大変な事件が起こったときなどによく言われる「(卑劣な行為に対して)強い憤りを覚えます」という表現。人間だから、怒りとか腹立ちとかが起こってしまうのはまあ、仕方がないと思う。
ただ、問題を解決するためには、こういう対決姿勢というかけんか腰の表現は、どうなのかなあ・・・と思うんだなあ。一般的に自分の胸の内を聞いてもらうような場面では、そうね、腹が立つのね、でいいと思うけど、問題の相手に伝える言葉としては、(相手が物わかりのいい謙虚な人ならいいんだけど)よけいに反発心をあおってしまうのでは。僕は怒ってるんだぞ~と言っても、あ~ごめんなさい、とはなかなかならない。人間は基本的に平等。上から目線の偉そうな態度には納得できないのでは。(太陽と北風だね)
悪行為をすれば決していい結果にはならないということに早く気づいて、あなたも苦しみから解放されてもらいたい。あなたもわたしもみんなが幸せになる方法を一緒に探しましょう。あなたの言い分か私の言い分か、ではなくて、あなたも私も納得できる第3の方法。互いにとっていい解決方法が見つかるまで一緒に探していきましょう。という姿勢は、どんな人間関係においても大事な事だと思うんだけど。(自分が絶対と固く信じて聞く耳を持たない人には難しいことだけど、可能性が全くないということはない。けれど、やり方を間違えると・・・)
問題の相手をやっつけるのではなく、問題自体を解決する(努力をあきらめない)。相手をやっつけたところで、問題は残る。
卑劣な行為をしてしまうことに対しては、ホントは憤りを覚えるのではなくて、悲しみを感じるんじゃないかな?
あなたをやっつけようなんて思っていませんよ。互いのために問題を解決できるお手伝いをしようと思ってるだけですよ。ということを問題を抱えている人に理解してもらうことが、問題解決のスタートになるような気がします。聞く耳をもたない人が聞く気になる、まずはそこからじゃないかなあ。(ホント大変難しいことだと思うけど、智慧を出し合ってがんばってもらいたいと思います)
憤りが武力に直結することはないと思います。
悲しみは内向き。憤りは外向きだということです。
それにしても、宗教がらみの紛争には手を差し延べることもことも難しいですね^^
したっけ。
受け取る相手にもよりますからね。
慎重の上にも慎重にした方がいいかな、と思います。
難しい問題ですね。
(人と人は敵味方、良い悪いじゃないと思うのですが・・・
仲よく解決していきたいものですが、難しいですねえ。)