Archivから出ている、「ヘンデル:歌劇《フロリダンテ》全曲」(HMV 14)(UCCA:1074/6)(アラン・カーティス指揮、イル・コンプレッソ・バロッコ)(録音:2005年9月、トゥスカニア)を以前からぼちぼち聴いています。
この曲の成立の経緯については、三澤寿喜氏による詳しい解説があり、とても勉強になります。以下、抜粋させて頂きます。
1720年代はロンドンにおけるイタリア・オペラ活動の最盛期で、貴族達により1719年にオペラ企業「ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック」が設立され、ロンドンのヘイマーケット国王劇場において、1720年から1729年まで計9回のオペラ・シーズンがあり、487回の公演を行っています。ヘンデルは、その間の実質上の音楽監督として、14の新作オペラを作曲しており、自らの指揮で約240回もの公演を行っています。
この歌劇《フロリダンテ》は、ロイヤル・アカデミーの第3シーズン(1721/22年)用の新作オペラで、1721年11月28日に完成し、同年12月9日に初演されています。台本はパオロ・アントニオ・ロッリで、1696年にヴェネチアで上演された、フランチェスコ・シルヴァーニの『勝利のコンスタンツァ』に基づいている(舞台はノルウェーからペルシャに移されている)。ヘンデルは、エルミーラ役にはソプラノのドゥラスタンティを(彼女とはヘンデルは青年時代にローマで音楽活動を共にしている)、ロッサーネ役(アルト)にはロビンソンを予定して作曲していたようですが、1721年10月半ばにイタリアに一時帰国していたドゥラスタンティが病気になり、急遽、ロビンソン(アルト)をエルミーラ役に、二流ソプラノ歌手のサルヴァイをロッサーネに起用することになった。このように、ソプラノとアルトが入れ替わった為、ロッリは歌詞の一部を書き換え、ヘンデルも作曲済みの部分に改訂を加えたようである。三澤氏の解説によると、この急な役の変更には、ロイヤル・アカデミーの理事であるピーターバラ伯爵の力が働いたとされている(ロビンソンは伯爵の愛人でもあり、翌年には結婚している)。
《フロリダンテ》は初演の後、3回のオペラ・シーズンで再演され、4つの異なる完成稿があるが、エルミーラ役をソプラノで想定して作曲したオリジナルが理想であるとの考えで、A.カーティスとH.D.クラウゼンが緻密な校訂作業によりエルミーラ役を本来のソプラノに戻し、オリジナル草稿を復元した。これがこのCDである。
この《フロリダンテ》は典型的なオペラ・セリアの伝統に拠っていますが、退屈な所が無く、魅力的なアリアが散りばめられており、ヘンデルらしい劇的な作品です。
- 今年は、ヘンデルを中心に聞いています。毎日聞いて、生活の一部になってくると、以前には単調に聞こえていた彼のオペラが、段々と彫りの深い、魅力的で楽しい作品に聞こえてきます。ヘンデルは、やはりオラトリオよりオペラのほうに本領を発揮しているように思います。
DECCAから、ダニエル・ドゥ・ニース(ソプラノ)の「スウィート・ディーヴァ~ヘンデル・アリアス」(UCCD:9453)(指揮:ウィリアム・クリスティ、レザール・フロリサン)(録音:2007年5月、パリ、レバノン・ノートルダム教会)が出ています。ちなみに、ディーヴァ(ディーバ 【diva】)とはオペラのプリマドンナで、日本語では「歌姫」に相当します。
