シーズン幕開けの北アイオワ大学主催ディベート大会が目の前に迫っていた。かつて同大学ディベート部監督を務めた故ウォルター・オーレックの名を冠した大会は、参加校も多く各大学も重視していた。
オーレックの名声を確実なものにしたのは、彼の提唱した白紙状態審査哲学(tabula rasa paradigm)であった。ラテン語の「白紙状態」を意味する「タビュララーサ」を基本とした彼の審査哲学は、広汎な支持を得ることはできなかったが、ディベーターと審査員の両方に大きな影響を与えた。
審査哲学とは、そもそも「どのようなメタファーを通じてディベートを見るか」という問題である。なぜなら引用された資料の多寡や専門家の権威をチェックするだけでは、現在進行形や近未来に関する政策の評価はできないからである。ディベートとは、論題の採択を主張する肯定側と、論題の採択を拒否する否定側による議論ゲームであり、審査哲学とは判定を行う前提と言える。
ディベート界における60年代までの支配的審査哲学は、定常争点審査哲学(stock issue paradigm)であり、裁判のメタファーでディベートを審査する考え方であった。肯定側は、現状(the status quo)は問題を解決できないという点で「有罪」であり、論題の採択は不可避であるという立場である。一方で、否定側は、現状で問題解決は可能であり「無罪」であるか、彼らの提示する代案(counter-plan)によって問題は解決されるために論題の採択は不要という立場である
この審査哲学は、古代ギリシアの哲学者アリストレスが提唱した政策決定の枠組みである問題(ill)、原因(blame)、解決法(cure)、費用(cost)にまでさかのぼる。4つの論点は、順に、害の重要性、内因性、解決性、不利益に置き換えることができる。定常論点は、ディベートの試合におけるチェックリストの役割を果たしている。肯定側は、第1立論で最初の3つの論点の証明を求められるのである。試合を通じて、否定側が4つの内1つの論点にでも勝利を収めれば彼らの勝利であり、肯定側が4つとも守り抜くことができれば彼らの勝利となる。
定常争点審査哲学に基づくディベートでは、肯定側は、現状変革の必要性、解決案、利益を示す「問題解決型」(Need-Plan-Advantage)と呼ばれるケースを用いることが多かった。
ところが、70年代に入って、各国政府が幅広い調査と研究に基づき包括的な政策決定を行うようになった結果として、一つの問題に複数の原因が存在したり、複数の解決策が現在進行形で行われたりするようになると、問題解決型は時代遅れと考えられるようなった。
次の時代に支配的になったのは、政策決定型審査哲学(policy-making paradigm)である。この審査哲学は、政府や自治体における政策決定者のメタファーによってディベートを審査するという考え方である。政策決定型審査哲学に基づくディベートでは、肯定側は、システム理論の応用によって、まず現状とは異なったプランが提示される。次に、3つの小項目が提示されて、プランの採択が「現状と比較して新たに得られる利益」(comparative advantages)を達成すると論証される。最初の小項目が「現状分析」であり、現状ではそうした利益が得られていないことが提示される。第二の小項目が「利益を達成する過程」である。最後の小項目が「利益の影響」である。極論を言えば、ガチガチの政策決定者がジャッジなら、1セントでも費用が節約されると肯定側が証明すれば試合に勝利できるようになった。もちろん、否定側もプラン採択による「不利益」を戦略上の重点に変更した。
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