地理的側面
ユーラシアの中東化
政治状況を変える情報通信革命
メディアの変化
次は90年代以降の携帯電話やインターネットや衛星テレビが、いかにイスラム世界を始めとして中東を変えたかということです。もともと中東諸国のメディアとしては、国営の政府系メディアのような検閲されたメディアしかありませんでした。
たとえばサウジの国営テレビでは、定時のニュースの始めは常に「きょう王様はどこそこに行って、誰と会った」から始まるのです。次に2番目として、「きょう皇太子はどこそこに行って、誰と会った」を報じます。3番目になると、「ナンバー3である第2副首相がきょう……」となります。ニュースはすべて政治のプロトコール順にやるのです。アメリカの国務長官がサウジに来たときの例では、王様も皇太子も副首相も外務大臣も国務長官と会っているわけです。サウジの国営テレビでは、それが「王様は国務長官に会った」がトップニュースで、「皇太子は国務長官に会った」が2番目のニュース、「副首相は国務長官に会った」が3番目という具合で続き、30分のニュースのうちの15分くらいはその繰り返しで、まったくつまらないのです。国際的に重要なニュースは終わりから2番目ぐらいに出てくるのです(笑)。
王様の国だからそうなのかというと、大統領制や共和制の国でも似たようなものでした。たとえばエジプトの新聞では、1面のトップ記事の書き出しは必ず、「ムバラク大統領は昨日、誰と会った」という定型の記事です。どんなに中身がなくても、トップニュースは大統領の動静なのです(笑)。こんなメディアについては、国民は阿呆らしくて長年うんざりしているわけです。
そういうところに衛星テレビが入ってきました。これはどこかの国を対象としているのではなく、BBCとかCNNと同じように、地域全体、世界全体を対象としています。したがって、衛星テレビのニュースでは、一国の国内の政治的なプロトコール順ではなく、まさにニュースの重大さの順にニュースを報道します。それを見て中東の人達は、「国内メディアのニュースはちっとも面白くないけれども、衛星テレビのニュースは面白い」と思うわけです。だから国営テレビなど誰も見向きもしなくなりました。
新聞も、先程言ったような国内のプロトコール順だったのが、ガラッと変わってきました。現在中東で有力な新聞は、ロンドンとかベイルートあたりで編集して、域内のすべての国に配っている新聞になっています。したがって、それは一国単位のニュースでなく、世界的に意味のあるニュースの配列になっています。こうしたマスメディアらしいニュース報道は、1990年代後半からこの地域に入ってきたのです。それと並行して、これまでのような政府の検閲に基づいて、国内の政治プロトコール順にニュースを垂れ流すやり方はまったく通用しなくなりました。
アルジャズィーラ
アフガン報道とかイラク報道で、「カタールのアルジャズィーラ」という衛星テレビ放送が有名になり、日本のニュースでもよく引用されます。これはカタールの王様が、「もうこれからはワン・オピニオンの時代ではなく、モア・ザン・ワンオピニオンの時代である。そうでなければ国民は納得しない」と言って、自らお金を拠出して、野党的なテレビ局を作ったものなのです。このアルジャズィーラは、今では中東で一番視聴率の高い衛星テレビとなりました。一昔前の中東では、王様や大統領を批判するようなメディアは存在しませんでした。アルジャズィーラが唯一批判しないのはカタールの王様だけです。これは最大の株主だから仕方がないのです(笑)。
インターネットと携帯電話
もう1つはインターネットと携帯電話の普及です。かつては加入電話の盗聴や郵便の開封、尾行を組み合わせていれば、過激派の取り締まりは比較的簡単でした。出入国記録を突き合わせて行動を把握することも簡単にできました。今でも、たとえばバーレーンとかサウジアラビアでは、建前上は政治集会、デモは御法度です。
しかし、今は政治集会もデモも、けっこう頻繁に行われます。それは、警察・公安当局が取り締まることが難しくなったからです。今では、政治集会をやりたいとき、若者たちは何をするかというと、携帯メールで簡単に「今度の金曜日、お昼から何とか公園でバーベキューでもやる?」という形で、何十人何百人に呼びかけることができます。そして、現地で直前になって「噴水の前で12時5分から集会」という具合に携帯メールで指示するのです。これでは当局はついていけません。以前のように当局が政治活動を事前に把握して潰すことは不可能なのです。
昔は海外からの好ましくない思想や文物の流入も、税関で遮断できました。しかし、今のインターネットは統制が難しいのです。サウジでは国内のインターネット・プロバイダーは民間の業者なので、プロバイダーのインターネットの回線をすべて科学技術庁に相当する役所のサーバーを経由させる形にしました。そして、科学技術庁の役人が、好ましくないと思われるサイトへのアクセスを遮断するよう毎日一生懸命頑張っていますが、完全に遮断するのは不可能なのです。ポルノサイトでも何でも、好ましくないからとアクセスを阻止しても、名前と発信地を変えてすぐ別のサイトを立ち上げてきます。反体制派その他のサイトもみんな同じです。どんなに特定のサイトへのアクセスを遮断したつもりになっていても、そんなのはいたちごっこで、完全に遮断はできません。
