バッハと音楽についての道草日記

~気になる音楽、ドラマ、書籍、雑誌等についての雑記帳~

ゼレンカの音楽

2007-06-23 22:44:21 | 音楽

Scan10171_2最近、バッハと同時代やその前後の時代の作曲家の音楽に興味が出てきました。以前に買ってあまり聞いていなかった、1999年に発売されたヤン・ディスマス・ゼレンカ(1679-1745)のCDを久しぶりに聞きなおしてみました(POCC-1058/9)。オーボエ奏者のハインツ・ホリガーがこのゼレンカに魅せられて、1972年にアルヒーフで初録音した「6つのトリオ・ソナタ」を25年ぶりに再レコーディングをしたものです。

CDの解説書(ウーヴェ・シュヴァイケルト著、小林誠一訳)によると、彼は1679年10月16日に、プラハ南東の市場に立つ小さな街、ボヘミアで生まれています(バッハより4歳年下です)。父親は校長で、オルガン奏者として暮らしていたようです。ゼレンカの肖像画は1枚も残っていなくて、若年時代のことも一切知られていませんが、プラハの大学で音楽教育を受けたと考えられています。1710年(31歳)にザクセン選帝侯及びポーランド王(アウグストゥス強王)のドレスデンの宮廷オーケストラにヴィオローネ(コントラバス)奏者として迎えられています。その当時のドレスデンのオーケストラはヨーロッパの中でも「最も完璧なアンサンブル」と考えられていたようで、バッハもその当時憧れており、若ければライプチッヒからの転職も考えていたようです。1721年(42歳)には宮廷のカトリック教会楽団の副音楽長、1735年(56歳)には教会作曲者を勤めています。その後、宮廷楽長となり、1945年(66歳)に亡くなるまで、ドレスデンで精力的に活動されていたようです。

この「6つのトリオ・ソナタ集」は副音楽長になった頃の1721-1722年(42-43歳)に作曲されたと考えられています。彼は1715-16年(36-37歳)にウィーンのハプスブルク家の宮廷楽長を務めていたヨハン・ヨセフ・フックスの元で学ぶために休暇をとっているようで、そこでフックスの『古典対位法』を学んだようです。このウィーン滞在の結果、この「トリオ・ソナタ」が誕生したと考えられています。この作品は解説にもあるように、バッハと比較しても全く聴き劣りがしなくて、対位法、不協和音も新鮮で、ポリフォニックで何回聞いても飽きません。BGMで聞いても仕事が捗ります。思わずファンになってしまいました。ゼレンカの後期のミサ曲、《ミサ・デイ・パトリス》と《ミサ・オムニムス・サンクトルム》は教会音楽の最高峰に位置しており、バッハのミサ曲ロ短調に匹敵する記念碑的作品と考えられているようです。まだ聞いたことが無いので、是非聞いてみたいと思っています。(今、CDは日本で手に入るのでしょうかね?)


テレマンの音楽

2007-06-23 00:17:47 | 音楽

Scan10170_1 先週、デパートに行ったら、テレマン名曲集がブリリアント(BRL93167)から出ていて、安いので思わず買ってしまいました。ターフェル・ムジークは十数年ぶりに聞きました。テレマンについては、あまり勉強していないのでほとんど知りません。バッハより当時は有名だったこと、トーマス教会のカントルの就職時にはテレマンが第一候補だったこと、大学生時代にライプチッヒで音楽協会(コレギウム・ムージクム)を作ったこと(バッハがこの仕事を引き継ぎ、1732年から1737年まで指揮しています。)位です。テレマンの組曲を聞くと、バッハの管弦楽組曲と自然と比較してしまうのですが、序曲に関してはバッハ的(?)で結構いけてると思います。他の部分はビバルディ的なイタリアの雰囲気を感じます。彼もバッハ同様、フランスやイタリアの音楽を研究をかなりしていたのでしょう。全体的にBGM的に聞くと、何となく楽しい雰囲気になり心が明るくなりますが、やはりバッハに比べると単調な感じは否めません。でも、バッハの音楽だけ聴いていると少し深刻な雰囲気になりがちなので、テレマンの華やかな音楽は気分転換にはいいと思います。テレマンの協奏曲の中に「プレスト」の部分が所々にありますが、どのプレストの部分も生き生きとして好きです。何か舞踏的な、田舎的な中に力強さを感じます。御存知の方がいらっしゃたら、この「プレスト」の部分の言葉の意味や曲の成り立ちについて教えて頂けたら幸いです。また、テレマンの「マタイ受難曲」が収録されていて、始めて興味深く聞きました。このCDボックスには、全く解説がなく、成り立ちとか構成が良く分からないのですが、何となく明るくあっさりとして、バッハのマタイ受難曲とは全く違います。良い曲なのか、駄作なのかも分かりません.....。また、調べようと思ってます。