「つくづくおもしろい子ね」
マウスピークスは考える様子をした。
「『人生はただ歩きまわる影法師、哀れな役者だ』。聞いたことある? 」
「はい」夏海が持っていた教科書で見かけたことがあった。
「そう。でもわたしには、そこまでシニカルには考えられない」
「シニカルでしょうか?」
「文学的ではあるけれどシニカルとは思わないかな。わたしたちは、台本のない芝居を演じてるようなものだわ。『人生』を生きる。それはあなたがさっきしたように階段を上るようなもの。さまざまな出会い、楽しいこと、苦しいこともあって。時には立ち止まって、踊り場で休むことも必要。どこまで上れるかは誰も知らないし、最後に何が待っているかもわからない。他人の階段がどうなっているかもわからない。誰かと一緒に行くこともあれば途中から別れ別れになることもある。でも、あなたがみたいな二段飛ばしはおすすめしない。だって転んだらけがをするわ」
ナオミは真っ赤になった。
「ひとつはっきりしてることがある」
「何でしょう?」
「階段をどこまで上るか、どこで立ち止まるのか、誰と上るか、あるいは降りるか、それを決めるのはつねに自分自身ということ」
「決めるのは自分自身・・・・・・」
「どんな台本を演じるかを決めるのは自分自身。人類をホモ・サピエンス(知恵のある人)と呼ぶでしょう? 他にも、アリストレスが言ったホモ・ファベル(作る人)、ホイジンガが言ったホモ・ルーデンス(遊ぶ人)とかいろいろな総称で人は自分たちを定義してきたわ。今、私はホモ・コントラバーシア(葛藤する人)という論文を今書いてるの。わたしの意見では、人を人ならしめているのは、自律、自らを律すること。つまり自ら何が正しいのかの基準を決めて行動すること。でも、それは同時に多くの葛藤を抱え込むことでもある」
「すいません。自らを律するって何でしょう?」
「難しい言葉を言いたがるのは学者の悪い癖ね。わかりやすく言えば、自律は自由意志を持った個人として行動すること。それは権利と同時にさまざまな責任を伴う。他人が自分の役割や仕事を決めてくれたら楽かも知れないけど、本当にしたいことを追求出来なくなる。これならわかる?」
誰かによって役割が決まると聞いて、ナオミは神々の世界を考えた。
「少しだけど、わかります」
「正直でよろしい。校長が古い友人で、今日の講演を頼まれたんだけど、あなた以外には嫌われちゃったみたいね」と言うと、彼女は豪快に笑った。
「とんでもないです。最高の講演でした」
「ムリしなくてもいいわ。でも、あなたには最高だったみたいね。時間がなくなっちゃったわ。この後、校長に会わなくちゃ。今日はお話しできて楽しかったわ」
どっこいしょと、彼女が巨体を持ち上げた。
「わたし、あなたの学校に行きます。コミュニケーション学を教えてください」
ナオミが、愛の告白でもするように言った。マウスピークスはにっこりした。
「リクルートはうまくいったかな。次はカンザスで会いましょう!」
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