まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

本当の幸せを見つけて・・・
  第2の人生を歩き出した
      まるちゃんの徒然日記
    
 

ようこそ

いらっしゃいませ! このブログは、まるちゃんのひとりごとを中心に テキトーに、マイペースで更新していきます。好きな読書記録や、菜園日記等もかねてます。一緒に元気になれるブログをめざしたいと思いますが、しょもないことも書いてます。ちなみに、いちおう人気ブログランキングと日本ブログ村に参加してます。遊びに来られたついでに、記事下か左サイドバーのボタンを2つポチ、ポチッとしてくださると嬉しいです。ゆっくり遊んでってくださいね。 あ、コメント・置き手紙・トラバ・ボケ・ツッコミご自由にどうぞ。

親の役割

2019年03月04日 | 学校・教育

教師には教師の、親には親の役割がある。

親の役割は、子供に『道徳』を教えることだそうです。(「ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる」アルボムッレ・スマナサーラ著)

明るく力強く生きていけるように、自立して自分の人生を歩いて行けるようにと願いを込めて。

決して、親の思い通りにさせようとか、親のロボットを作ろうとしてはいけない。子供は親の所有物ではありません。子供を子ども扱いしてバカにしてはいけません。子供には子供の人生がある、子供の生き方、権利がある。

大事な自主性、自発性が育つのを、自立していくのを邪魔してはいけない。子供は大人をちゃんと見ています。邪魔するやつか、信頼できる人か。

 

その道徳とは?(お守りです)

1. 他の生命の命を奪わないこと。

2. 与えられてないものを取らないこと。

3. 娯楽、楽しみに対して節度を守ること。
 (理性的であること、不邪淫)

4. 嘘をついて他人をだまさないこと。

5. 調和を乱したり、仲たがいするような言葉や噂話をしないこと。

6. 他人の気持ちを傷つける、怒りの感情を表すような言葉を話さないこと。

7. 根拠のない、役に立たない無駄話をしないこと。

8.   実現不可能な異常な欲をもたないこと。
 (ほどほどで。自制しよう)

9. 自己管理できない怒りが暴走しないようにすること。
 (怒りのない思いやりのある性格をめざそう)

10. 事実に基づかない、確かめられない意見に固執しないこと。
(鵜呑みにせず確かめてみよう、試してみよう。わからないことはわからないと言えばいい

 

どうやって教える?

親自身が道徳を守ることです!
親自身が自立したしっかりした性格をめざすこと。
その努力している姿を子供にお手本として示すんです。

自分が感情に負けて、欲に負けて、怠けている人間が、どうやって子供に教えることができるのか。偉そうにどの口が「~しなさい」「~しちゃいけません」なんて言えるのか。

まずは親が、大人が、よくよく自己を見つめて反省することだと思います。

反射的に、口汚く感情的に叱っている親を見ることがあります。いつも周りの批判をし、不満ばかり口にしている人も多い。育て方、子供との向き合い方がわからず、放棄する親もいる。心に余裕がなくて混乱しているのでしょうね。

・・・まずは自分です。他人事じゃありません。

   がんばれ、お母さんお父さん!

   がんばろう、大人!

(道徳を学校に任せていいのかな?しかも教科、ですか??)

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だれのための道徳

2018年05月06日 | 学校・教育

道徳が教科になり、教員に評価されることになった。

道徳は人間が幸福に生きるための一番大切なものであり、きちんと教育されるべきものであることは否定できない。

けれど、「本当の道徳」を指導できる人間が現代のこの世にどれだけいるのか・・・。「道徳とは何か」という共通の理解、しっかりした定義はなされているのだろうか。

だれかの一方的な押しつけは道徳ではない。

道徳は普遍的な真理であるべきモノだと思う。
(為政者や社会によって変わるような道徳は本当の道徳ではない)

道徳には答えがない、、、という声を聞いたことがあるが、答えのない道徳なんてものがあるんだろうか。答えのない、あいまいなモノをどうやって教えるというのか。(教科とは教える科目ってことだからね)

幸福になりたくない人間はいない。不幸になりたいんです、という人間はいない。人はみんな幸福に生きたい、、、そのための道徳です。誰一人として、不幸にしないための道徳。みんながきちんと幸福になる道を教える道徳。

