娘と絵本「からすのパンやさん」を見ていて、色々な形のパンが書いてあるページがあります
そこに「たけのこパン」というのがあり、私がたけのこパンと読んだところ、娘が「違うよ鯉のぼりだよ」と言います。「たけのこパンって書いているよ」というと「ううん、鯉のぼりパン」と譲りません
確かに言われれば鯉のぼりに見えなくはないですが、たけのこと書かれているし、たけのこを知っていればそう見えると思います。ただ娘にしてみれば、鯉のぼりは見に行ったり、保育園で見たりなどしてイメージが湧くのだと思います。しかし、たけのこはまだ知りません(調理されたものは見たり食べたりしていますが、覚えてないという感じですね)。そうなれば知らないたけのこのイメージは湧かないでしょうし、鯉のぼりと言い張るのも分かります。
知らないために自分が知ってるイメージの中で摺り合わせてしまうことって、子供だけでなく、大人にもありますね。
自分の中のイメージや考えが全てまたは正しいとか思ってしまうことがあるかも知れませんし、その方が 自分にとっては納得したり安心すると思います。また、他人からも自分のイメージや考えを認めてもらえたりするとその人が近く感じたり、自分が間違っていないと思うと思います。
もしかしたら、自分が知らないことがあって、誰かから指摘されても自分は知らないために、否定されたと思ってしまったり、何を言っているんだろうこの人は?と思って、自分のイメージや考えの中だけに居てしまっているかも知れません。
今回絵本を見ていて、私はたけのこを知っているし、文字も読める。しかし彼女は鯉のぼりしか知らない。私のイメージや考えと彼女のイメージや考えは別物のなんだなと思わされました。したがって彼女は頑として鯉のぼりは譲らないというわけです。ふと自分もこういう時あるよなぁと思いながら、他人のイメージや考えが自分に合わないからといって、単純に否定したりはいけないんだなと思うのと、自分も自分の中のイメージや考えが良いというわけでなく、色々な人のイメージや考えがあるということを認めることは大切なんだなと思いました
と絵本の「からす のパンやさん」で思ってしまいました
からすのパンやさん持っている方、色々な形のパンがあるページを開いて、たけのこパン見てみてくださいどう見えますか?