ピーター・グリーン Peter Green
【本名】
ピーター・アレン・グリーンバウム/Peter Allen Greenbaum
【パート】
ギター、ハーモニカ、ヴォーカル
【生没年月日】
1946年10月29日~2020年7月25日(73歳没)
【出身地】
イングランド ロンドン特別区ベスナル・グリーン
【経 歴】
ザ・マスクラッツ/The Muskrats(1965)
ザ・ピーター・B's・ルーナーズ/The Peter B's Looners(1965~1966)
ショットガン・エクスプレス/Shotgun Express(1966)
ジョン・メイオール & ザ・ブルースブレイカーズ/John Mayall's Bluesbreakers(1966~1967)
フリートウッド・マック/Fleetwood Mac(1967~1970)
ホワイト・スカイ/White Sky(1982)
カラーズ/Kolors(1982)
カトマンズ/Katmandu(1985)
ピーター・グリーンズ・スプリンター・グループ/Peter Green's Splinter Group(1997~2009)
ピーター・グリーンは、「ブリティッシュ・ブルース界最高」とも言われたイギリスのギタリストである。「フリートウッド・マック」の創設者としても知られている。
ブルースに根差した感性豊かなギター・プレイは現在でも高く評価されており、ローリング・ストーン誌が選出する「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」では2003年版で38位、2011年改訂版で58位にランクされている。
1946年10月29日、グリーンはロンドンのベスナル・グリーンのユダヤ人家庭で生まれた。父ジョー、母アンのグリーンバウム夫妻の4人兄弟の末っ子で、ピーター・アレンと名付けられた。
幼い頃から感受性の強かったグリーンは、10歳の頃ギターに興味を持つようになった。兄マイケルからコードを教わったグリーンは独学でギターを弾くようになり、B.B.キング、エルモア・ジェイムス、マディ・ウォーターズ、ハンク・マーヴィンらのブルース・マンや、シャドウズなどから大きな影響を受けたという。
15歳のときにロンドンの海運会社で働き始めたグリーンは、同時に「ボビー・デニス & ザ・ドミノス」というバンドにベーシストとして加わり、ミュージシャンとしての活動も開始した。
1965年、R&Bバンド「ザ・マスクラッツ」に短期間在籍したのち、「ザ・トライデンツ」にベーシストとして加入。さらに同年12月にはピーター・バーデンス(keyboard のちキャメル)のバンド「ザ・ピーター・B’s・ルーナーズ」(のち「ザ・ピーター・B's」と改名)にギタリストとして加入した。このバンドのドラマーが、のちにフリートウッド・マックをともに結成することになるミック・フリートウッドである。ルーナーズが1966年3月にリリースしたシングル「If You Wanna Be Happy」がグリーンにとってのレコード・デビューであった。
1966年5月、ザ・ピーター・B'sにロッド・スチュワート(vocal)とベリル・マースデン(vocal)が加わり、「ショットガン・エクスプレス」と改名したが、グリーンは1966年9月には脱退する。
ショットガン・エクスプレスから離れたグリーンは、この年7月にエリック・クラプトンの後任として「ジョン・メイオール & ザ・ブルースブレイカーズ」へ迎えられた。グリーンは1965年にクラプトンの代役としてブルースブレイカーズのステージに数回上がったことがあり、それが縁となっての加入であった。
当時のグリーンはまだ無名に等しかった。
グリーンの加入直後、デッカ・レコードのプロデューサーだったマイク・ヴァーノンは、クラプトンがブルースブレイカーズから脱退したことを聞いてショックを受けた。「心配ない、良い奴がいるんだ」と答えたジョン・メイオールに、ヴァーノンは重ねて「クラプトンより良い奴がいるのか」と尋ねた。それに対してメイオールは「グリーンは今の時点ではクラプトンより優れているとは言えないかもしれない。しかし数年後には彼は最高のミュージシャンになるだろう」と答えた、という話が残っている。
その言葉どおり、グリーンはブルースブレイカーズへの参加を境に、一躍注目されるようになる。
1967年、アルバム「ジョン・メイオールとピーター・グリーン/ブルースの世界」が発表される。これはグリーンにとってのアルバム・デビューであった。この中に収められている「ザ・セイム・ウェイ」「ザ・スーパーナチュラル」がグリーンのオリジナル曲である。「ザ・スーパーナチュラル」はすぐにバンドのトレード・マークになった。