答えは、お釈迦様の教えにあると思います。

>仏教の道徳とは、「原因・結果に基づく理性的な行為」のことです。

つまり、

「未熟な行為をすると不幸になり、熟練した行為をすると幸せになる」

「未熟な悪い行為をすれば、必ず苦しむ」

熟練した善い行為とは、慈しみやあわれみなどの、幸せの原因をつくる行為です。欲・怒り・無知のない心でおこなうことはすべて、行為をする人と受ける人を幸せにするのです。幸せをもたらす行為が、熟練した行為なのです。
(「エイトマインドフル・ステップス ブッダが教えた幸せの実践」バンテ・H・グナラタナ著 より)

行為には身体でする行為、言葉でする行為、でする行為があります(身口意)。

ブッダは次の十の悪行為を示されました。身体では「殺生・盗み・邪淫」、言葉では「嘘・悪口・粗暴な言葉・無駄話をすること」、心では「強い欲・強い怒り・現実の本質を間違って理解する邪見」。納得です。

指導要領には色々な内容項目が示されていますが、例えば「郷土や国を愛する態度」は「道徳」で教えるものなのか。強い欲とか、強い怒りとか、排他的な邪見を伴ってしまってはもう道徳とは言えない。変な郷土愛や愛国心(慈しみではなく執着・エゴ)が育ってしまって、おかしな行為をするようになることだってある。
しかも、だれも他人に悪い行為をやめさせることはできないのです。自分自身でやめるしかない。だから、「愛国心」という項目ひとつとっても、指導する人が「本当の道徳」を理解していなければそれは、不幸につながってしまうこともあり得るのです。

さらに、内容項目も細かくて多すぎると思う。「集団や社会との関わりに関するもの」や、「生命や自然、崇高なものとの関わり」などは社会科や理科などを学ぶ中で育てられると思います。「自分自身に関すること」も「人との関わりに関すること」も、もっと毎日の生活指導を充実させていけば、学級指導や学級活動などで育てられるし、、、まあ、学校にもっとゆとりがあって教員が「教師」として高められていればですけど。(何でも教科にしてぎゅうぎゅうにして、教員の首を絞めて悪循環に陥っているように見える)

評価も、身体と言葉の行為は見えるけど、心の行為は見えません。教員には(誰にもですが)評価はできないと思います。無理なことを無理やりさせるのはどうかと思います。何のための評価でしょうか?何を評価したいのでしょうか?

社会や家庭の役割も大きい。評価するなら親も評価するってこと?それより、自分自身(子供だけじゃなく、教員も親も社会もね)を反省することの方が大切だと思う。

政府は(簡単に?)教科にしてしまいましたが、現場の教員は本当にきちんと指導できるのか、本当に大丈夫なのか、、、教員任せにしていいのか、、、そもそも(文科省の検定!した)”教科書”がちゃんとしたものかどうか、、、おばちゃんはちょっと心配です。

まずは、教員や私たち大人が「本当の道徳」を学ぶことじゃないかな。

生きとし生けるものが幸せでありますように・・・

 

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前川喜平さんのお話

2017年11月19日 | 学校・教育

実質法律を作って国を動かしているのは官僚で、その官僚の人事を握ってソンタクさせる官邸という”構造”があるという話を書きましたが、官僚の中にも心の中に良心をもっている人はもちろんいるのです。自由に出せないシステムにあるから出せないだけで、気の毒に、、、。(良心よりエゴが勝っている人が問題)

時々おじゃましているブログ「岩清水日記」さんに、前川喜平さん(前文科省事務次官の講演の音源が公開されていたので聴かせてもらいました。

「面従腹背」で勤めておられた苦しい国家公務員時代を経て、晴れて心の良心を自由に伝えることができるようになった。とても興味深いエピソード(カケ問題等)もあります。

90分ほどの講演ですが、とても共感できる内容でした。(賢い人、いい人だ)

よりよい日本、特に教育に少しでも関心がある人はぜひ聴いていただければと、勝手に紹介させてもらいます。より多くの人に聴いてもらいたいです。

下のブログからどうぞ ↓

岩清水日記「前川喜平さん、大いに語る in岡山 11月12日」

 

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力不足

2017年11月10日 | 学校・教育

教員も学校も(教育システムも)万能ではない。力不足は必ずある。

親が万能でないのと同じように。

改善できるものは改善すればいい。それでも力不足は必ずある。

だから、何でも自分(たち)だけでうまくやろうと思わず、

協力してもらって、助けてもらうこと。

 