彼女は、オペラ「ジュリアス・シーザー」のクレオパトラ役の急な代役で大成功を収めたました。2005年のグラインドボーン・フェスティバルで、彼女が25歳の時です。伊熊よし子氏による解説によりますと、ダニエルは、スリランカとオランダの血を引き、オーストラリア生まれで、ロサンゼルス育ったようです。6歳頃からダンス、ピアノを習い、8歳から声楽のレッスンを開始し、その後、家族とともにロサンゼルスに移住しています。13歳でタングルウッド音楽祭に最年少の歌手として参加し、ロサンゼルスのローカル・テレビのティーンエイジャーのためのアート・ショーケース番組で毎週司会を務め、エミー賞に輝いています。15歳でロサンゼルスでオペラの主役を演じ、プロ・デビューしています。彼女は、グルック、モンテヴェルディ、ヘンデル、ラモー、モーツァルトなどのオペラを得意としているようです。
今回のCDは彼女のデビューCDであり、グラインドボーン・フェスティバルで大きな成功を得たときに歌ったヘンデルの作品のみで選曲されています。指揮もその時と同じウィリアム・クリスティです。ヘンデルの魅力満載です。
彼女はエチゾチックな風貌で、とても魅力的で、DVDで「ジュリアス・シーザー」の舞台を見て、すぐにファンになってしまいました。誰でもこの舞台を観れば、彼女とヘンデルのオペラの虜になってしまうのではないでしょうか。「難破した船が嵐から」の場面は、現代風の振り付けも相俟って、彼女の魅力も十分に引き出されており、圧巻です。彼女のはちきれるようなプリプリとした魅力は、ヘンデルのオペラに新しい風を吹き込み、現代のミュージカルを見ているようでした。このCDも何回も聴いてみましたが、どの曲も何回聞いても元気が出ます。彼女ほどヘンデルを魅力的に演じる歌手はいないのではないでしょうか?。お気に入りの1枚になりました。まだ、荒削りでパワーで押している印象もあるのですが、インタビューの映像を見ていると、彼女は元々非常に明るく、考え方も前向きで、しかもお茶目な可愛い性格のように思います。この彼女生来の性格が彼女の歌の魅力の源泉のように思います。
彼女の登場により、私のヘンデルへの思いをさらに強くさせてくれました。今後の彼女の活躍が楽しみです。
今日、4月14日(土曜日)(1759年)はヘンデルが亡くなった日です。この日は私にとっても記念すべき日(独立記念日)なので、感慨深いものがあります。ヘンデルは亡くなる近くまで精力的に音楽活動をしていたようで、3月30日、4月4日、4月6日にそれぞれ「メサイア」を3回演奏し、4月6日の最後の演奏会から帰宅して、そのまま病床に伏したようです。
1752年8月に脳卒中に罹り、視力が低下し、同年11月に眼の手術を受け、一時的に視力は回復したものの、1753年1月には殆ど視力を失ったようです。視力を失った原因についてはよく分からないのですが、バッハの目の手術もした、いかさま眼科医のせいなのか、また、脳卒中によるものなのか(後頭葉の脳梗塞か?、この為ならしかたがないかな...)、また、体格が良さそうなので(メタボ体質)、糖尿病からきた網膜症や白内障、緑内障などの合併症のためなのか、色々勝手に想像してみるのですが、今の医学なら簡単に治療できたことを考えると残念無念です。文献で確認しているわけではないのですが、伝記から推測すると、私の考えでは、脳卒中を以前から繰り返していること、視力を失ってからも6年間は音楽活動が可能であったこと、晩年には徐々に体力が落ちていること、肖像画では肥満傾向があることなどから考えて、元々、糖尿病、高血圧などの生活習慣病があり、徐々に脳血管障害が進行し、脳卒中を繰り返し、糖尿病による網膜症も併発し、最終的には脱水、低栄養状態になり、感染症も併発し、亡くなったのではないかと推測しています。
とにかく、病気になり、失明してからもヘンデルの音楽活動に対する情熱は衰えず、圧倒されるものがあります。
偉大なるヘンデルに黙とう.....。
