My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

地味に弾き初め 

2010年01月11日 | 或る日或るとき
やっとバイオリンを触る気になりました。
レッスン納めの日から3週間近く、弾いていませんでした。

いきなり曲を弾きたいところですが、重音から始まるので、ここは敬遠。^^;
さりとてセブシックもする気になれず、小野アンナ教本のスケールから。
娘が帰省中ずっと鳴らしていたので良く響きました。
スケールを何度か弾いて気分も落ち着いたところで、ロマンス0p40を弾きました。まだ譜読み中なので、弓は楽譜通りにせずに、返して弾きました。
レッスンはまだ先になりそうですが、、、、

このところリビングではずっとベルリンフィルのドヴォルザーク9がかかっていたので、新世界一色でしたが、(笑)今日は何かと片づけをしながらハイフェッツのop40を聴いていたら、弾きたくなったのでした。
なんとなくですが・・・・やる気が出てきました。


            



            

年末年始は一体何があったかしら?と
思えるくらい、普通の日の今日このごろ。えーと、そうだそうだ、子供たちが帰って来たのよね。ソウイエバ。
今年は思い出に残る冬休みだったので、書きとめておきましょう。
(そう思ったは確かなのに、そのわりにはこの忘却をなんとしよう。)
「冬休み」なんて懐かしい言葉だ。うちの子供はもう大学生だから使うのかどうか。
忘れないための自分用の記録なので、いささか冗長。
お忙しい方々向きの文ではありませぬ。
ということをお断りしておきます。なんだか長いから。
          
               
             




年末。
23日
娘が帰省。
着いてすぐ大学オケデビュー初舞台(大げさか、、、)6月にのサマーコンサートのDVDを見る。
自分のバイオリンは置いてきたので私のバイオリンを弾く。
28日
息子帰省。
写真提供by息子^^;
今回は新潟からフェリーを利用。安いからという理由だが、
大時化で、船は縦にも横にもおお揺れで、吐いてしまったそうだ。やつれて帰ってきた。時間もかかり、しかも苫小牧港に着いてからの交通費が高かったので、航空機のほうがやはり楽。まあ、いい経験?

元旦
大晦日から降り続く雪を除雪。しかしまたどっと雪が積もる。

朝9時出発実家に行く。恒例。毎年お昼は母が用意してくれていたが、
子供たちが大きくなってからは調理は我々がすることとなる。
昔から、3が日の間は包丁を休めると言い、暮れに作り置いたごちそうを食し、
主婦も3が日は調理をしないのが習わしであったらしい。(いつ?)
しかし現代は違う。そうもいっていられない。
それでも、元旦くらいはと母は用意してくれたものだったが、高齢になりいつしか出来合いのオードブルがお目見え。そしてこのたびは全面的に私が用意した。もう、母は買い物に行くのも億劫になってしまったのだ。物忘れが加速し足腰も弱い。根気がない。ついに母も。私にもいつかは訪れること、なのだ。
大したものはつくれないのだけれど、年老いた両親には、手作りのものが体に優しいはずと思う。お重に詰めて持参した。

メインは若いもん中心で、お刺身とステーキ。しかし私たち高齢?グループも好みなのだ。とりもなおさずシンプルなお味。材料は30日に届け冷凍した。焼くだけ切るだけ。それだけでおなかが満たされることは確か。でも他に何か並んでいたほうが華やかだから。

夫は午前中は仕事であった・・・。


2日
大雪警報のため、義母のお見舞いに行く予定を中止。元旦はいつも疲れるので、冬の遠出はハードだけれど、そうもいっていられない。チャンスは限られているから。でも、天候が悪いのでは仕方がない。(昨年は夫に急な仕事が入り、息子と私だけでお見舞いに行った。娘は受験という理由で家から出たがらなかった。)
しかたがないので、ニューイヤーコンサートの録画をみんなで見ながら、間に合わなかった年賀状を書く事にした。
娘が、ウイーンフィルの、セカンドトップサイドの金髪青年に注目!ステキステキカッコイイ!!!と、 騒ぐ。