相手の力不足を責めないで、助けてあげること。

相手の力不足を理解してあげること。

 

自分に力がないことを、ごまかさないこと。

自分だけで何とかしようなどと、思わないこと。

 

大事なのは、自分ではなく、子供。
”自分の”子供ではなく、子供自身。

 

みんなが謙虚に。誠実に。やさしく。
でないと、問題は解決しません。どの世界でも同じ。

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落ちこぼれ

2017年11月10日 | 学校・教育

茂木健一郎さんのブログを読んでて、本当にそうだなあ、と思った。

落ちこぼれなんていない。

人間が社会的に勝手に基準を作って、そういうシステムに人を当てはめようとしているのであって、実は人間の社会が”落ちこぼしている”という話。社会の都合。

本来、落ちこぼれなんてありえない。
人の能力は一人一人みんな違っているのが当たり前。

社会のあり方、システム、勝手な基準、点数で評価することなどの方を変えればいい。わざわざ落ちこぼすようなシステムを作らなきゃいい。

落ちこぼれなんて、いない。

 

通知表、全国学力テスト、今の入試制度、勤務評定、教育目標や成果の数値化、、、どれも、おかしいよなあ。

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「すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論」堀江貴文

2017年07月28日 | 学校・教育

【学校とは本来、国家に従順な国民の養成機関だった。しかし、インターネットの発達で国境を無視した自由な交流が可能になった現代、国家は名実ともに"虚構の共同体"に成り下がった。もはや義務教育で学ぶ「常識」は害悪でしかなく、学校の敷いたレールに乗り続けては「やりたいこと」も「幸せ」も見つからない。では、これからの教育の理想形とはいかなるものか? 「学校はいらない」「学びとは没頭である」「好きなことにとことんハマれ」「遊びは未来の仕事になる」――本音で闘うホリエモンの〝俺流〟教育論! 】

確かに、洗脳といえば洗脳。いかなる洗脳からもまったく自由に生きている人間はいないからねえ。(いつの間にかひとつの価値観に固執してしまってたり)

でも、現場のほとんどの先生たちは洗脳しようなんて思ってませんから。子供たちの自立(自由)と幸福を願って教育してますから。ただ、いかんせん、能力不足で(←人間だからね)押しつけになってしまうこともあるんだよね、残念なことに。結果的に洗脳的な教育になってしまっているかも知れないですね。教え方の問題。人間として仲よく生きるためには最低限の「戒」は必要だからねえ。(戒を守りつつ、よりよい社会を”創る”ことができる人間、大人のつくったしょうもない常識に縛られない人間に育ってもらいたい)

ホリエモンの言いたいことはとてもよく分かります。理想です。めざすべきものでしょうね。現場の先生たちもがんばって精進してもらいたいけど、教育を受ける側も(できるなら)自覚できるといいなあ。

高橋源一郎さんが書いてましたが、ほとんどの子供たちは洗脳なんてされない。なぜなら、センセイの言う事なんて”聞いちゃあいないから”。そうそう、センセイの道徳的(修身的?)な”押しつけ”は鵜呑みにしないほうがいい。でも、優れた先生からはしっかり学んでほしい。いや、どんなセンセイからも学べます。(子どもにセンセイを”評価”させると傲慢な人間になってしまうと思います。学べなくなる。)

大事なのは、自分から学ぼうとすることです。

ガッコウの敷いたレールに従順に従う人間にはならないでほしいね。自分で自分の人生、幸福をつくっていってもらいたい。教育は子どもの「自立」(自由)をめざしているはず(基本法の目的にもある)なんだけど、誰がそれをゆがめているのでしょうね。社会?おとな?権力?

「国=政府ではない」という武田さんの言葉は重い。公立学校は政府立学校じゃないってことだね。「国=国民(政府を含む)」だからね。しかも国民である前に人間である(もっと言えば、人間である前に生命である)。人間(生命)としての教育が求められているわけです。

学校は使いようによっては害にもなる。ただの道具、手段です。使わなくていい人は使わなくていいし、使わない方がいい人は使わない方がいい。

もちろん必要な人もいるわけで、その場合もよく気をつけて使った方がいいかもしれません。学校はもっと多種多様であるべきだと思うし、もっともっと自由であるべきだと思います(指導要領や教科書検定ってどうなの)

