ちょっとヘビーなタイトルです。そして、書いてはいけないことなのかもしれませんが、どうしても私が感じて伝えたいと思い書かせていただきます。
先日関節運動法の講習会で、指導員の方との話です。
指導員の方が年齢的や、病気で患者さんが弱っていき、亡くなることが何度かあったそうです。そして、今まですべてのご家族の方に「ありがとうございました」と感謝をされたそうです。これは、治療をしていても死というものは必ず誰でも訪れます。その時、患者やご家族に納得がいくよう、誠心誠意施術をして、安らかに死を迎えさせられれば、それは治療が良かったということになるのではないのでしょうか!
治療ということで、施術をしていれば誰しもその場に立つ可能性はあるのではないのでしょうか!そして、その覚悟も必要なのではないでしょうか。治療をして治すようにすることはもちろん大切です。さらに死ということに関して、安らかに死を迎えさせれるような体にすることも大事なのでは!?ということを考えさせられました。正直私はそういうことにまだ直接立ち会っていなかったので、そこまで深く考えていませんでした。(本当は考えていなければいけないことだと思います)
そんな思いの中、今日その場に出会いました。毎週来ている方で、昨日来ないなぁと思っていたら、亡くなられたと聞きました。老衰で寝たら起きなかったそうです!
私自身その方が弱っていくのを見てきましたが、まだ今より良い体に戻したいとか、来週も来られるようにと誠心誠意施術したつもりです。私自身治療が良かったどうかは分かりませんし、私が決めるものでもないと思います。
ただ私に色々な経験という財産をくれたのと、本当の覚悟を与えていただいたことに感謝です。
小職も数人ですが、経験いたしました。
そのたび、自分の力の無さに…
一番今でも記憶にあるのは、週1回必ず治療に来て頂いた方が、『最近疲れが取れない』といていましたが、
かなりのハードワークの方で時期的に猛暑が続く夏だったため、夏バテかと思い込んでしまい、精密検査を受けた結果、末期癌とわかりました。
そして、半年後に他界されました。
今でも顔、最後の治療の時の会話を憶えています。
もっと早く、強く病院での検査を勧めていたらと思います。
「自分の力の無さに・・・」
そうですね、私もその時は誠心誠意でも、あとであれをしたらどうだったんだろう!?と思ったりします。
死というもので、私たち生を受けているものは、何を感じ取り活かせるかが大事だと私は思います。