このCDは、「ヘンデル:オラトリオ《エジプトのイスラエル人》」(HWV54)(NAXOS:8.570966-67)(ケヴィン・マロン指揮、アラディア・アンサンブル(オリジナル楽器使用))(録音:2008年1月3-10日、聖アン英国国教会、オンタリオ、カナダ)で、最近発売されたものです。《メサイア》の約3年前、《サウル》の同年(直後)に作曲されています。1738年10月1日に作曲にとりかかり、11月1日には完成させており、この曲も何と約1ヶ月間という短期間で完成させています!。初演は1739年4月1日でヘイマーケット国王劇場で、その時は大失敗であったと伝えられています。台本作者はジェネンズか、あるいはヘンデル自身であったとも伝えられています。
このオラトリオの概略を、三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)から引用させて頂きます。題材は旧約聖書の『出エジプト記』で、ヘンデルが最初に完成させたのは「モーセの歌」(一般に第三部と言われている部分)です。これはモーゼの導きにより葦の海を渡ったイスラエルの民が神に感謝を捧げる部分です。次いで、脱出以前のエジプトにおけるモーゼの数々の奇蹟を描く「出エジプト」部分を作曲しました(今日の第二部)。「出エジプト」の発端は、エジプトの奴隷となりながら、宰相となったヨセフの死に行き着く。そこで、1737年(前年)(この年にヘンデルは脳卒中になっています)に作曲した《キャロライン王妃のための葬送アンセム》(HWV264)を「ヨセフの死を悼むイスラエル人の嘆き」に改題し、丸ごと第一部に流用したようです。ちなみに、キャロライン王妃は、ジョージ二世の妻で、聡明な女性で、渡英以前のハノーファー選帝侯皇太子妃の頃よりヘンデルとは友人で、渡英後も娘たちの音楽教師としてヘンデルを厚遇し、資金援助も行っていたようです。このようにして全三部からなるオラトリオが完成したようです。この曲は、宗教色が強く、合唱曲が全体の七割を占めており、ヘンデルの曲としては異例の曲です。また、他人の作品からの借用もあり、この理由は謎とされています。
三澤寿喜氏の記述にもあるように、このオラトリオの成立は、作曲された年代から考えると、「オペラの失敗、脳卒中の罹患、自らの良き理解者であったキャロライン王妃の死去などの様々の苦難から回復した自分自身を、エジプトから救出されたイスラエルの民と重ね合わせて、神への感謝をこの曲を通して表現した」と考える説が妥当なように思います。
この曲はある意味でヘンデルらしくなく、また、成立の点でもまだ解明されていない部分もあり、非常に興味深く聞き入りました。第一部の葬送アンセムの部分は、バッハのモテットを連想し、崇高で神聖な感じがして特に気に入っています。。
Archivから出ている、「ヘンデル:音楽劇《ヘラクレス》全曲」(HMV 60)(UCCA:1020/2)(マルク・ミンコフスキ指揮、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル)(オリジナル楽器による)(録音:2000年4月 ポワシー劇場におけるライヴ・レコーディング)を以前に買っていたのですが、あまり聴いておらず、今年になり何回か聴いてみました。当初の印象とは違い、聞き重ねていくうちにこの曲の持つ劇的で、迫力ある雰囲気にどんどん魅了されてきます。バッハとはまた違った、ヘンデルの熟練された作曲技法も感じさせます。
この曲にまつわる逸話はライナーノート(ドナルド・バロウズ)に詳しく記載されており、興味深く読みました。冒頭の一部を引用させて頂くと、1730年代、ヘンデルはロンドンでライバルのイタリア・オペラ団との競争に費やされていたようです。この状況は、1741年から43年にかけてほぼ終わりを迎え、その時期はヘンデルが彼自身のイタリア・オペラを上演した最後の時期であり、またダブリン訪問後、オラトリオ形式の英語による作品によって新しいキャリアの基礎を確立した時期でもあります。(ちなみに、1741年に《メサイア》と《サムソン》を作曲しています。)