学校に通わせる義務ではなく、教育を受けさせる(大人の)義務なんですから。子どもには権利があるだけです。自由です。

 

星4つ 

学歴(学校)はなくても教養は身につきます。学歴より教養です。自分で調べて自分で学ぼうとしなければ教養は身につきません。けれど、独りよがりの偏見にならないように気をつけなければいけない。センセイ(学校)の偏見も、自分の偏見もどちらも問題ではある。広い視野をもつことですね。

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「やらかし男子がみるみる変わる育て方」 篠原菊紀

2016年04月22日 | 学校・教育

【母親にとって、”異性である”息子は異星人

小学生になると、不可解な現象はパワーアップ!
学校のルールも守れないなんて日常茶飯事、びっくりするようなやらかし行動の数々が母を待ち受けます。

毎日毎日繰り返される忘れ物の数々。
持って行ったと思ったらなくして帰ってくる学用品。
出かけ先でも大暴れ。
片づけない部屋は魔窟と化し、
「鏡見たの?」といいたくなる珍格好で学校に行く・・・。

もちろん勉強なんてどこ吹く風でゲームざんまい。
外に飛び出していったと思ったら、帰ってこない。
ついには、エッチなことにも興味を覚え始め・・・。

そんな、お母さんの悩みの種を漫画化。
「ためしてガッテン」「クローズアップ現代」「とくダネ」などでおなじみの脳科学者篠原先生が、脳の発達の見地から、原因と対応策を解説してくれます。
さらに、脳科学や心理学の実験結果も引用し、効率的に男の子を「賢く我慢強く自ら学べる」子にする方法を紹介します。 
子どもの脳を鍛えればイライラ卒業!男の子のあるあるコミックで分析!】

小学生男子のあるあるの数々。「そうそう!あるある(いたいた)!」って思わず笑ってしまいました。
お母さんや先生にしたらほんと大変だと思います。私だって、仕事辞めて客観的に見られるようになったから、笑えるわけで・・・
でも、笑えるくらいじゃないと子育てはうまくいきませんよね。

男性脳と女性脳の違いがあるのですね。
小学生の男の子は一つの目的に突っ走って(それしか見えなくなるしあれもこれもはできない、ひとつのことしか頭にないのね。目先の「快」を優先させがち。女性のように結果がどうかと考えるのではなく、「どうなるかな、どうかな、ワクワク」という状態を「快」として最優先してしまう。がまんができないし

脳のせいなんですね。

根気よく、小さな小さなことをほめながら、”ワーキングメモリ”を鍛えていくしかありません。子供の「おお、こうしたらいい感じ!」てのを繰り返し強化する。

「細かくたくさんほめて「やる気」を育てる。反対に叱るときはがつんと一撃(しつこくぐじぐじ叱っちゃだめ。感情任せでなければ怒鳴ったって大丈夫。慈しみでフォローね)」^^

「3回ほめて、1回はガツンと叱る」(なんでもかんでもほめると効果が薄れるそうです)くらいを目指しましょう、だそうです。怒ってはダメ、叱る(諭すことができればそっちがいいと思いますが無理か^^;)。
ほめるを意識しましょう。(またやらかしますよ。でも、子供ってそういうもんです。そうやって大きくなっていくんです^^;)

「やる気」というのは、ただ待っていても出てきませんから、親がサポートする必要があります。
 例えば・・・、

オノマトペをつけて行動を具体的にイメージさせてやる 

 「すっと立って、ぐいっと踏みだし、どすっと座って、ガリガリ勉強する!」とか

あこがれの人や尊敬する人を思い浮かべて、その人ならどうするかな とか、

「とりあえず、これだけやってみよう」と、とにかく始めてしまう とか etc・・・

まあ、読めばちょっとは気が楽になるかな?

 

やらかし男子のおかあさん、がんばって!

星4つ 

 

学童(1~4年)のお手伝いに行ってきました。特に問題はないんですが、様子がわからないと気をつかいますね。1年生の男子と将棋とオセロをしました。ちっさいけど、気持ち(お口もね)は一人前(のつもり)でっせ。

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頑張る学校応援事業・・・???

