まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

本当の幸せを見つけて・・・
  第2の人生を歩き出した
      まるちゃんの徒然日記
    
 

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客観的になる

2012年02月22日 | 

楽しいなあ 面白いなあ うれしいなあ 気持ちいいなあ って感じるのは幸せなことだ

でも、そんなことがなくなったとき平常心で落ち着いていられればいいのだが、寂しい 空しい 悲しい気持ちで胸が苦しくなったり、不安になったりすることがある。さらに、されたくないことをされたり、プレッシャーでストレスが溜まったり、我慢しきれなくて腹が立ったりする。また、自分を見て自分がイヤになったり、後悔してまた苦しくなったり・・・ 

人間だから、こういう気持ちになるのは当たり前のことなので、全く気にしなくてもいいのだが、こんな気持ちが続いて苦しい、解放されたい(浸っていたい場合はどうぞ)なら、とことん客観的になることだ。そして こんな気持ちになるのは、周りのせいではない。どんな時でも自分の考え方、見方次第でどうにかなるものだと思うこと。

客観的になる・・・物事をすこし離れた位置からみる、時間的(待つのがいい)にも。 「良い」とか「悪い」とか「好き」とか「嫌い」とかの主観を入れず、事実だけをみる データを集める 分析する。

ちょっと難しそうに見えるかもしれないが、意識するだけでもちがう。ただ、「我」の強い人は難しいかもしれないなあ。 「自分は正しいのだ!(周りが悪いのだから。私は被害者なのだ。この気持ちをどうしてくれる!)」みたいな人。周りがいくらプレッシャーかけようとヤなことばっかりしようと、平気な人は平気なのだ。だって、自分の感情をつくっているのは自分なのだから。

誰かに「あんたは我が強いね」と言われて「うん、我が強いと思う」という人は、自覚しているからいい。それほど強くないという可能性も。

「いやッ、我が強いなんて思わんッ」と ムカッとくる人は、多分我が強い人。ムカッとくるのは「あんたは悪い(とか、間違っている)」と言われたと思うからだろう。物事を「よい」と「悪い」(ほとんどが主観だし)で判断する癖があるので気をつけたい。

「そうかなあ。そうかも分からんが、我が強いの“強い”って何と比べて?」とか疑問に思ったことを尋ねる。で、「比べたことはないし、比べるつもりもない(みんな違うし)から強いかどうかは分からんけど、我はあるだろうなあ、人間だもの。あんまり強くならないように気をつけてるけど・・どんな時にそう思った?」と自分についてのデータを集めたりして・・・「なるほどなあ、そういう見方もあるのか(面白いなあ・・となぜか面白くなってくるんだな)でも、それは実は~なので自分としてはちょっと違うんだけどな」又は「気をつけよう」etc・・・・・と時間をかけ客観的にみると あら不思議 全く腹が立ちません

今自分はこの記事を書いたことを後悔している なぜか そう簡単にいかないとも思うから 軽い自分が書いた記事だから中身も軽いと思うから ではどうすればいいか もう少し深く考えてから書き直す とりあえず削除する とりあえず行動に移す [削除!]・・・・こんなこともあるさ 人間だもの ほっ

例が分かりにくかったかもしれないけれど

ストレスをためない、生まない方法は色々ありますが まずはあんまり考えすぎないでやってみることかな??

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「怒り」も「心配」も「ストレス」も・・・原因は自分

2012年02月20日 | 

お節介でも悪行為とはならない場合もある

た・ま・た・ま、困っている人の求めているものとぴったり重なり「本当に助かった、ありがとう」という場合

それと、お節介を受けた人がストレスを感じない、もしくは困ったとしてもお節介をする人に対して善意を感じて嫌ではない場合も悪行為とまでは行かないだろう

新採時代の未熟な私は 2?3?4?次会の店に電話されて「恥ずかしい、やめてくれ・・私はそんなに信用ないのか?」と、ちょっと腹も立った。父を見て「してくれと頼んでもないことを勝手にしておいて、自分から感謝を強要し、思う反応がないからと勝手に怒るなよな。結局自分の我がままのためにやってるのか・・」と思ったりもした。

しかし、今の私なら、困ることはあっても腹が立つことはないだろう(多分、めったなことでは)し、嫌な気持ちになることもないだろう(多分、めったなことでは)。それに余計な心配をして妄想することもないと思う。