サウジも最初はインターネットを導入に慎重だったのですが、いま一番重要なのは外国からの直接投資です。インターネットも使えない国には誰も投資しません。結局、経済の現実論のほうが勝ち、サウジは99年からインターネットを解禁しました。今も遮断しようという努力はいろいろしていますが、こんなものはいたちごっこで、実際はありとあらゆる情報がほとんど流通するようになったのです。
こうして過激派は、インターネットという誰にも邪魔されない空間において自由に情報宣伝活動ができるようになりました。これが政治状況を根底から変えました。それとともに、衛星テレビ等の発達によって、とにかくいろんな形の紛争や衝突といった事件が映像によって伝えられるようになり、みんなの反応がすごくエモーショナルになっています。
ヨーロッパに住んでいる人も、インドネシアとか東南アジアに住んでいる人も、パレスチナで大きな衝突があって、イスラエル軍に何人銃殺されたといった情報を同じ映像で見るわけですから、ものすごくエモーショナルなリアクションが起きやすくなります。そして、イスラム教徒が被害者という点で、ある種の地域を越えた「被害者意識の共有」というセンチメントが起きやすくなったのです。
アメリカの中東民主化構想
そういう中で、アメリカは「中東民主化構想」を言いだしました。これも最初は民主化、民主化と言っていたのですけれども、そのうちにアメリカもだんだん分かってきました。今でも民主化という旗は降ろせないけれども、地域の不安定さやイスラム過激派台頭の背景には、今言ったような社会構造的な変化があるのだと気づいたのです。重要なのは、この地域の産業を多角化して、新しい産業をプライベートセクターに起こしていって、そこで雇用機会を生み出し、若年層の雇用問題を解決していくことなのです。これは即効性はないけれども、これをやっていかないとこの地域の安定はないことをアメリカもだんだん分かってきました。
去年のG8サミットに続いて、今年もフォローアップをやっているのが「中東民主化フォーラム」という閣僚レベルによる会議です。その主なテーマは起業家の育成であり、「中小企業をどうやって育てるか」とか、「職業訓練をどうやって拡げていくか」とか、「マイクロファイナンス」とかです。日本では、日経以外の新聞は相変わらず「アメリカの民主化の押しつけ」という同じ言い方でこの問題を考えていますが、現場では、アメリカも中東各国と地味な「中小企業の育成」とか「職業訓練をどう拡げるか」などの議論をやっているのです。それには日本とかヨーロッパの助言もあったかもしれませんね。
分裂のモーメントはらむイラク
次に、今年の1月にイラクで国民議会の投票がありました。あれだけ治安が荒れている国で、地域によっては長蛇の列で、初めて自由に投票ができました。これもまた映像が周辺部に全部流れたのです。それによって、これまで自由な選挙の投票なんて経験したことがない周辺国でも「おれたちも自由な投票がやりたい」という空気が一気に盛り上がりました。
その影響は、その後、サウジで初めてと言われている今年の地方評議会の選挙にも見られました。エジプトでも、これまでの24年間にわたる独裁のための無投票再選みたいなムバラクの信任投票が、とにかく「野党候補をたてた選挙にしよう」ということになって、初めて野党候補も立候補した形での総選挙が9月に行われたのです。そういうふうに、みんな押しつけとか言うけれども、中東の中でも「自由な政治の意思を表現したい」という内在的な動きについてアメリカが進展のきっかけをつくったことは無視できないと思います。
そもそもイラクという国は、第一次大戦後のベルサイユ体制下で、敗戦国オスマントルコの領土をイギリスとフランスがどうやって線引きするかということで出来た国です。ペルシャ湾への出口および南部の油田地帯と、キルクークという北部最大の油田地帯の両方を1つの版図に切り取って、イギリスがでっち上げた国です。そこには、北部のクルド人、南部のシーア派、中部のスンニ派と、民族的、宗教的バックグラウンドがまったく違う人が住んでおり、まったくの人工国家ですから、へたをすると分裂のモーメントがすぐに働くのです。
建国後、これまでは、王政であろうがバース党の独裁であろうが、バグダッドに強い政権があって、グリップすることによってこの国の分裂は防がれていました。へたに中央の強い政権を倒すとバラバラになるのです。だからブッシュ・パパも湾岸戦争のとき、あえてサッダーム・フセインを倒しませんでした。当時の国務長官のジェームス・ベーカーは、「イラクがレバノンのように分裂したら万人の悪夢である」と説明しました。
ただし、クルド人について言えば、90年代あるいはそれ以前には、クルド人の独立運動が燃え盛っていましたが、トルコのクルド人のPKKという組織の親玉が逮捕、投獄されてからは下火になりました。それからシーア派について言えば、それ以前はシーア派の大国であるイランと、クウェート、サウジ、バハレーンのようなシーア派を抱えているスンニ派の王政国家はずっと対立関係だったわけです。しかし、97年にイランにハタミという改革開放のリベラルな大統領が登場して以来、イランと対岸のアラブ諸国との関係は急速に改善しました。
ブッシュ・ジュニアは政権についたとき、バグダッドの強い政権を倒しても、すぐに分裂してそれが周辺地域に波及してグチャグチャになることはないだろうと判断して、イラク戦争を開始したのです。しかし、ブッシュ・ジュニアのイラクの部族宗派社会の複雑さへの認識は相当程度希薄であったと思います。