2014年10月17日 | 学校・教育

岡山県は、学力向上や不登校対策などで成果を挙げた小中学校に奨励金100万円ずつを交付するという「頑張る学校応援事業」を実施しています。成果?を上げたらご褒美をあげるからもっとしっかりがんばりなさい、ということです。

知事は「教育現場は横並び意識が強く、違和感があると思うが、生徒のために良いやり方を競ってもらいたい」と言われているようですが、実際は横並び意識ではないと思います。

どの学校だって必死に頑張っているのです。横並び意識なんてそんな余裕などないのが現状じゃないでしょうか。教育はお役所仕事とは違います。違和感、ありまくりです。

お金を目の前にぶら下げたら頑張れて?成果?が上がるようになるのでしょうか?教育とはそんなもんでしょうか???そんな人間でいいんですか?

選定された学校は「頑張った学校」で、選定されなかった学校は頑張りが足りない、ということでしょうか???

成果?が上がって、子どもの心が豊かに生きる力がわいて、生き生きと学べる子どもに成長しました。それは、とてもいいことだしよかったな、と思います。でも、100万円のご褒美が必要でしょうか?

本当に必要としているのは、必死で頑張ってるけれど経費が足りないとか、もっと子どものために使いたいと思っている、教育困難校ではないでしょうか。教材整備や先進校視察が必要なのは、成果?が上がったと言われる学校ではなくて、なかなか成果?が上がらなくて困っている学校の方なのではないでしょうか。困っている人に手をさしのべないで、どうするんでしょう。

教育は、デパートの売り上げを伸ばすというようなものではないはず。
子どもをただの”労働力”や”金をより多く稼ぐ道具”にしたいのでしょうか。教員は教師でなくていいんでしょうか。子ども一人一人の人生が豊かに幸せになることを願うなら、安易に競争させる競争原理、成果主義ができない子のやる気をそぎ、心(性格)をゆがめているということに気がついてほしいと思います。競わせるのではなく、助け合って共に伸びていく学校であってほしいと思います。

 

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目標は・・・

2014年08月30日 | 学校・教育

岡山県知事さんが、「全国学力テストの順位を10位以内にする」という目標を掲げていましたが、今回の結果は全く届かず過去最低になったそうです。(ありゃりゃ…)

そもそも、この目標は適正な目標なのかな?
で、誰の目標なのでしょう。知事さん個人の?県の教育行政として?学校の教員に向けて?
それぞれの目標は違うはず。立場が違うんだから。ということは、10位以内にしたいのは知事さんの個人的なものなのかな。目標というものは、自らが設けるものですからね。
でも、学力って相対的な順位ではかれるもの?今時、通知表だって絶対評価です。
 

10位以内めざしてがんばるぞ」と思ってる人は知事さん以外にいるのかな?よ~しがんばろう、というやる気を起こす目標になっているのか。実態と合っているでしょうか?

そうでなければただの絵に描いた餅。(まさか、命令じゃないよね^^;)

「全国で10位以内」という目標は具体的なようで、逆につかみ所がない。
何をどうがんばればよいかがあいまいです。(まあ、ただの結果でしかないし)
競争を目標にしてしまったら他県がこければ(下がれば)上がるということにもなり、自己を高めようという向上心につながりにくいし、かえってシラけてしまいそうです。(知事さん、一人で力んでる?)


もっと子ども一人一人を尊重した、手の届く目標にしたほうがよさそうです。
県全体の順位なんかどうでもいい、一人一人の子どもが楽しく学習に取り組め、自分の力を伸ばし、達成感がもてそうな目標を、押しつけじゃなく、もてればいいと思います。 (その結果順位が上がるかも知れないし、上がらないかもしれない。でも問題は順位なんかじゃない。子どもが幸せなら最下位でもいい。)

で、それぞれに具体策を立てる。たとえば・・・、
行政 「よりよい教育環境を整えるために、教育予算を○○%増やし、教員が指導能力を十分発揮できるようにゆとりある・・・等あらゆるサポートする」(教育予算全国10位以内とかなら大歓迎)

教員 「自ら学ぶ意欲がもてるような、楽しくわかりやすい指導法(授業形態、教え合い、問題作りなど)を研究し、勉強が楽しいという子どもを増やす」(事務、雑務を減らして、自身の学びや子どもとのふれあい時間を増やす) 

子ども 「 苦手な○○を克服するために、自主勉強を1日○○以上する。分からない事は分かるまで質問して必ず復習する」(まず、学ぶことわかることは楽しいということを経験させてあげよう)

親 「
親の都合で子どものことを学校や塾に押しつけたり任せきりにせず、親として自分も謙虚に学び、あらゆる協力を惜しまない。」「子どもと共に学び、成長するという親としての姿勢を持つ(後ろ姿を見せる)」(
子どもは自分の物ではない、慈悲喜捨の心で育てましょう。)

(あれ、普通だな・・・^^; もう少し具体的にね・・・^^;) 

とにかく、、、順位ではなくて、学び方がわかり学ぶ事が楽しい、ということが一番!


