは、魚だって芸術の何たるかくらい知ってるわと思ったが、はぁと間の抜けた返事をした。
「余計といっても、すべきじゃないって意味じゃない。しなくてもいいかもしれないけど、すれば世の中のためになる。それで他人が、もしかして自分までハッピーになるなら素晴らしいことじゃない。社会的使命や貢献、親切、生き甲斐、思いやりとかは人間もまんざら捨てたもんじゃないって気にさせてくれる。それにね、最初はムダと思ったことが後からすごく役に立ってるってことは多いわ。たとえば、気が進まないけど行ってみた講演会で思いがけない出会いがあったり。ここまでは、答えになってる?」
いつかケネスに聞いたことに似ているとナオミは思った。
「もちろんです。でも・・・・・・」
「でも、何?」
「何なのでしょう? 生きる目的って?」
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