複雑なイラクの部族・宗派
イラクでも問題なのは「人口と雇用」で、イラクも人口爆発の例外ではなく、80年頃に1300万人だった人口が、今は2400~2500万人になっています。 したがって、当然雇用の問題は深刻です。バース党独裁下のときは、少数派のスンニ派が支配階層だったので、スンニ派の連中は、軍とか警察とか秘密警察とか内務省とか党の官僚だとか、いいところに雇用機会を得ていたのです。
ところが、米軍が乗り込んできて真先に解体したところがそういったところですから、まさにスンニ派の連中は集中的に雇用機会を喪失しました。逆に、長年抑圧されてきたクルド人とかシーア派にとっては、政治の主導権を握れるわけで、大変結構な世直しです。スンニ派にとってはいいことは何もないという状況ですから、いろんな抵抗が続いているのです。
10月に新しい憲法草案について国民投票で承認をとろうということになりました。最大の争点が「連邦制」、地方に強い自治権を与えることだったのです。連邦制に対して、南部のシーア派と北部のクルド人は連邦制推進の立場ですが、スンニ派は反対しています。
イラク混迷の背景にある石油の問題
実は連邦制は、石油収入の配分と表裏一体の問題なのです。油田は北と南に集中していて、中部のスンニ派の地域にはろくな油田がないのです。そこにも東バグダッド油田という名前の油田はあるけれど、大して油は出ません。今までスンニ派は全イラクを支配していたので、石油収入をコントロールするのもスンニ派でした。ところが連邦制が進むと、石油の権限も地方政府に握られてしまうので、スンニ派は経済的にも完全に干上がってしまうのです。ということで、石油による財政資金の分捕り合戦が連邦制と表裏一体の問題となるのです。
しかし、人口の絶対数からいっても、クルド人とシーア派を合わせれば大体8割いくので、投票で物事を決すれば、クルド人、シーア派の主導している流れの方向に物事が進みます。今はその方向に進みつつあります。
イラク戦争とアメリカの石油政策
イラク戦争が始まったときに、いろんな訳知りの人が「アメリカはイラクの石油資源を握るために戦争を始めた」と言いました。しかし、石油を長年見てきた石油の専門家に言わせると、アメリカが膨大なコストと血を流してまで、今すぐにイラクの石油資源を握りに行く必然性や意味は何もないということです。私も石油資源を握るために戦争をやったとはまったく思いません。
もちろん中長期の戦略として、世界の原油埋蔵量の6割以上は中東湾岸地域に集中しているわけですから、可能なときにその地域の反米的な政権を排除したいということは考えられます。
はずれたネオコンの思惑
もう一つ、戦争前にネオコンの連中が言っていたことがあります。それは、「サッダーム・フセイン政権を打倒して、イラクにどんどん石油を増産させ、それによって国際石油市場を供給過剰状態にして、中長期的に油の値段を下げていく。そうして結果的に供給過剰と石油価格の下落によって、OPECとかアラブ産油国全般の政治的影響力を限定的にする」ということです。
ところが、皮肉なことに、現実はその反対の方向に動いています。サッダーム・フセインを倒したあと治安状況が悪くなって、年がら年中パイプラインや製油所やポンプ施設でテロが起こり、一向に産油量は増えません。それと、ネオコンが「イラクの大増産と暴落」という予測をしたため、他の中東の大産油国が一斉に守りに入ってしまったこともあります。どの国も設備投資を増やすべき時期だったのに、みんな守りに入ってしまいました。この結果、現在はOPECの生産余力が極端に少ない状況になり、昨年来の原油相場急騰の大きな要因になってしまったのです。
ブッシュ政権の周辺でも、先程言ったジェームス・ベーカーとかパパ・ブッシュなどは、むしろイラクがOPECのメンバーであり続けたほうがいいと考えています。「暴落したときに下支え機能を持つのはOPECだけだから、OPECを敢えて殺す必要はない」というのが伝統的コンサーバティブの考え方です。現段階では、当初ネオコンが言っていた石油省解体、国営石油会社民営化などは全然やっていません。基本的には、今は伝統的コンサーバティブの考え方で、非常に穏便にやっています。もう一つは産油量を簡単に増やせないという物理的な問題もあります。
ブッシュ政権のエネルギー政策
ブッシュ政権のエネルギー政策でもう一つ知らなければいけないのは、アメリカの石油は決して中東に大きく依存していない事実です。90年代にアメリカの石油の調達構造は大きく変わり、原油の5割は、米国本体、カナダ、メキシコ、ベネズエラ、コロンビアという米州域内からの供給となっています。中東からの輸入は20%ぐらいで、アメリカの原油需要の全体からみれば10%台にしかなりません。そのくらい中東依存度は小さいのです。
アメリカの石油会社は、効率的なサプライチェーンをつくるときに、中東依存度が高いと政治的な要因によって供給中断が起きる可能性があるから、そういうところの比率を減らして、自分のところから近い、政治的な流れで止まらないところを主たる調達源にするように調達構造を変えてきたのです。
もう一つ、9・11の実行犯19人の内の15人がサウジ国籍だったということで、9・11以後のアメリカでは、サウジ・バッシングと同時に、「サウジに頼るべきではない」というサウジ離れが一気に広がりました。しかし、サウジ・バッシングをやったのは、専ら議会とメディアでした。国務省とホワイトハウスはサウジ・バッシングをせず、むしろサウジを大事にしました。