・・・・て、思います。
偉そうな事は言えませんが (しかも、長いね・・・^^;)
なかなか思うようにはいかないし、難しいとは思いますが
元気を出してもらいたいです。


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夏休みの宿題

2014年08月29日 | 学校・教育

夏休みも残りわずかとなり(中3の姪はすでに2学期が始まっている)、中1と高2の姪は夏休みの宿題をがんばっています。


部活動と補習授業、ボランティア活動などで休みは正味1週間ほどしかないのに、宿題は大量に出される。塾やお稽古ごともあり、自分の本当にやりたい勉強や活動(苦手克服とか興味のある事とか家の事とか)がこれでは十分にできないのではないかと思いますが、どこの学校もそうなんでしょうかねぇ。
大人だけでなく、子どもも本当に時間がない。昔ののんびりした夏休みとはずいぶんと違ってきています。
 

まだ小学生(4、5年生?)くらいまではなかなか自分で課題を決めてうまく時間を使うのはむずかしいかもしれないけれど、中学生くらいからは、もっと自由度を上げて(自由課題にして)夏休みの宿題は最小限におさえた方がいいのではないかと思うのですが。でないといつまでも自立できないし、学校や人に依存して自分で考える事ができないのではないかと。それに、人によって課題は違うもの。一斉の宿題では本当にやりたいことに時間が取れない。(あれこれやってみて、失敗するのも大切な経験です。家族とじっくり語り合うとか、協力して家事をするとかも。)
 

時間の使い方(生き方、生活の仕方)を考える、マイペースでやりたいことをする、というようなことは今の社会ではリタイヤしてからでないとむずかしいのでしょうかね。それじゃ遅い、というかなるべく若いうちから必要だと思うのですが・・・。
 

今の学校は”学力”には力を入れてるようですが、いかに生きるか、幸せとは何か、人間とは人生とはなどはあまり重視されてないように思われます。いかにいい暮らしをするか、いかに成功するか、大学受験や就職が一番の目的のようです。でも社会に出るまでに「いかに生きるか」「幸せとは」と一度じっくり立ち止まって考える機会をもったほうがいいのでは・・・。というか、こっちの方が大事。
 

姪達には、「とりあえず、できるところまではやるっきゃないな~」と、とりあえず見守るまみおばであります。^^; (ちょっとだけお手伝いしたりして^^;・・・というか夏休みの宿題をできる範囲で家族が協力するというのもいいんじゃないかな^^)

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道徳を教科にすべきか

2013年07月14日 | 学校・教育

昨日TBS報道特集で「道徳を教科にすべきか?」というのを見た。

私は、子どもに思いやりのあるやさしい心を育てたいのなら教科にすべきではない、と思う。
今でも授業は毎週1回はされているし、行事や日々の生活の中で実践されている。
(時間的にも精神的にも余裕のない中で)指導しなければいけないその内容は多岐にわたっている。
  こちらを参照してください→  道徳内容項目
教科にしたとしても心は育たないし、かえって心は疲れていくのではないだろうか。(教師も子どもも)

道徳の研究授業の様子を取材していた。
中学年。友だちから送られてきた絵はがきの料金が不足していた。もらってうれしかったけど、相手のために料金が不足だったことを教えてあげるか、それともお礼だけにするか・・・みたいな話だったと思う。
これは「友情・信頼」の授業らしい。

くわしいことは分からないけど、答えは「相手のことを考えさえすればどっちでもいい」だと思う。
教えてあげた方が今後困らないだろうけど、もし言ったら友だちが気を悪くするかも知れない。
本当の友情は?・・・みたいなことなのだろうが、どっちでもいい。「相手による」でいい。
大事なのは「相手の身になって考えてみる」ということ。そして、「どっちでもいいんだ」と思うこと。
もし教えてあげて相手が気を悪くしたら謝ればいい。言い方によって気持ちがうまく伝わらないことはある。失敗しながら成長するもんだ。お互い様だ。