ヘンデルのことを知るにつれて彼のエネルギッシュな活動には驚かされます。三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)を参考にさせて頂くと、実は、ヘンデルは2回も脳卒中を患っています。いずれも軽かったようで、“一過性脳虚血発作”といったような感じでしょうか。もう少し病状について文献で調べてみたい所です。1回目は1737年8-9月頃、完全に右手が麻痺し、演奏も出来なかったようです。この時はドイツのアーヘンに戻り、リハビリをし、11月にはイギリスに戻って音楽活動を再開しています。その後、その年の年末までに、新作オペラ《ファラモンド》と葬送アンセムの作曲を完成し、次のオペラ《セルセ》の作曲にも取り掛かっています。2回目は1743年4月に脳卒中を発症していますが、同年6月には既に新作オラトリオ《セメレ》の作曲を開始しています。なんというバイタリティー!!。晩年における創作力に関しては、ヘンデルはバッハ以上のように思います。
ヘンデルは1744年(59歳)にヘイマーケット国王劇場と次のシーズンの契約をしています。そのために2つの傑作オラトリオ(《ヘラクレス》と《ベルシャザル》)を作曲しています。《ヘラクレス》は7月19日から8月21日の約1カ月という短期間で作曲しており、「後期バロックの音楽劇の頂点」とも評される傑作で、晩年のヴェルディ作品を思わせるようです。台本はトーマス・ブロートンがソフォクレスの『トラキスの女たち』とオウィディウスの『変身譚』に基づいて作成しています。ヘラクレスの妻、デージャナイラの嫉妬を主題としています。初演は、1745年1月5日、ヘイマーケット国王劇場です。
この《ヘラクレス》もヘンデルの天才ぶり、熟練ぶりを示す傑作で、繰り返して聴いても飽きない作品です。
今回のCDは、「ヘンデル:オラトリオ《ギデオン》」(NAXOS:8.557312-3)(ヨアヒム・カルロス・マルティニ指揮、フランクフルト・バロック管弦楽団(オリジナル楽器使用))(ライブ録音:2003年6月、エーベルバッハ修道院、ドイツ)です。「ヘンデル:オラトリオ《トビト》」(NAXOS:8.570113-4)と同様、ヘンデルの純正オラトリオではありません。ヘンデルに鍵盤楽器を師事したスミスという人物(John Christopher Smith (1712-1795))がヘンデルの死後、オラトリオ演奏の伝統を継承しようと試みて、ヘンデルの曲から素材を選び、スミス自身も作曲した音楽を付加し、同じくヘンデルと共に仕事をしてきたモレルが旧約聖書「士師記」から題材をとった新しい台本を書き、オラトリオ化したものです。ヘンデル純正作品ではないので聴くのにちょっと気合が入らないのですが、演奏も素晴らしく、楽しく聴いてしまいました。
ドイツ・ハルモニア・ムンディから、「ヘンデル:歌劇《リチャード一世》」(BVCD:37403-05)(ポール・グッドウィン指揮、バーゼル室内管弦楽団(ピリオド楽器使用))(録音:2007年5月23日-6月1日、バーゼル、マルティン教会、スイス)が昨年出ています。ソプラノはヌリア・リアル、カウンターテナーはローレンス・ザッゾで、「ヘンデル:愛のデュエット集」(BVCD:31019)も収録しています。
ライナーノーツ(水谷彰良)によると、《イングランド王リッカルド一世》は第一次王立音楽アカデミー時代(1720-28)の作品で、名作《エジプトのジューリオ・チューザレ》(1724)から6作目の歌劇です。王立音楽アカデミー(ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック)は国王ジョージ一世を最大の保護者に、ヘンデル作品の恒常的上演を目的に設立された株式会社です。