今は中東依存度を下げていても、10年、20年、30年経ったときに豊富な埋蔵量がどこにあるかということからいえば、究極のサプライヤーは中東産油国であり、サウジであることは変わらないのです。したがって、今サウジと決定的に袂を分かつことは愚策ですから、政権中枢はサウジをできるだけ大事にしています。
サウジのアブドッラー新国王は、つい最近まで皇太子でしたが、もう80何歳です。しかし、彼はアメリカに行くたびに、テキサスのクロフォードのブッシュの牧場に呼ばれる数少ない外国の賓客であり、小泉純一郎並みの待遇を受けているのです。「民主化と言っておいて王政を大事にするとは何だ」という批判もあります。しかし、アブドッラーという人は国内で非常に人望があるということが理由の第1点です。かつてアーミテージ前国務副長官に「なんでアブドッラーはいつもテキサスの牧場に行けるのか」と訊いたところ、「He is popular」という返事でした(笑)。もう一つの理由は、この国王は改革志向であり、サウジの中で初めて地方選挙をやったり、経済構造改革を一生懸命にやっているからです。
包括エネルギー法案
それからブッシュ、チェイニーというのは、テキサス中心とした米国内の石油産業を基盤にしてきた人なのです。彼らが一番やりたかったのは何でしょうか。2001年、ブッシュ政権の第一期の初めに、包括エネルギー法案を提出したことに注目すべきです。これは、国内で規制を少なくして、石油とか天然ガスを開発しやすくすることや、原発を着工しやすくすることを目的としていました。
アメリカでは、油田の開発やガス田の開発は環境破壊を伴うということで、規制とか縛りがきついのです。環境規制を緩和することには議会が相当抵抗するので、この第一期に提出された法案は今年まで棚晒しになっていたのです。しかし、今年は原油が50ドル、60ドルになったので、これが追い風になって、議会は審議を加速し、ブッシュ政権が一番やりたかった「国内の石油ガス開発に関する環境規制の緩和」「原発の新規着工促進」「一連の税制優遇」といったことを盛り込んだ法案は、8月にあっと言う間に議会を通ってしまったのです。
ということで、原油やガソリン価格の高騰は、ブッシュ政権を不人気にさせた側面もありますが、政権が一番やりたかったことから言えば、石油価格の高騰が追い風になりました。アラスカの原生林破壊を伴う開発だけは思う通りにいきませんでしたが、ブッシュ政権のエネルギー政策は、今の原油高を追い風に利用したという側面があるのです。
原油高騰の背景にある石油産業の構造問題
ところで、「なぜ石油が高いか」ですが、以前は原油相場は世界の原油需給と中東情勢で値段が動きましたが、現在はまったく関係ないと言ってもいいくらいです。「イラクの不安定」とか「地政学リスク」もよく言われますが、今の1バレル=60ドル前後の原油価格では、地政学リスクは大した比率を占めていません。
フル稼働リスク
先ず一つには、「フル稼働リスク」があります。これは、追加供給能力に関係します。スペア・キャパシティがほとんどないとか、投資不足と内需に食われて、いま産油国が昔ほど追加供給する能力、追加的に輸出する能力を持っていないということです。
もう一つの問題は、精製能力です。今アメリカ国内と東アジアにおいては、製油所の石油精製施設の稼働率は93%から97%で、実質フル稼働している例が多いのです。これでは景気が回復してガソリンの需要が急に増えても、もう製油所はフル稼働しているので、すぐ製品がマーケットに出ないということです。それでガソリンなどの値段は上がりやすくなっているのです。
先物市場では、原油が上がったからガソリンの値段が上がるのではなくて、ガソリンの値段が上がると先物市場で裁定取引のメカニズムが働くから、ガソリンの値段から精製マージンの理論値を引いた水準まで原油の相場が引っ張り上げられるのです。去年のアメリカの石油価格高騰は、先ずガソリンが上がって、その後原油が上がっているのです。さらに精製能力に余裕がないところにハリケーンが来たりすると、製油所が止まります。去年50ドルを突破したときもそうですが、節目節目のときには、世界の需給と関係なく、アメリカの南部に台風が接近するだけで世界の原油相場が上がるのです。WTIの相場を一番大きく動かすのは、アメリカ南部の天気予報であり、世界の需給でも中東情勢でもないのです。これはきわめて奇妙な現象です。
効率経営のツケ
原油生産については、投資不足とか、内需に食われるとか、いろんな問題もあります。どうしてアメリカの石油会社は製油所の追加投資をしないのでしょうか。その理由の一つに、80年代後半から90年代にかけて、ずっと石油の値段が安いままで推移したという背景があります。
相場が低迷しているから売上は増えないのですが、そのとき経営者は何を考えるかというと、ROA(総資産利益率)を拡大して経営効率向上の実績を上げることを考えます。ROAは「利益÷総資産」ですが、これを2つに分解すると、ひとつは売上高利益率つまり「利益÷売上高」、もうひとつは総資産回転率つまり「売上高÷総資産」です。この2つをかけたものがROAになるわけです。