一人ひとりちがっていて当たり前だし、いろんな考えがあっていい。
「~しなければならない」「~してはいけない」と教えるのではなく、
大事なのは「~したらどうなるのか」「なぜ~したらいけないのか」「なぜ~したほうがいいのか」と考えさせること。そして、まちがっても失敗しても直していけばいい、お互い様なんだということ。

授業はこういうことを考えさせる一つの経験にはなるかもしれないが、学校の道徳だけでは不十分だ。
しかも、これを教科にすれば、子どもは「正解」を覚え、教師はそれを「評価」しなくてはいけない。
これではやさしい心は育たない。つまり、「評価」自体がやさしくない行為なのだ。
道徳に「正解」はない。道徳は「知識」ではない。
(プラス、教具づくりに指導案、こんな大変な準備が必要な授業が超多忙な中で日常的にできるのか?)

弱肉強食の競争社会であるかぎり、自己責任だと弱者を切り捨て排除する社会であるかぎり、お金お金とお金に頼り切りお金を儲けるために時間も心も余裕のない社会であるかぎり、やさしさのない社会であるかぎり、いじめはなくなることはないだろう。子どもは、大人がつくったいじめ社会の中で育っている、苦しみながら・・・。

子どものさびしさ、つらさに寄り添う時間や精神的余裕こそが、家庭や学校や社会に必要なんだと思う。
(現代の家庭や学校にそれがあるか?)

大丈夫、君はひとりぼっちなんかじゃないよ。何にも悪くないよ。ちがってていいんだよ。みんな平等なんだ。押しつけられることはない。自由なんだ。そのままでいい。みんなで助け合えばいいんだ。お互い様じゃないか。間違ってもいいさ。うまくいかなくてもいい。すべてがいい経験だよ。大丈夫。ひとりじゃないから・・・・・

「強い日本」なんかを“取り戻す”のでははなく
      「やさしい社会」「子どもたちの明るい笑顔」を“創って”いかなければ
                                          人類の未来は・・・。


こちらのサイトも共感します→ 「道徳の教科化は道徳教育の劣化を招く」
                    「そもそも道徳の授業が行われてないことが問題なのか」

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理性と智慧をもって・・・ 

2012年08月10日 | 学校・教育

自分のこどもを疑わないこと。 信じよう。 

嘘をついていると思うなら、嘘をつかなくてもいいようにしてあげよう。

正直に素直に話したくなるように、しっかり聞いてあげよう。

嘘をつくのは、嘘をつかないとひとりぼっちになってしまうから。さびしいから。

嘘をつかせているのは誰?

 

本当によい行為をすればよい結果がうまれる。
少しでも悪い行為をすれば、必ず悪い結果になる。

(自分はよいことだと思っても相手にとってよくないとか、
 してやってるという見下した気持ちがある、又は、
 よくない条件や状況によっても結果は悪くなる)

嘘や悪口など悪い行為をすれば、必ず悪い結果になる。不幸になる。
嘘や悪い行為をしなくてもいいように、大人はしてあげるべき。

 

黙ってしまうのが困るのなら、

話したくなるように、おだやかに、ゆっくり待ってあげよう。

言葉を補ってあげてみよう。

言いたいことが言えないのはつらいんだ。悪いことじゃない。

言いたいことがないのに、言いたいことが言葉にならないのに

「何で言わないんだ」と責められるのはつらい。

言っても分かってもらえない、信じてもらえないと思うことだってある。

言えなくしてないか?言えなくしているのは誰?

いろんな人がいるんだ。うまく言えない人だっている。

言えなくったって、いいんだ。黙っていることは悪いことじゃない。

 

言葉は不完全なもの。

完璧に伝わる、完璧に人のことがわかる、なんてあり得ないこと。

相手に分かってもらえないのは、自分の説明の仕方、表現の仕方に問題がある。

相手を何とかしようと思うのではなく、自分を何とかすること。

 

弱肉強食の厳しい社会をたくましく生きる人間を育てる?

そんな社会がいいと思っているの?

人は野生の動物か?

私は、互いに助け合いやさしさに満ちた社会をめざしたい。

そのためにできることをする。そんな人がいっぱいになるように。

人には理性と智慧がある。

野生の動物のように吠えなくていい。

理性と智慧をもって、おだやかに暮らしたい。

人がめざすのはそんな社会では?

「たくましく生きる」とは、
理性と智慧をもっておだやかに堂々と生きるってことじゃないの?

