具体的には、70年代以降に提唱された代表的審査哲学には、以下のようなものがある。研究者が方法論を仮説にあてはめる方法で、議論の有望な真理と虚偽の判定を行うことをディベートの目的と考える科学のメタファーを用いた仮説検証審査哲学(hypothesis-testing paradigm)。さらに、ジャッジは試合の議論に耳を傾け、その後、知的な批評を実践することを追求すると考える解釈学のメタファーを用いた議論批評家審査哲学(argument critic paradigm)。また、理論的争点はゲームの必要性に従って判断されるべきで、すべてのゲームはフェアプレーを保証するルールを必要とすることを認めて、フェアプレーを何ものにも優勢させるべきだと考えるゲームのメタファーを用いたゲーム理論パラダイム(game theory paradigm)などがある。
ナオミが気に入っているのは、南カリフォルニア大学のディベート・コーチのトーマス・ホリハンが提唱する物語論審査哲学(narrative paradigm)であった。これは人を語り部と見なす政策決定の規範的モデルであり、スピーチを状況によって変化する「もっともな理由」(good reason)の構築と考える。肯定と否定側それぞれが提示するスピーチを対抗する2つの物語と見なし、どちらが内部的に首尾一貫しているか、どちらがこれまでの学んだ外部的な物語と整合性があるかという基準で審査するのである。
だが、ある意味で究極の審査哲学とも言えるのが、オーレックが提唱した白紙状態審査哲学であった。彼は、ジャッジがいかなる個人的先入観も持たずに試合に望むことを理想としていた。この審査哲学の信奉者は、ある議論や戦術を自らの偏見に基づいて拒絶することでディベーターを落胆させるのを避けるため、ディベーターが試合中に提示した審査哲学を認めたり、どの審査哲学を認めるべきかの議論をしたりすることさえも認めるのである。しかしながら、弱点はディベーターが試合中に審査哲学について何も言わなかった場合、結局、ジャッジは自分自身の基準による審査を余儀なくされる点であった。
聖ローレンス大学のナオミとケイティは、ディベート人生最後の4年生シーズンに華々しい活躍をしていた。この年のディベート論題は、「はたして合衆国政府は、地球空間を越える空間の探索及び、あるいは展開を意義深く行うべきか?(Should the United States Government significantly increase exploration and/or development of space beyond the earth’s mesosphere?)」であった。彼女たちは、9月の北アイオワ大学大会で準優勝、11月のノースウエスタン大学大会で優勝、クリスマス直前の南カリフォルニア大学大会で準優勝と申し分のない成績を残していた。
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