パトリック・シャナハン国防長官代理がヨーロッパ訪問を中止、5月3日にマイク・ポンペオ国務長官やジョン・ボルトン国家安全保障補佐官と密室で会議を開いた。ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権を倒すための方策について話し合ったと見られている。
アメリカの支配層はウーゴ・チャベスが大統領選挙で勝利した1998年からクーデターを目論んできた。第2期目が始まった2002年のクーデターではエリオット・エイブラムズ、オットー・ライヒ、ジョン・ネグロポンテが黒幕。
エイブラムスは1980年代からラテン・アメリカでの秘密工作に加わっている人物。当時、CIAはニカラグアの革命政権を倒そうとしていたが、その工作資金を調達するためにコカインの密輸に手を出していた。麻薬取引はCIA内部の調査でも確認されているが、有力メディアはその事実を封印するため、この問題を記事にしたサンノゼ・マーキュリー紙の記者を新聞社から追い出し、自殺に追い込んでいる。
ニカラグアだけでなく、エル・サルバドルでも秘密工作、いわゆる「汚い戦争」を実行していた。その戦争ではCIAの手先だった軍人や警官が1980年3月にカトリックのオスカル・ロメロ大司教を暗殺、その年の12月にはカトリックの修道女ら4名を惨殺している。1981年12月にはエル・モソテの村で住民900名から1200名を殺した。この村民虐殺についてエイブラムズはコミュニストのプロパガンダだと主張、偽証に問われることになる。
エル・サルバドルではアメリカの巨大企業にとって目障りな人びとを殺していく「死の部隊」が存在したが、その部隊を訓練していたのはアメリカの軍事顧問団。その中心的な存在だった人物がジェームズ・スティール大佐。
その当時、少将だったデイビッド・ペトレイアスはスティールの行っていることを見て感銘を受け、後に中央軍司令官となったペトレイアスはスティールをイラクへ呼び寄せ、そこでエル・サルバドルと同じように「死の部隊」を編成させた。
当時のイラク駐在大使は2002年のクーデターでエイブラムズと同じように中心メンバーだったジョン・ネグロポンテ。クーデター時は国連大使だ。その下でスティールは活動していた。
オットー・ライヒは1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、国連大使だったジョン・ネグロポンテ、そしてエイブラムズが黒幕だった。
結局、2002年のクーデターは失敗に終わる。OPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからウーゴ・チャベス大統領へ事前に計画が知らされたことが大きいが、それでアメリカ支配層があきらめることはなかった。
例えば、ウィキリークスが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもベネズエラではクーデターが計画されている。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに操られている機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入、チャベス派を分裂させ、それによってアメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。
この計画も成功しなかったものの、チャベスは2013年3月、癌のために58歳の若さで死亡して排除された。アメリカは発癌性のウィルスを開発、実際に使っていると言われているが、チャベスのケースがそれに該当するかどうかは不明だ。
チャベスの後継者がマドゥロだが、チャベスと違ってカリスマ性はない。チャベスの死による不安定化を利用して2014年にアメリカはクーデターを企てるが、成功しなかった。
その当時に比べ、アメリカ支配層の手先が動員できる人の数はかなり減っている。それは今回のクーデター劇でも明らか。「カラー革命」方式が失敗した後、政府要人や軍の幹部を買収しようと試みたようだが、うまくいかなかったようだ。
そこで好戦派はアメリカ軍を侵攻させようとしているが、軍人は無謀だと判断している。山岳地帯やジャングルがあり、ベトナム戦争と同じことになると見られているが、その広さはベトナムの比ではない。
そうした中、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はベネズエラのホルヘ・アレアサ外相と会談した後、ワシントンの無責任なベネズエラの政権を軍事力で転覆させようという計画は国際法に違反した行為であり、破局を招くと警告した。