なぜか。それは・・・

腹が立つ イヤな気持ちになる 心配でたまらなくなる ストレスが溜まる etc・・ という「自分の感情」を作っているのは「自分」である

どうしようもない、どんな状況でも、自分の心だけは自分で管理できる(我慢ではない。我慢することでストレスは溜まるのだ。我慢しなくてもよくなるということ)

ということを知ったから。つまり、どんな感情になるのも全て自分がしていること。原因は自分だと分かったから。分かれば落ち着いていられる。(よいとか悪いとかではなくてただの原因)

人や社会は思うようにならなくても、自分ならなんとかなる。自分でコントロールすればいいんだ。「自分」は変えられない(自分を変えたくない、自分は正しい)と思っている(これを我が強いという)から変わらない(だから苦しい)のであって、変わろうとすれば変えられるんだから(というか変わるのッ)

な~んだ簡単じゃん。

そもそも 「人は人自分は自分 みんなちがっていて当たり前 こんな人がいてもいい こんな自分がいてもいい」・・・と思っているから自分にも人にも腹は立たない というかちがっていることがおもしろい

「世の中に完全完璧なものはない 人も自分も 人間が作った社会も」・・・と思っているから 人から何言われても そうかもしれないしそうじゃないかもしれないし 腹は立たない

「できることはできるががんばってもできないものはできない そこは不完全な人間同士補い合えばいい」・・・と思っているから 自分にも人にも腹は立たない

「何があっても自分の心だけは人の自由にはならない」・・・と思っているから 大丈夫

そうはいっても やっぱり自分の心をコントロールするのは難しいという人がいるかもしれない

いえいえ大丈夫 こうすればいいんです

   とことん客観的になる

   「変わらない」とか「私は正しい」とか思わない

      (「すべては変わる」「正しい、完全なものはない」と思う)

・・・つづく

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「心配」と「お節介」

2012年02月20日 | 

新採のころ、 ある飲み会で帰りが遅くなったことを心配して、母が私の居場所を探して電話をしたことがあった。大学時代、高知で親から離れ自由に生活していた私は、これが親と一緒に暮らすということか・・・と驚き、がっくりし、つい親に説教?(あなたの心配も分からないではないが、大の大人が飲み会に行き夜中まわった位で心配することもないし、したとしても電話して探したり起きて待っていたりしないでほしい)してしまった。

「心配」とは・・・心細い 不安 さらに、“もしかして・・では?ああ・・”という妄想に悩まされている気持ちであり、それは本人の心の問題である 〈まる辞苑〉

まあ、母もただの人間であるからしかたないというか、気の毒なんだけど・・・

ちなみに、本人の心の問題であるので、本人次第で解決できるのだが(これは後ほど・・・)

この、心配のあまりよくやらかしてしまうのが「お節介」である

「お節介」とは・・・善行為のつもりで悪行為をやらかしてしまうこと つまり相手の幸せのため「だけ」でするのではなく、(ちょっとでも)「自分のため」(自分が心配だから、自分の気が休まるから または感謝されたいとか!)が入ったら悪行為になってしまう(ことが多い) 〈まる辞苑〉

これはよく父がやることだが、“(自分の価値観で)こうした方がいいのにしないのはできないからだ、かわいそうだから?援助してやろう”といって勝手に援助?を申し出たり、してやったりする。で、それに乗ってこなかったりすぐに感謝の態度を表さないと怒る。(なんだそりゃ) 怒られる方は、思わぬ事で困惑する上に怒られる、二重苦を味わわされる羽目に・・・

いくら親しくても、人のことは(自分では分かっているつもりでも)本当に分かることはないものだ(だって自分じゃないんだから) 分からないのだから、相手が助けを求めているかどうかをまず確かめるのがいい

困っているときに差し伸べてくれる手があるのは有り難いものだが、強制されるのは困る。その手を握るか握らないか、どの手を握るかの選択の自由が困っている人にはあるのだ。

心配になるのはしょうがないけど(お大事に・・・)、お節介はしないように気をつけた方がいい

ちなみに、お節介を「されて困る」人も「心配」も、「自分は自由なんだ」と分かっていれば、腹を立てたり嫌な気持ちになることはない。このことについては、また・・・

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