石油産業は典型的な装置産業です。したがって、設備の稼働率が高ければ高いほど利益率は上がります。売上高利益率は設備稼働率が高いほど高くなります。もう1つは総資産回転率ですが、こちらは分子が売上高です。相場低迷が続いているときには売上高は増えないので、そのときは分母の総資産を減らしていけば、総資産回転率が高まるのです。
ということで、アメリカの石油会社の経営者のほとんどは、90年代に相場低迷で売上高が増えないから、設備をどんどん圧縮削減していって、回転を高め、利益を高めることを考えたのです。これは経営学的には間違いでなく、正しいわけです。しかし、みんながそうした結果、どこにも余分なキャパシティが存在しなくなってしまったのです。
さらに、トヨタのカンバン方式やジャスト・イン・タイムではないけれども、在庫も持たなくなりました。在庫が多ければ多いほどコストがかかるけれど、在庫を圧縮すればコストが減るので、設備だけでなく、在庫も極力持たないようになりました。
こうなると、ガソリンが急騰したときにも、マーケットのどこからも追加供給はありませんし、増産もできません。こういう状況が今のアメリカの石油産業に存在しているのです。
テキサスに行くとよく分かりますが、アメリカの油田地帯には小さい油井が多く、そこから細いパイプが出ており、その細いパイプが集まって太いパイプになって、そのまま製油所につながっています。製油所はフル稼働だから、ガソリンが上がっているのに地元の原油生産はほとんど増えないのです。本来ならモノの値段が上がれば生産が増えるはずのところが、キャパシティのボトルネックがあるから増えず、これが原油相場高騰の大きな要因となっているのです。
米国の特異な消費構造
アメリカの消費構造では、石油の消費の半分近くがガソリンなのです。日本ではせいぜい3割ですし、ヨーロッパなら2割ぐらいですが、アメリカでは圧倒的にガソリンなのです。一口に原油といっても、重質原油、軽質原油があります。軽質原油ほど揮発油がとりやすく、ガソリンの抽出率が高くなります。だからアメリカの石油会社では軽質原油志向が強いんです。WTIも軽質原油です。
原油相場が急激に上がったので、アメリカ政府もG7も、OPECに増産の要請をしてきました。しかし、サウジなど湾岸産油国の増産に伴って市場に出てくる原油は、重質原油が多いのです。そうすると、サウジが増産して原油の供給は増えても、アメリカの石油会社は見向きもしないので、WTI相場は全然下がらないということになります。
もっと不思議な現象もあります。数少ないスペア・キャパシティを持っているサウジが実際に増産すると、今後に追加生産可能なキャパシティの“のりしろ”がさらに減ってしまう形になり、逆に先物市場では原油相場の上げ材料とみなされてしまうのです。その結果、世界的な需給からいったらどう見ても供給のほうが多いのに、原油相場はこんなに上がるという不思議なことが起きているわけです。
先進国もだんだん分かってきて、今年の夏のグレンイーグルズ・サミットではようやく、「とにかく上流、下流両方の設備投資が重要だ」という認識に変わってきました。OPECも、「増産してもしょうがない」ということで、最近は増産も止めてしまいました。その一方、OPECもようやく、現在大体日量3250万バレルぐらいの生産能力を、2010年までに3800万に引き上げようという努力目標を掲げるようになってきました。
しかし、アメリカの製油所の増設はなかなか進みません。今年ようやく1件新しい計画が出ているだけです。これだけガソリンの値段が上がり、灯油の値段も上がっているのに増設が進まないのは、アメリカでは州ごとに環境基準が違ったり、ガソリンの成分基準も州ごとに違うという問題があるからです。そのため、州ごとに州の基準に合わせた成分比率のガソリンをつくる必要があります。そうなると、日本のように大規模石油コンビナートを作って、全国単一基準の製品を大量生産するというようなモデルが通用しないのです。それで、アメリカで「製油所を新設しろ」と言っても投資マインドは高まらないのです。
今年はハリケーンで実際にミニオイル危機が起きたので、これを契機に、「何とかそのへんの環境基準を弾力化できないか」ということで、いろんな政治や業界の動きがあります。しかし、今のところは、まだアメリカで製油所がどんどん増える状況にはなっていません。
金融ファクター
原油相場がこんなに上がった重要な要因としてもう一つ、金融ファクターがあります。僕は、1バレル=60ドル以上への原油相場上昇のうち10数ドルは金融ファクターだと直感的に思っています。それは過剰流動性が生んだ産物なのです。
2000年にアメリカでITバブルが崩壊した後、FRBは実質マイナス金利政策を採用しましたが、それによる超金融緩和が去年の夏まで続きました。この間、世界的に投資マネーが異常に増殖しました。一番顕著なのは、ゴールドマン・サックスだとかのアメリカの投資銀行が、過去4~5年の間にものすごい勢いで商品に投資するコモディティ・ファンドを設立したことです。
それを誰が買い、誰に売ったかというと、年金だとか、本来商品相場のようなものに手を出さないところに商品投資ファンドを売りまくったのです。年金のほうは、異常低金利の中で想定利回りを上げるためには、大変な投資の努力がいるわけです。「金利は低い」「株もバブル崩壊で動かない」というとき、一番相場が上がりそうな商品に投資するのは魅力があります。自分で投資するのはリスクがあるので、ゴールドマン・サックスなどが設定したファンドを買うという形になってきました。こうして真っ当な機関投資家の金が商品相場に入るようになったことが、この5年間の一番大きなアメリカの変化です。
