“「あなたがしたいことは?」というインタビューに、私は、「苦労がしたい」と答えたの。
自分の体験してきたことは苦労とは思ってなかったんですね。
苦しみとは思ってたけど、苦労というのは、たとえば貧しい境遇で、妹や弟、あるいは親を養うために新聞配達をする、
そして精神的な成長が促される、というようなものだと思っていたから。
私は、苦しんでも、精神的な成長にはまるでつながっていないと思ったんですね。
でもそんな答えをしたからますます苦労知らずと思われたかもしれないけど、
実は思わぬ苦しみを重ねていたとは悟られたくなかった。
ほやほや育ったと思われる方が全然マシでした。
箱入り娘で世間知らずですけど、知らなくてもいい別のことは知ってしまった。
それが誰からも見えないで欲しかった。
母親に「産まなきゃよかった」と言われ続けて、自分でもまったくその通りだと思っていて、
でもじゃあ、なんのために生まれたんだろうって、それは人類の永遠のテーマですよね
強引に、ただ、「生きるために生まれたんだ」と、足元の危うい崖の上から、それでも高らかに叫びたいんです“
(「戸川純全歌詞解説集 疾風怒涛ときどき晴れ」2016年発行より)
(YouTubeで観てね)
赤い戦車
水彩画より油絵の凝固した色味にも似た迷いなく確固たる動かぬ血の色の野望
Red Bloody The Will Is
たえざる意志の保持なり
重ねて同じ色を塗り続け幾たびになろう
しかして立体化した型状の絵すなわち成就
辛酸はだいだいの
It’s Not More Red Than My Hard Will
突き上げるあつい想いが描きなぐった血の色の
ペインティングス まるでキューブな自己実現
生きるために生まれたんだと確信する色
重ねて同じ色を塗り続け幾たびになろう
しかして立体化した型状の絵すなわち成就
辛酸はだいだいの
It’s Not More Red Than My Hard Will
傷を染める清冽な赤 凝視するほど傷は癒える
ペインティングス 赤く輝く血は源泉
死人じゃないってこれほどまでに確信する色
突き上げるあつい想いが描きなぐった血の色の
ペインティングス まるでキューブな自己実現
生きるために生まれたんだと確信する色
幼い頃から、家の中で自分だけ殴る蹴るの暴力を受け、
母親には見て見ぬふりをされ、後で精神安定剤を飲まされる
母親は彼女を産んだことをすごく後悔していて、しかもそれを直接言う
親のためにと、小学校低学年で腕の血管を切って自殺を図る、病院で何針か縫う
小3 妹と劇団「ひまわり」に入り、女優になりたいと思う
(その後父親に「大学に入ったらまたやらせてやる」と自分だけ辞めさせられるが、
学校の演劇クラブに入って放課後屋上で一人訓練する クラシックバレエ、モダンバレエ、日舞など習った)
母親は彼女を着飾らせることには熱心で、嫌だったが従順に従い「まるで人形みたい」だった
小学校ではいじめられる(男子たちに押さえつけられ石で殴られ)
小学生の頃からよく痴漢に遭っていた
小5 トイレで被害に 父親からは「お前にすきがあるからだ」とすごく怒られた
それから合気道を習わされた
高校生では通学の電車でほぼ毎日痴漢に遭っていた
中学高校と門限は5時、日曜日は外出禁止
18歳 2時間にわたって父親から理不尽な怒りをぶつけられパニックに。
救急搬送され、その後一人暮らしをすることに
苦しみの子ども時代
芸能界に入って女優と歌手の表現活動
賛否両論あって「わざと根暗」とか「不思議ちゃん」とか言われるのが嫌だったそうです
アンチに、座ってたパイプ椅子を蹴られて毒づかれたりも(メンヘラと言われたり)
29歳 椎間板ヘルニアの手術(下半身不随になるかもと言われた)
34歳 事務所とのトラブル(ギャラ未払いなど騙される)などで人間不信になり、
首を切って自殺未遂(3年ほど活動休止)
活動再開後
41歳 仲のよかった妹(戸川京子さん)が自殺
(ワイドショーの取材で芸能リポーターから知らされ、インタビューを受ける映像が残ってる)
食べられなくなった時期があるみたいです
46歳 交通事故にあい、脚と腰を複雑骨折
その後遺症で、バンド活動は椅子に座ってのスタイルに。
2年間のブランクの間にキーが落ちてしまいショックを受け、ボイストレーニングを始める。
腰が悪くて運動ができないために太ってしまったそうです。
腰がよくなったら女優もまたやりたいし、バンドも頑張り歌い続けたいので、
最近、スイミングに通ってるとか。
”(昔)「ハタチそこそこで諦念なんて知ったふうな」とバッシングした人がいたけど、
生きることは精神的なだけじゃなく外科的にも本当に血みどろだったし、
これからも心的にそうなんだ、ということは、やっぱり分からないんだろうなあ、と思いました“
”人生を振り返って、表現者になってよかったと思ってます。
表現者として、しかも女優だけじゃなくて、歌詞を書いたり、
歌詞だけで表現できないところを歌い方で補ったり、
そういうことで真意を表現できる。
いや、そもそも私は歌うことそれ自体が好きなんです。
私にとってはそれが生きるということ。
自分の中の野蛮ー生存本能ーが、「死にたい」と思っても、
ひたすらに自分の中の野生として生きようとする。
本来動物が持つ本能的なところに助けられていて、
私は、それを良いものと受け取っている。“
(「戸川純全歌詞解説集」)
現在62歳の戸川純さん。
これからもずっと歌い、表現し続けてほしいです。
彼女の歌や言葉を聴いたり読んだりして、私はちゃんと「生きて」いるだろうか、
「生き生き」しているだろうか、
と自問し、私も頑張りたいと思いました。
35周年のアルバム(2016年) から