3日
義母のお見舞いに行く。
自家用車で家族4人が揃って行くのは久しぶり。義母は喜んで下さった。
義母がいるから私たちは優しくなれる。

70代頃の義母のダンスの発表会の写真が置いてあったので写メさせていただく。
その後4人は自由行動。
ヨ○バシ玄関に8時集合とする。何度も夫が場所と時間を確認。携帯で連絡を取り合うこととする。会えなかったら個別に帰るようにとの指令。
私は息子のお伴でパルコへ。
ヨ○バシが駐車場も含めてお正月は8時で閉まることを考えておらず、、、予定より早く集合することになったが、娘に電話すると、、、大丸の化粧品売り場でメークしてもらってる最中らしい・・・途中でやめてすぐ来るようにと父の指令。。
夕食は、ファミレスのロ○ヤルホストで。小さいころ、バイオリンの発表会の帰りに達より必ずそこで夕食。「懐かしい思い出のフアミレスにぜひ行きたい!いきたいっ!!」と、娘の強い希望。あのこは、、、そのようにして私たちを結びつけてくれる子なのだと思う。そして一番心配をかける存在!という意味でも。
さて自分たちが大きくなって、再び4人で車に乗ってどこかに行くことがこんなに楽しい事だったのかと、子供たちは再認識したようだった。それはきっと、離れてみてわかること…でもあり、なお且つ大人になった、ということか。

4日
夫は仕事。娘は高3の時のクラスメイトに会いに。息子は携帯電話を買いに。好きな機種が売り切れ。それもそうでしょう。。。。。いまごろ、なのだし。田舎だし在庫薄は大目に見ないとね。。3日にヨ○バシに行ったんだからそこで買ってほしかったけど。その日は服が中心で、まあ、いい買い物はできたので。

5日
息子が新潟に帰る日。午前中再び携帯を買いに。息子の携帯はボロボロで、充電器を差し込むところをセロハンテープで固定しないとうまくいかない。全く、そんなになった携帯見たことない!電話中突然通話不能になる。大急ぎで在庫のあるもので済ませた。新潟に帰っても、繁華街に出るには単線の電車で30分のらなきゃならないし、すぐにレポートの提出もあるため携帯なんて又きっと先送りになるから、ここで済ませたほうがよいのだ。チャンスは今しか…。

娘は6日出発の予定だったが、友達のうちに泊ることになり、息子と同じ日にお別れ。
時間も別々に、それぞれ駅まで車で送り届ける。
その後すぐに頼まれたた宅急便を荷造りして東京と新潟へ。
夕方、飛行機に乗る予定の息子から電話。日本海側の悪天候で飛べない可能性があるらしい。心配したけれど、夜、出発時間が遅れながらも無事新潟へ着いたとの連絡有。(おニュー携帯で(笑))
さて宅急便、、、うっかり東京と新潟への送り状を反対にしなかったか?と、突然の不安。開けたら自分のものじゃないものだった、、、、ありえる?かも。(うわ。)

6日。
眠い。
娘から電話。飛行機の搭乗が始まる直前。・・・。ある重大なヘルプ。探しものを頼まれた。とにかく飛行機には乗った彼女。。
一方息子は、新潟の自宅で午前中はぐったり寝ていたようだ。
がしかし、夕方には新幹線に乗ることとなる。むむむ。

7日・・・
眠い。洗濯してても眠い。干す時も眠い。眠い。
8日
子供たちに送った荷物はそれぞれ間違いなく無事届いた。安堵。
・・・・もうこのへんでやめます。
・・・。

                
このたびは久しぶりの家族団欒、尽きないアクシデントは毎度のことですが、
(書けばまたまた長くなる、というか、書くほどでもないしょうもないことや、とんでもないこと。^^;)
今年はとても楽しいお正月でした。

私たちを取り巻く様々な人たちがいてこその、この時間空間、
そこに、私たちの団欒が成立するのだと思っています。しみじみそう思います。

しかしながら、しばしのひとときを過ごした後、
またそれぞれの場所で、
それぞれの、生活を、自分自身で、突き進んでいかなければなりません。
それは子供たちのみならず夫と私も同じです。それぞれに。

そして、離れていても、家族です。
ここは自分自身のスタート地点なのです。