ヘンデルは1727年2月20日にイギリスに帰化していますが、この帰化がこのオペラの作曲のきっかけとなったようです。同年5月16日には既にこのオペラを完成しています(いつもながらヘンデルの筆の早さには驚かされます!)。6月11日にジョージ一世が逝去したため、ヘンデルとこの曲の台本の劇作家であるパオロ・アントーニオ・ロッリは、このオペラを新国王ジョージ二世に捧げようと考え、10月11日のジョージ二世の戴冠式を経て、11月11日にヘイマーケットのキングス劇場で初演が行われています。その後、12月16日まで合計11回上演されたようです。
獅子心王の異名ををとる12世紀のイングランド王リチャード一世(役名:リッカルド一世)のキプロス征服、ナバラ王サンチョ六世の娘ベレンガリア(役名:コンスタンツァ)との結婚を話題にしたオペラで、一定の史実に基づいているようですが、詳細は長くなるので、水谷彰良氏の分かりやすい解説を参考にして下さい。
ヘンデル42歳の時の作品で、エネルギッシュな勢いのある溌剌とした作品です。特に有名な楽曲はありませんが、ヘンデルらしい名曲です。
Archivから、「ヘンデル:歌劇《ロデリンダ》全曲」(HMV 19)(UCCA:1053/5)(アラン・カーチス指揮、イル・コンプレッソ・バロッコ)(録音:2004年9月 サンマルティノ・アル・チミノ、11月 ハンブルク)が出ています。この歌劇は1725年ロンドンでの初演以来、つねに3本の指に入る人気曲であったようです。全曲が完全にレコーディングされたのはこのCDが初めてです。ヘンデルのアリアはどれも美しいのですが、この《ロデリンダ》のアリアはどの曲をとっても美しく特に聞き応えがあります。私のお気に入りは、第2幕、第5場、第20曲のアリアとレチタティーヴォ「しわがれたささやきとなって」-「亡くなったお兄様の声音に」です。何回も聴き直したくなる魅力的なCDです。
ドイツ・ハルモニア・ムンディから、「ヘンデル:愛のデュエット集」(BVCD:31019)(指揮&チェンバロ:ローレンス・カミングス、バーゼル室内管弦楽団)(録音:2007年8月11日-15日、リーエン、ラントガストホーフ、スイス)が出ています。ソプラノはヌリア・リアル、カウンターテナーはローレンス・ザッゾです。7つの歌劇からの抜粋です。ライナーノーツ(水谷彰良)によると、ヘンデル(1685-1759)は、ハレ大学入学後の1704年にハンブルグのゲンゼマルクト劇場のヴァイオリン奏者となり、翌年の1705年に最初の歌劇《アルミーラ》を初演しています。続いて、約3年間ローマで活動し、その修行の総括として歌劇《アグリッピーナ》(1709年)をヴェネチアで発表しています。その後、1711年にロンドンで《リナルド》が大成功を収め、以降イギリスで30年間に36作のイタリア・オペラを作曲しています。
ヘンデル時代のイタリア・オペラは、レチタティーヴォとアリアの反復で、比較的単調であり、重唱やアンサンブルは例外的であったようです。ヘンデルは定型的な様式を独自に改良し、バロック・オペラの頂点に達しており、二重唱も効果的に挿入されています。このCDは、ヘンデルの歌劇の魅力を十分に感じさせます。あらためてヘンデルの全てのオペラを踏破したいと思いました。
《メサイア》の新しい録音が出ていたので買ってみました。左のCDで、「ヘンデル:メサイア[ヘルダーによるドイツ語版]」(BVCD:37406-07)(ヴォルフガング・カチュナー指揮、ドレスデン室内合唱団&ラウッテン・カンパニー)(録音:2004年1月13日-18日、バート・ラオホシュテット、歴史的クーアザール、ドイツ)です。ライナーノーツ(バベッテ・ヘッセ)によると、ヨハン・ゴットフリード・フォン・ヘルダー(1744-1803年)は若い頃のゲーテに影響を与えたドイツの思想家です。《メサイア》のダブリンにおける初演は1742年4月13日ですが、ドイツで最初に《メサイア》が演奏されたのは、ヘンデルの死の13年後、ダブリンの初演から30年後の1772年で、その時は英語版だったようです。