今年3月に、原油相場は早晩100ドルを突破するというレポートを発表したのはゴールドマン・サックスですし、107ドルになるというレポートを発表したのはJPモルガンです。要するに、油の値段がどんどん上がると言っているのは、石油業界の人ではなくて、もっぱらウォール街の人なんです。この間のお金の流れを考えると、実にうなずけるところがあって、「ウォール街主導のオイル高」という側面を我々はよく感じることがあります。
中国の石油需要の急増
需要の面でいくと、なんと言っても一番大きいのは、みなさんご承知の中国です。石油が去年いきなり上がった最大の要因は、世界全体で日量260万バレルもの需要が増えてしまったことです。とにかく中国の需要は去年急増しました。これがパラダイムシフトと言われるほど石油の中心相場を押し上げたのです。
因みに、中国では毎年、電力消費はGDP成長率をはるかに上回る年率2桁の勢いで増えています。今年も13%強、来年も10%強という見通しで、ものすごい勢いです。進出している日本企業がお困りの問題は停電が多いことですが、中国は毎年、関西電力1社分ぐらいの電力供給能力を増やしています。それでも停電が起きるぐらいエネルギー消費が急増しているのです。
それから一昨年から去年にかけて、新型肺炎、SARS騒ぎがあって、満員バスや列車の中で感染するという話が広がり、北京とか上海では、かなり所得の低い人まで一斉にマイカー通勤に切り替えました。それで自動車の利用頻度が急増したのも、中国の石油需要増の一因だといわれています。去年から今年にかけて自動車がパタッと売れなくなったのは、売れ過ぎた反動だともいわれていますが、SARS騒ぎという特殊要因も石油需要を押し上げたという説もあるのです。いずれにせよ、中国の需要動向が世界の原油相場に大きな影響を及ぼすようになりました。
中国の石油消費量は日量600万から700万バレルの間ぐらいだと思います。中国はもともと大産油国で、日量350万バレルぐらいは国内で生産できるのです。しかし、それ以上増やすのは長期的には無理というのが石油業界の常識です。現状は輸入依存も大したことありませんが、2010年代には、どう考えても中国の石油消費量が日量1千万バレル台になるだろうということで、そうすると700万バレル以上は輸入しなければなりません。日本が大体400数十万バレルの輸入国ですから、いずれは日本の倍ぐらいの石油を輸入する国になるのです。
中国の中東接近と資源外交
それをどこから持ってくるのかということは、国際政治と石油の関係で一番重要なポイントです。中国政府は、「石油は、食糧、水とともに、持続的発展を左右する戦略資源だ」とハッキリ規定しています。そして「どんなことがあっても資源を押さえろ」という外交活動を続けています。近年、世界のいろんな地域の石油、天然ガスの鉱区で、入札があるたびに日本とかヨーロッパの石油会社が顔をしかめるのは、中国の国営石油会社が相場の3割から5割高い値段で応札することです。カネに糸目を付けずに資源を確保しにきているのが今の中国です。
中国は、最初は、アメリカと関係がよくない国のほうが出やすいので、スーダンへ出ました。中国はスーダンに大慶油田から2万人も連れて行き、スーダンで油を掘らせていると言われているくらいです。とにかく、ビジネスというより国策として、人とカネに糸目を付けずに資源を獲得しようとするのです。
もう一つ、最初に接近を強めたのはカザフスタンでした。カザフスタンは「21世紀の中国の生命線」と言われるくらいです。97年にはカザフスタンで中国の国営企業が2つの油田を買収し、さらについ最近のことですけれども、カナダに会社を登録しているカザフスタンの会社の株を時価総額の2割増しで買収したりしています。
中国はそのくらい世界中で石油をあさっているのです。江沢民は、サウジとかイランとかリビアとかアルジェリアとか、資源のある国へのトップ外交を精力的にやりました。今の胡錦濤も、秋に訪米しましたけれども、そのあと、ちゃんとカナダとかメキシコとかの資源国を必ず回るというほど、資源を確保することに血道を上げています。
一方で面白いのは、中国はイスラエルと軍事的な面でつながりを持っているのです。アメリカは中国の軍事力拡大が進むのは嫌だから、中国にハイテクの新鋭技術を与えないので、中国は代わりにイスラエルと誼(よしみ)を結んで、イスラエルからいろんな技術を調達しているのです。これはアメリカの圧力によって潰れたプロジェクトですけれども、たとえばロシアのイリューシン輸送機にイスラエルでレーダーとデジタル通信機器を積んで、飛行機の上にレーダーがあって、下の様子が全部分かるアメリカのAWACSのような航空機をイスラエルがつくって、中国に供与するというファルコン・プロジェクトというのがありました。
同じような話は掃いて捨てるほどあります。とにかく中国はデジタル通信技術を基本的にイスラエルから導入しました。この他、中国がイスラエルに求めているのは乾燥地農業の技術で、これはイスラエルが一番進んでいるのです。中国では砂漠化が進んで、農業による食糧生産が落ちているので、この理由でもイスラエルと付き合うということで、これが中国のしたたかなところです。
