父母の気持ち(怒り)に自分も「なる」とか、その気持ち(怒り)を「肯定」するのが共感ではない。
肯定も否定もしない。第三者は事実だけを語ればいい。
「あなたは、相手がこうだから腹が立つ(嫌になる)のですね」
と、父母(ふたり)を理解してあげればいい。当事者の考えや気持ちを代弁してあげればいい。
ここが、私にはあまりできてないところだな。もっと、代弁してあげなくちゃ。
「あなたはそんな気持ちになるのですね。」(私はそんな気持ちにはなりたくないけど)
「そんな気持ちになって苦しいでしょうね。」(苦しみ、悲しみは分かる。気の毒だ)
「楽になるにはどうすればいいか考えてみましょうね。」
ここからが難しいのだ。(自分の考え方を変えるのは、年を取れば取るほど難しくなる。)
相手の言葉や考え方、態度や行為が悪いからこんな気持ちになったと信じている人は、
ただただ相手が反省してそれらを変えなければどうしようもない、と思っている。
「そうだそうだ、あいつが悪い。なんてやつだ」と一緒になって言えばスッキリするのだろうか。
一時、その時だけ気分がよくなればいいのかな?(悪いと思えないので、私には言えない・・・)
相手から見れば、自分が悪いことになるのに。
お互いを悪く思うのは、いい加減にやめたらいいのにな。お互いに仲良くすればいいだけなのにな。
家庭での些細なことも、政治も、根は同じだと思う。
説明すれば説明するほど、大事なことは伝わりにくくなるような気がする。
言葉は、本当にむずかしい。
だから、気づくことだ。
どうしたら、気づけるのか。気づかなくてもいいのか。
私は、カウンセラーにはなれそうにない セラピー犬になりたい・・・
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