その3年後の1775年にハンブルクでカール・フィリップ・エマニエル・バッハ指揮でクロプシュトックとエーベリンクのドイツ語版が上演されたようです(メサイアがバッハとここで関係していたとは思いませんでした!)。その当時、ワイマール公国の宮廷牧師、教区監督、ギムナジウム及び学校長を勤めていたヘルダーが1780年(あるいは81年)にチャールズ・ジェニンズ(1700-1773年)の英語原詞をドイツ語に訳詞し、ヴァイマールやドレスデンで演奏されたようです。今回のCDはヘルダー訳詞によるドイツ語版《メサイア》の世界初録音です。
演奏を聴いた印象は、表情豊かで、繊細で、丁寧で、ある意味で理想的な演奏と言っていいと思います。ただ、ヘンデルの持っている雄大さや明るさがもっとあれば完璧でしょう。ちょっと聞いた感じではドイツ語の硬い感じはなく、原詞と比べても違和感はありません。他の演奏とは違う演奏で、楽しく聞けました。
昨年後半からバッハと共にヘンデルのCDも聞いています。繰り返し聞いたり、BGMとして聞き流してヘンデルの作品が脳に馴染んでいくに従い、バッハと違う魅力を感じてきました。
今回、「ヘンデル:王室礼拝堂のための音楽」(NAXOS:8.557935)(アンドリュー・ガント指揮、王室礼拝堂合唱団)(録音:2005年7月18-20日、Chapel Royal、St James's Palace、ロンドン)を聴いてみました。
ヘンデルはイギリスに移住してから約30年間ほとんどオペラ活動に従事しており、教会音楽は少ないようですが、イギリス王室との交流があったため、王室礼拝堂用の教会音楽をいくつか作曲しています。このCDは、1717~1718年にシャンドス公爵の私的な礼拝用に作曲された「シャンドス・アンセム」(11曲)のうち5曲が収録されています。アンセムとは、イギリス国教会の礼拝用のための教会音楽を指すようで、HWV番号で246-277に相当します。
いずれの曲も厳かで、格調高く、ヘンデルの才能の高さを再認識しました。
今年ももう年末になってしまいました。今年の後半は超!超!超!多忙で、ブログを見るのも更新するのもままならない状況で、音楽を聴くのも睡眠時間を削って24時すぎの深夜しか聞けない状況でした。今日、久しぶりに自分のブログを見ました。コメント、トラックバックを頂いていたのにお返事が出来ていなくて失礼しました。来年は少しは時間が取れるかなぁといった感じですが、年末年始も仕事をしなければいけない状況です。
今年の10月からはヘンデルに凝り始めてきました。今日友人から指摘されて始めて気が付いたのですが、来年はヘンデル没後250年です。手に入るヘンデルのCDを色々と聞きましたが、バッハに劣らない才能と、亡くなる寸前まで精力的にオペラ興行、演奏活動を続けてきた彼の人生を知るにつれて、ヘンデルの魅力に嵌っていきました。一見、単純で、同じようなパターンの音楽に聞こえますが、繰り返して聞いていると、これがなかなか良いのです。特にくたくたに疲れているときは、バッハよりヘンデルの方が元気がでます。ヘンデルの「メサイア」がバッハの「ロ短調ミサ曲」に、ヘンデルの「サウル」がバッハの「クリスマスオラトリオ」に相当するのではないかと、自分で勝手に無理やり当てはめてみたりしています。特に「サウル」は最近のお気に入りで、何回もBGMで聞いています。とにかく、色んな要素が入っていて、どの曲を聴いても聞き応えがあります。
今回、紹介するのが、左のDVDの歌劇「オルランド」(2007年ライブ)です(ARTHAUS 101309)(2007年、チューリッヒ・オペラハウス)。ヘンデルの歌劇をDVDで見たのは初めてで、かなり衝撃を受けました。これを見て、ヘンデルの時代のバロックオペラの形式が、何となく分かってきたような気がします。CDを聞くときにも参考になります。ウィリアム・クリスティ指揮の演奏も、いかにもヘンデルに心酔しているような指揮ぶりで、丁寧で素晴らしい演奏です。
