難民を生み出す最大の要因は戦争にある。現在、EUへ殺到している人びとも例外ではなく、直接的には2011年に始まったアメリカ/NATO、イスラエル、ペルシャ湾岸産油国によるリビア、シリア、イランに対する攻撃が原因だ。
中東に戦乱が拡がる切っ掛けは2001年のアメリカ軍によるアフガニスタン攻撃。2003年にはイラクへ軍事侵攻した。つまり、一連の戦争は「内戦」で なく軍事侵攻。攻め込んでいるのはアメリカを中心とする勢力であり、開戦の口実は嘘だった。アメリカに楯突きたくないという保身がこの侵略行為を「内戦」 だと言わせるのだろう。
何度も書いてきたが、軍事侵攻プロジェクトの出発点は
1992年に作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。ソ連の消滅を受け、潜在的なライバルを潰し、エネルギー資源を支配しようとしたのである。ネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が中心になって作成されたことから、こう呼ばれている。
現在、イラクからシリアにかけての地域ではIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)が破壊と殺戮を続けている。大きな 目的のひとつがシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すことで、これはウォルフォウィッツたちの戦略に合致している。
ネオコン/シオニストでCIA長官も経験した
デービッド・ペトレアス陸軍大将は「穏健派アル・カイダ」をISと戦わせるために使うべきだと主張しているが、勿論、そのようなものは存在しない。ISを攻撃するという口実でシリア政府を倒そうとしていると見られている。
故ロビン・クック元英外相も説明していたように、
アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。 アラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われる。いわば「派遣戦闘員」の登録リストのようなものであり、「オサマ・ビン・ラ ディンが率いる戦闘集団」というわけではなかった。ペトレイアスの主張を善意に解釈すれば、ISと戦う傭兵を雇うということになるだろうが、その前にやる べきことがある。兵站ラインを断つということだ。
ISについてジョー・バイデン米副大統領は昨年10月2日にハーバード大学で次のように語った:
ISの「問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦」であり、その「同盟国」はシリ アのアサド政権を倒すために多額の資金を供給、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してIS を強大化させた。
戦争を続けるためには武器や弾薬だけでなく食糧は絶対に必要。その兵站をシリアの前線へ運び込むルートをISはいくつか持っているが、中でも重要な兵站ラインがトルコからのもの。例えば、ドイツのメディアDWは昨年11月に
トルコからシリアへ武器や戦闘員だけでなく、食糧や衣類などの物資がトラックで運び込まれ、その大半の行き先はISだと見られていると伝えている。
また、ISは資金調達のためにイラクで盗掘した石油を密輸しているが、その石油を扱っているのは、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子が所 有するBMZ社であり、ISの負傷兵はトルコの情報機関MITが治療に協力、秘密裏に治療が行われている病院はエルドアン大統領の娘が監督していると伝え られている。しかも、トルコ政府のロビーとしてCIAの秘密工作部門の所属していたポーター・ゴスが加わったという。もし、アメリカ政府が本気でISを叩 こうとしているのだとしても、トルコから情報はISへ伝えられてしまう。
シリアとリビアで体制転覆プロジェクトが始動したのは2011年3月のことだが、そのときからトルコは反シリア政府軍に拠点を提供している。同国にある アメリカ空軍のインシルリク基地では、アメリカのCIAや特殊部隊、イギリスやフランスの特殊部隊から派遣された教官が戦闘員を訓練、シリアへ送り出して いる。
イスラエルでの報道によると、
シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が潜入、ウィキリークスが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、
アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでに
イギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも最近、報道された。
西側の政府やメディアはシリアへの軍事介入を正当化するため、シリア政府が民主化運動に対して「流血の弾圧」を行っていると宣伝していたが、現地にいた ジャーナリストは事実でないと語っていた。当時、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、バシャール・アル・アサド政権が暴力的に 参加者を弾圧しているとアル・ジャジーラやフランス24などの報道は間違いだと主張している。同国外務省の調査団が調べたところ、実際は限られた抗議活動 があっただけで、すぐに平穏な状況になったことが判明したというのだ。
この報告を読んで怒ったのがアラン・ジュッペ外相。EUへの加盟支援を餌にトルコをリビアやシリアに対する軍事作戦へ引き込んだのはこのジュッペで、シ リアとイラクにクルド国を作るというプランを持っていたという。ジュッペは調査団の報告を無視、シリアのフランス大使館へ電話して「流血の弾圧」があった と報告するように命じた。
また、DIA(アメリカ軍の情報機関)は2012年8月に作成した文書の中で、
シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。その当時、アル・カイダ系武装集団の戦闘員は大半がサラフ主義者やムスリム同胞団。シリアではアル・ヌスラというアル・カイダ系の武装集団が活動していることになっているが、この名称はAQIがシリアで活動するときに使っていたとDIAは説明している。
AQIは2004年に組織された武装集団。2003年にアメリカを中心とする軍隊がイラクへ侵攻し、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたフセイン体制を倒したことが大きいだろう。2006年にAQIが中心になってISIが編成され、今ではISと呼ばれている。
中東の難民を考える場合、忘れてならないのは1948年5月14日の「イスラエル建国」だ。歴史を振り返ると、1882年にエドモンド・ジェームズ・ ド・ロスチャイルドはユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供し、91年にはウィリアム・ブラックストーンなる人物がアメリカで「ユダヤ人」をパレスチナ に返そうという運動を展開している。
そして1948年4月4日、「民族浄化」を目的として「ダーレット作戦」を発動、9日未明にデイル・ヤシン村を襲撃して254名を虐殺した。住民の多く は石切で生計を立てていたことから、その時間に男は仕事で村を離れていた。犠牲者の多くは睡眠中だった女性と子どもで、35名は妊婦だった。
襲撃したのはイルグンとレヒ(スターン・ギャング)という武装組織だが、ハガナ(後にイスラエル軍の中核になる)と連携していた。ハガナはイギリスの情報機関MI6や破壊工作機関SOEの訓練を受けている。
この虐殺を見て多くのアラブ系住民が避難、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダ ン)に移住、その後、1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人。こ の難民問題は未だに解決されていない。それどころか、イスラエルは今でもパレスチナ人を虐殺し続け、それを「国際社会」は傍観してきた。