もう一つが、先程から言っている国営石油会社のきわめてアグレッシブな活動です。これについて今年話題になったのは、中国海洋石油(CNOOC)が、アメリカのユノカルという石油会社の買収に名乗りを上げたことで、これは結局アメリカ議会が反対して潰しました。しかし、中国はそれくらいキャッシュリッチなので、政府の意図に基づいて、個別の石油会社がビジネスではなく、国策として、外国の石油利権を買い漁ったりしています。
さらに、尖閣列島の周辺で最近、中国側が掘り始めたという話もありますが、オフショアについて言うと、中国には有望な油田、ガス田はほとんどないというのが常識です。あそこもビジネスとしては基本的には成り立たない地域なのです。だから、中国に対抗して「日本側も油とガスを掘れ」というのは酷な話なのです。あれは半分は政治的なデモンストレーションで、ビジネスではないのですが、ソロバンに合わなくてもとにかく掘れというのがいまの中国のやり方です。
資源囲い込みに転じるロシア
次にロシアに移ります。ロシアは一時期はアメリカと連携していましたが、最近は急速に変わってきました。現在のロシアは、石油・天然ガスのモノカルチャー経済に変わり、それによって6%も7%も経済成長を続けるような国になりました。
近年プーチン政権がやっていることは、いったん民営化し、新興財閥のものとなった石油の利権をどんどん政権の統制下に戻すことです。例のユーコス事件も、ユーコスの経営者を逮捕してシベリア送りにして、ユーコスをもう一回自分の政権の実質管理下に置くようにしたということです。
BPなど欧米メジャーとロシアの関係は、一時期とてもよくなっていました。西側からの技術導入によってロシアの産油量もどんどん増えました。しかし、今のロシアは、石油、天然ガス利権の囲い込みの時期に入り、外資排除に戻りつつあります。そのため、直近の一番相場が上がっているときに、ロシアは生産量が頭打ちになっているという問題もあります。
プーチン政権は、一番の虎の子である石油、天然ガスは、政権が握るという路線を相当どぎつくやっているのです。一時期は、石油、天然ガスはマーケット・コモディティなので、政治戦略とは関係のない話だという常識が広がりました。しかし、今のロシアがやっていることを見ると、中国と同じように、資源高騰下ではこれは単なるマーケット・コモディティではなく、政治商品であるという色彩を再び強めています。
面白いのはパイプラインのルートです。これは、ほんとうに政治駆け引きの縮図みたいなところがあります。冷戦後に、まずカスピ海とか中央アジアに新しいサプライヤーが出てきたとき、「どこにパイプラインを引いて積み出すか」という問題が生じましたが、ロシアは真先に「全部ロシア経由にしよう」と言いました。パイプラインのルートが通れば、パイプを握ることによって井戸元の国に対する政治的な影響力が保持できると考えたからです。しかし、アメリカがロシア経由のパイプライン計画には全部反対しました。
地理的に言うと、中央アジアとかカスピ海の石油は、ポンピング・ステーションもあれば港湾も全部整っているペルシャ湾岸に出すのが早道なのです。しかし、カスピ海とか中央アジアからペルシャ湾へというと、どうしてもイランを通るわけです。しかし、イランを通るパイプライン計画にはアメリカは強力に反対しました。イランがエネルギーの輸送について影響力を行使できることになるので、アメリカとしては絶対に認められないのです。
ということで、結果的にイラン・ルートは実現せず、いま新しいパイプラインが延びてきているのは、アゼルバイジャンからグルジアを通ってトルコの地中海岸に出るBTCというパイプラインです。これには伊藤忠も資本参加していて、完成が近づいていますが、その他のパイプライン計画は相当遅れています。中国に対しては、カザフスタンから延々新疆ウイグルまでパイプラインの工事が進んでいて、これは近く開通する予定です。これまで中央アジアとかロシアの油は、貨物列車で中国に運んでおり、こんな非効率なやり方ではなかなか供給が増えません。やっぱりパイプラインが整備されないと、資源があるだけでは原油はマーケットに流れないのです。
現在の石油価格は高いのか
次に値段の問題で考えなければいけないのは、1バレル=60ドル、70ドルの原油でパニックが起きているかどうかです。かつて第2次石油危機のときには、30何ドル、40ドルに近いところでパニックになりました。そのときには、40ドルを超えれば石油離れが起きて、代替エネルギーへの転換が進むと言われました。今年60ドル、70ドルになっても、それほどパニックも起きなければ、転換も進まないのはなぜなのでしょうか。
モノの値段は、そのときどきの値段ではなくて、実質ベースでどのくらいかという比較をしなくてはいけません。いま我々は60ドル、70ドルの石油価格で騒いでいますが、過去の高値を今のドル価値で換算してみましょう。そうすると、80年頃、当時40ドルに接近した原油の価格は、今のドル価値では80ドル以上、90ドルにもなるのです。ということは、実質価格で現在の60ドル原油を第2次オイルショックのときの価格と比べれば、決して高くなく、むしろかなり低いのです。第2次石油危機当時、40ドルを超えると代替エネルギーに転換が進むと言われましたが、当時の40ドル台を現在のドルの価値で換算すると、100ドルぐらいにもなるのです。逆にいえば、現時点では、100ドルぐらいにならなければ、石油離れは起きないということになります。