ヘンデルのCDはなかなか手に入らないので、来年は、没後250年記念で沢山のCD、DVDが発売されるのではないかと期待しています。
以前には興味が殆どなかったヘンデルの音楽ですが、最近はボチボチ聞いています。バッハとヘンデルの音楽は根本的に違うと思うのですが、バッハがヘンデルの音楽をどう評価していたのか、以前から常々知りたいと思っています(何か文献でも残っているのでしょうか...)。バッハとヘンデルが会うチャンスは2回あったようですが、結局、生涯2人が会えなかったとされていますが、2人が会って音楽的交流があったら2人の音楽も少し変化していたのかなぁと想像しております。また、ヘンデルは、メサイアの興行が失敗したらドイツに帰るつもりだったようで、メサイアが失敗していたら、ヘンデルのその後のドイツでの音楽活動がどうなっていたのかも興味があります。
今回のCDは、「ヘンデル:オラトリオ「トビト」」(NAXOS:8.570113-4)(ヨアヒム・カルロス・マルティニ指揮、ユンゲ・カントライ フランクフルト・バロック管弦楽団(オリジナル楽器使用))(ライブ録音:2001年6月、エーベルバッハ修道院、ドイツ)です。この曲の詳細は、解説書に任せるとして(外国語なので)、副題に《素材の勝利!、偉大なるパッチワーク》とあります。カバーについている簡単な日本語解説を引用させて頂きますと、この曲は純粋なヘンデル作品ではありません。ヘンデルに仕えた写譜屋を父に持ち、自らもヘンデルに鍵盤楽器を師事したスミスという人物(John Christopher Smith (1712-1795))が、題材を聖書の世界に求め、ヘンデルのオペラ、オラトリオなどを継ぎはぎし、さらに自作も加えた、いわゆるパッチワーク的作品のようです。内容は「敬虔なユダヤ人で盲目のトビトが視力を回復し、息子のトビアスが無事にサラと結婚出来るまでの物語」だそうです。解説書の最後に、スミス氏が作曲した部分が記載された一覧がありますが(曲全体の3~4分の1位でしょうか)、それを見なければヘンデルが作曲した部分との違いが分からないほど違和感はありません。そのまま聞いていて自然とヘンデルの世界に入れ、楽しく聞けました。
最近は、忙しい日々が続いており、CDは何とか聞き続けているものの、なかなかブログ更新の時間が取れない状況が続いています。
今回、連休でやっと少し時間がとれたので、CDショップへ行った所、私がお気に入りのヘンゲルブロック指揮の新譜が出ていたので思わず買ってしまいました。これは買って超!正解でした。「ヘンデル:ディキシット・ドミヌス&カルダーラ:悲しみのミサ曲」(BMG:BVCD 31018)(トーマス・ヘンゲルブロック指揮、バルタザール=ノイマン合唱団&アンサンブル)(録音:2003年3月10-14日、バーデン=バーデン、フェストシュピールハウス、ドイツ)です。
ゲルハルト・ホッペの解説によれば、ヘンデルの『ディキシット・ドミヌス(主は、わが主に言いたまいぬ)』は、ヘンデルがイタリア滞在中の1707年(22歳)に作曲されており、ヴェネツィア時代の音楽を手本として作曲されたと推測されています。とにかく聞いてみて、ヘンデルの若いエネルギーに圧倒されます。曲に勢いがあり、迫力に満ちており、また、多彩な表現力はヘンデルの天才さを再認識させられました。誰の作品か知らずに聞いたら、おそらくヘンデルの曲とはすぐには推測出来ないのではないでしょうか。