できるところから少しずつ。

人の人生は短い。あっという間だ。明日どうなるかも分からない。

ならば、どう生きるか? 

後悔しないように、「今」を精一杯生きる。充実して生きる。

できることはしないともったいない。

人の喜びも自分の喜び。

 

一度きりの人生なんだから

   怒りの心で生きるより

     明るくおだやかな心で生きるんだ。 ・・・・・・ じゃないと、もったいない。

 

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平成24年度 出部小学校運動会

2012年05月19日 | 学校・教育

快晴 今日は姪の小学校の運動会

まみおば=ビデオ係、今年も頑張ってきました。

それにしても、びっくりするのはレジャーテント(?)の数。
学校や地区のテントの後ろ、遊具の間・・・所狭しとズラズラ~ッて並んで、
ここはリゾート地?キャンプ場?
これも時代なんでしょうかねえ。
お昼はマイテントの下で、レジャー感覚で食事をするのでしょう。
(私は家に帰って食べたので定かではありませんが、バーベキューコンロを片付けてた人も…)

それはさておき、小学生が懸命に走り、踊り、演技する姿には感動しました。

我が姪(5年)の演技はビデオ撮りで一生懸命だったのですが、

3・4年生の「よさこいソーラン」

かっこよかった。ジ~ンときた

4色対抗リレーで、1位でバトンをもらったのに落としてしまい、
しかも靴が脱げそうになりながら懸命に走っていた女の子。
ビリになって泣いてたけど、よく頑張った!!!!!
おばちゃん感動した

5・6年「古井の川の合戦」も湧きました。

5・6年は「組体操『Rising SUN』」もよかった。
新学期が始まって短い期間でよく仕上げたなあって感心しました。
曲とぴったり合ってました。かっこよかった。

そして、係の仕事もよくこなしてましたね。

久しぶりに、感動をもらいました。
いい運動会でした。

ぴーちゃん、よくがんばったね

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「海になみだはいらない」灰谷健次郎

2012年04月15日 | 学校・教育

学生の頃 「教育っていいなあ」と思った 理想があった

教育現場の忙しさの中で スローな私にはゆとりなどなく いつも時間が足りない

目の前のことをやっとこなすだけ・・ さらに校務分掌の事務に追われ・・ いつの間にか理想とは反対のダメな教師に・・・(能力も覚悟も足りなかったんだナ)

この本は、そんな忙しさに流されダメになりそうな人(教員)に 「教育とは何か」を思い出させてくれる

“現代の競争社会を勝ち抜く”ために“学力の向上を”とか何とか言っている人がいるが

大人は、子どもを社会に合わせようとするのではなく 間違った社会の方を変えなければならないのではないだろうか!!

「知識」も「世間の常識」と同じで、時代と共に変わっていく不完全なもの

本当の「学力」は「自分で学ぼうとする力」や「考える力」なんじゃないかな

そして「人としてどう生きるか」「物事の見方・考え方」を教えるのが教育ではないだろうか

それはペーパーテスト何かでは簡単に計れないし、まして競争する(比べる)ものではないと思う

「いっしょうけんめい生きとるもんは みんな仲間や」

やさしさに満ちたすばらしい作品  泣かされました

「児童文学」となっているが 大人にもぜひ読んでもらいたい!

星5つ 

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先生方へ

2012年04月05日 | 学校・教育

昨日図書館で本を6冊借りてきた(うち2冊は読了)

今日はお釈迦様関係の本を読んだり くるくる変わるお天気の合間をぬって買い出しにでたりした

 

今頃 先生方は新学期に向けての準備で 大変忙しくされているのだろうなあ

学年末と新学期を ゆっくり過ごせるのは 本当にありがたいものだ

先生方は 学校という社会(システム)の中で なにかと縛られ、矛盾を感じたりして大変だろうけど

力を抜いて 無理をせず その時その時できることを 助け合いながらテキトーに精一杯 そして自由に楽しんでやっていただけたらなどと勝手に願っております

先生方の 世界(社会)や人間(生命)に対する見方、生き方が 子どもたちのお手本、支えになるといいなあって思います

自分が幸せでなければ人を幸せにすることはできないし、自分がしっかりしてないと人を助けることはできない

教育で大事なのは やっぱり 教師の人格

自分を大切に・・・

ゆる~くやりましょう

(私がエラソーに言えませんが・・・) 

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