さらに80年代後半から90年代での20ドルとか10数ドルという原油価格は、実質ベースで見ると、ものすごく安かったことになります。これは、第1次石油危機の前の10ドルになるかならないかというレベルに相当します。だから、その間に設備投資が進まなかったのです。
石油価格高騰で影響を受けるもの
しかし、個別産業では、影響を受けている業種もあります。それは、余りにも安いエネルギーを使うことを前提にしたビジネスモデルです。たとえば航空輸送とか旅客船です。貨物船は別です。タンカー市況や貨物船市況は好調で、商船三井や日本郵船は史上最高の利益を上げているので、そういうところはコストアップの転嫁もやりやすいからです。
日本で真っ先に石油高騰の影響を受けたのは、銭湯とフェリーボート、それから国内の旅客船です。これらの業種では、まさに安い油を前提に料金設定をしていたので、簡単に料金を上げられないのです。貨物船だと、船員さんをフィリピン人やバングラディシュ人に代えることもできるけれども、国内の旅客の輸送では、外国人を船員にするわけにもいかないので、そういうところは影響を受けます。しかし、マクロ的にいってもミクロ的にいっても、今の60ドル、70ドルは、そんなに衝撃的な水準ではないのです。
いま急激に湾岸産油国に所得が移転していますが、石油輸出収入はドル建てで入るので、そのドルは取りあえずアメリカの国債購入に回ります。そうするとどういうことが起きているかというと、アメリカではガソリン価格の高騰が家計を圧迫しているけれども、一方で住宅バブルが続いて、その資産効果で消費が落ちないという現象になるのです。住宅バブルが続いているのは、長期金利が上がらないからです。なぜ上がらないかというと、一昨年まで米国債の相場を支えていたのは日本の為替介入のお金でしたが、それが終わった後には、オイルマネーが入り、米国債相場を支えているからです。
アメリカの長期金利はなかなか上がらず、住宅バブルが続き、その資産効果で消費は底堅く、景気は予想以上に強い。アメリカ以外の主要国もプラス成長が続いています。一方、中東諸国はこれまでに痛んだ経済をかなり直すきっかけを得た。大雑把に言えば、こういうバランスです。
ピークオイル論には疑問符
アメリカでは、今「ピークオイル論」というのが盛んに言われています。それは、「石油の値段がこんなに上がっているのは、多分世界の原油生産がピークを迎えつつあり、石油生産がだんだん減っていくからだ」と言う説です。地質学者の一部にも、「産油国が発表している確認埋蔵量は眉唾物」という理由のピークオイル論者がいますが、ピークオイル論を主張している人の多くは石油産業から遠いところの人でしょう。どちらかというと、ウォール・ストリートに近い人がピークオイル論に便乗している傾向も感じられます。
石油産業に近いほど「そう簡単に石油の生産は減退しない」と言う人が多いのです。因みについ先週、国際エネルギー機関(IEA)が出した中長期見通しによると、これから中東・北アフリカの主要産油国が合わせて年間200数十億ドル、2兆数千億円ぐらいの設備投資を続けていけば、2030年くらいまでは世界の石油需要の増加に見合った供給の増加が期待できるということです。これが標準的なシナリオだと思います。だから「石油の寿命が尽きそうだ」という、一部で騒がれているようなことに、石油の専門家は決して同調しているわけではありません。
今後の日本への影響
最後に、今日のような話が日本にとってどういうインプリケーションがあるのかという話をしましょう。
ご案内のように、日本は原油の9割近くを中東に依存しています。この中東依存度は近年さらに上がっています。天然ガスも増えていますが、これもカタールとか、オマーンとか、UAEとか、中東が重要なサプライヤーになってきているのです。そういうことで、日本と中東のイスラム諸国とは、ますます切っても切れないような関係になっています。
アジアでは、インドネシアが主要なサプライヤーです。この国もイスラム国です。ということで、中東外交やイスラム諸国との外交は、日本のエネルギー安全保障にきわめて重要であり、それは今後も強まることこそあれ、決して弱まることはありません。こが第1点です。
次に、中国は今、なりふり構わない資源あさり外交をやっています。それに対しては、アメリカの警戒心も強まっています。これで石油がマーケット・コモディティから再びポリティカル・コモディティに変わって、政治的に立ち回りをやらないとダメかというと、これは疑問です。中国はコスト度外視で資源あさりをやっていますが、日本が同じようにコスト度外視で資源あさりをやると、ますます資源のコストを高めてしまうだけのことになります。
かつて石油危機について、「石油危機=日本企業犯人説」がありました。「イラン革命によってイランからのサプライが止まるかもしれない」という危機感を前提にして、日本の商社や石油会社が余りにも油を買いあさったので、あんなに相場が上がってしまったというわけです。みんなが殺到して買い漁ることは、ろくな結果を生みません。中国のコスト度外視は、やらせておけばよいのです。資源が特定の地域に偏在していることは間違いないですから、今後もまず十分に中東産油国や中央アジアも含めたイスラム圏の産油国と関係を緊密にすることが必要です。