「心を磨く」とか「心の汚れ(煩悩)を落とす」とか言われるけど、
それって「無意識」の中にある煩悩(悩ますもの)をすっきりきれいにする、
ということなのかなあと思います。
理性的な「慈悲喜捨の心」を意識的に育て、自分の心をしっかりと観察することによって、無意識の煩悩(怒りや欲やあれこれ)に影響されにくくなります。
まあ、すべての煩悩がなくなったらもう人間じゃなく、悟りに達した人、
輪廻から解脱した人(もう人間に生まれることがない)。
それは無理かもしれないけど、少しでも心を磨きたいなあと思うのです。
心を磨いてすっきりするのが、カウンセリング(仏教では瞑想)とかになるのかな。
(河合隼雄「無意識の構造」より)
自我に影響を与えるものにコンプレックスがあります。
劣等感のような、苦手意識のようなものでしょうか。
でも、コンプレックスはあっても悪さをしないというか、プラスに働くこともある。
感情的なこだわり(怖れとか怒りとか不安とか)をもたなければいい。
足りないとか苦手なものはあってもいいんだ、と思えればいい。
自分はこれができないんだなあ、ならどうしようか、どうしたいか、放っておくか、さて、、と冷静に受けとめればいい。
コンプレックスは色々あって、数学コンプレックスとか、運動コンプレックスとかスタイルのコンプレックスとかはけっこう自覚してるけど、
無自覚のものもある。
エディプスコンプレックス(フロイト)
男性がその母親を愛の対象とし、父親を敵対視し(殺したい!?)みたいな願望が無意識内にあるという考え
尊敬できる父親と自分を同一視することで乗り越えていく。
(マザコンやファザコンはこれ?)
劣等感コンプレックス(アドラー)
権力を求める。自分の権力を得ようとして反抗する。
カインコンプレックス
兄弟間の強い敵対感情
メサイヤコンプレックス
劣等感を救ってほしいという願望を他に投影し、やたらと他人を救いたがる。
劣等感と優越感が交錯。
、、、色々ありますねえ。
ところで、西洋の人の心の中心は「自我」が強いけれど(だから個人を大事にする)、
東洋の人、日本人の心の中心は(本来)「自己」だそうです。
今はある程度西洋化してるところもあると思いますが、いまだ健康な”個人”はあまり育ってないように思います。
日本人の「自己実現」は、自分個人だけの事ではなく、他の人々のつながりを有するもの。だから、自己判断力が弱く、同調圧力に流されやすいのかも。
自己は無意識の中にあって、意識化されない。
自己を見つめるというのは難しいので、日本人の多くはその自己を外界に「投影」し、そのためならば命を捨ててもいいという考えになってしまうとか、、(天皇陛下万歳とか?)
この辺の、自我と自己の意識構造の話はなかなか興味深いです。
仏教では、心とは身口意(眼耳鼻舌身意)で「対象を認識するはたらき(知る機能)」であり、心とその中身である心所をあわせて「こころ」といいます。
意識だけではありません。
こころ(心+心所)はどこかに”ずっとある”のではなく、大変な速さで生滅を繰り返しつつあるものです。心は変化しています。
厳密には二度と同じ心はありません。似たようなものになることはありますが。
ユング心理学で説明される心の構造は、心所のありかたのようなものでしょうか。
(河合隼雄「無意識の構造」より)
「私の」「私が」という「意識」である、行為や意識の主体としての「自我」は、政党派閥の主流派のようなものだそうです。(自我はコンプレックスに反逆されないよう、穏やかに折り合いをつけつつ、発展を図る)
コンプレックス(心的複合体)は感情のしがらみのようなもの。
コンプレックスを解消させるためには、まず「認識」すること。(ありのままに受け入れること、受け入れられることですね。)
仏教では「変わらぬ自我(私)」というものはない、すべては「無常」であるから「無我」だといいます。
私たちが”意識”している「私」は変化生滅しつづけるものであるから、自我”意識”はあっても実際「変わらぬ私」はない。
自我意識の奥に個人的無意識やら文化的無意識やら普遍的無意識やら、、、人間はたくさんの「意識」(「無意識」も自覚されない「意識」ですよね)に影響されながら、人生を送っている(そして苦しんでいる)のですね。
私たちの意識は、無意識の作用によって影響されている
器官としては聞こえるはずなのに、聞こえない!
…身体の器官の障害はなく、心理的な問題
「(主人の言うことなど)聞きたくない」という無意識が働いている(無自覚)
例
妻が夫の浮気を知るという心の傷を受けた。彼女はそんなことはなんでもないことだと思い、忘れてしまうほどだったにもかかわらず、その古傷の痛みによって、耳が聞こえない症状がでてきた。
→心理的な問題が身体的な症状に転換=転換ヒステリー
=身体の器官には障害がなく、その機能に障害がある
彼女が自分の存在を破壊させない唯一の方策が、そのこと(夫の浮気)を忘却することだけだった。それは意識的に行われたのではない。
一個の生活体の反応として、ヒステリー性健忘症という事象が生じた。
忘れたと思っていた夫の浮気は、無意識内に存在し続け(抑圧された)、それに伴う情動は意識されないままにはたらきつづける→心的外傷 古傷が痛みをもたらす
※治療は、抑圧されている外傷体験を見いだし、意識化することが大切
(河合隼雄「無意識の構造」より)
PTSD(心的外傷後ストレス障害)とか、魔が差したとか、色々な神経症とか(あがり症、潔癖症とか?色々)、人の行動やありようで、なんでだろうと思うことの原因に、なにか抑圧された「無意識」というものがあるようです。
日本人には日本人の無意識があり、西洋人には西洋人の無意識があり、私には私の無意識がある。無意識を知る方法の一つに、「夢」があるそうです。
無意識の世界、面白いです。