アントニオ・ガルダーラ(c1670-1736)は今回初めて聞きました。ヴェネツィアでヴァイオリンとテオルボの奏者の息子として生まれ、存命中にはヨーロッパにおける最も高名な作曲家の一人として見なされていたようで、作品の数は3400を超えるとされています。このCDには、『悲しみのミサ曲(ミサ・ドロローサ)(4声)』と『クルチフィクス「十字架につけられ」(16声)』の2曲が収められています。ゼレンカと同様に、大バッハにも劣らない凄い作品と思いました。今までに聞いたことの無いような不思議な感覚で、神聖、荘厳さの中にもイタリアの陽気さが漂い、しかも新鮮で活気に満ちており、思わず聞き入ってしまいました。ガルダーラの曲を聞いて久しぶりに深い感動を覚えました。『クルチフィクス「十字架につけられ」(16声)』は、大バッハのロ短調ミサ曲を彷彿とさせますが、それ以上の魅力を感じました。
このCDはバロックファンであれば感動すること請け合いの名盤と思います。ヘンデルの若き日の作品、ガルダーラの作品群をもっともっと聴いてみたいと思ってしまいました。
メサイアのDVDの再版盤が発売されていたので、買って見ました。左のDVDで、「ヘンデル オラトリオ《メサイア》全曲」(指揮:クリストファー・ホグウッド、アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック)(収録:1982年1月、ウェストミンスター大聖堂)(ワーナーミュージック:WPBS 95058)です。1754年の捨子養育院で演奏された時の版による演奏です。添付の矢澤孝樹氏による解説は、非常に良く分かりやすく、且つ面白いです。詳細は省略しますが、オリジナル楽器を使用して、具体的な上演記録として残された版になるべく従い、歴史的状況の再現を徹底した録音です。非常に禁欲的で、贅肉が削ぎ落とされた演奏ですが、ウェストミンスター大聖堂の残響がかなり効果的で、それとの調和により魅力的な雰囲気を醸し出しています。映像のカメラワークも斬新で、今のDVDではなかなか見られない趣向が沢山あります。詳細は見てのお楽しみですが、ソリストのアップ映像とカメラ目線にはちょっとドキッとして、落ち着かないのですが、妙な緊張感があります。“悪役フェイスのデイヴィッド・トーマス”(矢澤氏の表現を借りてます)のカメラ目線はなかなか迫力があります。兎に角、新鮮なDVDです。再版なので見ている方も多いと思いますが、まだの方は是非御覧下さい。買って損はない演奏です。このウェストミンスター大聖堂でのメサイアの映像を見ていると、やはりヘンデルはイギリスの雰囲気に合っているなぁとつくづく感じます。
このDVDを買うまで時々見ていたのが、右のDVDで、「ヘンデル:オラトリオ《メサイア》(モーツァルト編曲版)」(指揮:ヘルムート・リリング、管弦楽:シュツットガルト・バッハ合唱団、合唱:ゲヒンゲン聖歌隊)(収録:エルヴァンゲン教区教会、シュツットガルト近郊)(Pioneer:PIBC 1093)です。このDVDはロングセラーで、なかなか廃盤にならないので、人気があるのでしょう。解説書によると、モーツァルトはヘンデルの声楽曲を4曲編曲しているようです。仮面劇《エーシスとガラテア》(1788)、オラトリオ《メサイア》(1789)、オラトリオ《アレグザンダーの饗宴》(1790)、合唱曲《聖セシリアの祝日のための頌歌》(1790)で、これらは全て、ウィーンの音楽愛好貴族、ゴットフリ-ド・ファン・スヴィーデン男爵(1730-1803)からの依頼だったようです。原曲版と比較すると管楽器が大幅に増えています。メサイアのモーツァルト版の初演は1789年3月6日で、ダブリン初演の約47年後です。ちなみにハレルヤコーラスはやはり英語で聞かないとドイツ語では雰囲気が出ないように思います。リリングのDVDを聴いて、すぐにホグウッドのDVDを聞きなおすと、ホグウッドの演奏の清廉さが魅力的に感じます。モーツァルトの編曲も悪くはないのですが、ホグウッドと比べると、神聖さが希薄で、編成が大きいだけにややゴチャゴチャした感じが否めません。