グリーンの仕事ぶりは素晴らしく、評価は確固たるものとなった。ミュージシャン仲間からは「The Green God」というニックネームで呼ばれていたという。「God」はもちろんクラプトンに由来するものである。
グリーンの前任者であるクラプトンは、この頃にはイギリスを代表するギタリストとして知られていた。当時ロンドンの駅に、「Clapton Is God」と落書きされていたのは有名な話であるが、グリーンのブルースブレイカーズ加入後はそのとなりに「Peter Green Is Greater Than God」と書き足されていたという。
なお、グリーン加入時にブルースブレイカーズでベースを弾いていたのが、ジョン・マクヴィーである。また1967年4月にはミック・フリートウッドが加入し、再びバンド・メイトとなった。
クラプトンに勝るとも劣らない評価を得たグリーンだったが、1967年4月に在籍わずか10ヵ月ほどでブルースブレイカーズから脱退。そしてこの年7月には自らがリーダーのバンド「フリートウッド・マック」(結成当初は「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」)を結成する。メンバーはグリーン、フリートウッド、マクヴィーのほか、ジェレミー・スペンサー(guitar 元レヴィ・セット・ブルース・バンド)、ボブ・ブランニング(bass)であった。ベーシストの第1候補ジョン・マクヴィーだったのだが、まだ参加できる態勢が整っていなかったので、一時的にブランニングが起用されたのである。
感情を揺さぶるようなヴィブラートと個性的な音色に彩られたグリーンのギターは、当時のイギリスのブルース・ブームにあって重要な存在となっていた。のちにB.B.キングは、グリーンについて「彼は私が今までに聴いた中でもっとも優しい音色を持っている。彼は私に冷や汗をかかせた唯一の男だ」とコメントしている。
フリートウッド・マックは1967年8月、クリームやチキン・シャックらとともに「ウィンザー・ナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティヴァル」に出演して好評を博し、すぐにマイク・ヴァーノンのブルー・ホライゾン・レーベルと契約した。
同年9月、ブランニングが脱退し、後任としてジョン・マクヴィーが加入する。
1967年11月、フリートウッド・マックはシングル「アイ・ビリーヴ・マイ・タイム・エイント・ロング」でデビュー。
翌68年2月にはファースト・アルバム「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」を発表。これは全英チャートに37週とどまり、最高4位を記録した。
1968年8月、セカンド・アルバム「ミスター・ワンダフル」を発表。このころダニー・カーワン(元ボイラーハウス)が3人目のギタリストとして加入する。
1968年11月にリリースしたシングル「アルバトロス」は、翌69年に全英シングル・チャート1位の大ヒットとなった。続くシングル「マン・オブ・ザ・ワールド」も全英チャートを2位まで上昇した。
1969年には、シカゴのチェス・レコードのスタジオで、オーティス・スパン、ウィリー・ディクソン、ウォルター・ホートン、バディ・ガイら錚々たるシカゴのブルースメンとレコーディングを行った。この音源は「ブルース・ジャム・イン・シカゴ」というタイトルでアルバムとしてリリースされている。
デビュー当初からチャートを賑わせたフリートウッド・マックは、またたく間にチキン・シャック、サヴォイ・ブラウンと並んでブリティッシュ・ホワイト・ブルースの三大バンドと言われるようになった。
しかし1969年頃からグリーンの精神状態は悪化の一途をたどる。
1970年、バンドはシングル「オー・ウェル」を全英1位に送り込んだが、グリーンの精神状態は深刻なドラッグへの依存によって非常にもろくなっていた。それに加えてブルースを追求したいグリーンの音楽観はバンドの方向性と合わなくなっていた。その結果、1970年5月20日の演奏を最後に、グリーンはフリートウッド・マックを脱退した。グリーンの脱退は、その後のフリートウッド・マックの音楽性の変化に大きな影響を及ぼしたと言われている。
バンドの中枢だったグリーンは、フリートウッド・マック時代にソング・ライターとしても才能を開花させ、「ブラック・マジック・ウーマン」(UK37位 1970年にサンタナがカヴァー)、「アルバトロス」(UK1位)、「マン・オブ・ザ・ワールド」(UK2位)、「オー・ウェル」(UK2位)、「グリーン・マナリシ」(UK10位 1978年ジューダス・プリーストがカヴァー)などの名曲を残している。
フリートウッド・マックから離れて1ヵ月後の6月27日、グリーンは「バース・フェスティヴァル・オブ・ブルース・アンド・プログレッシヴ・ミュージック」に出演。ステージをともにしたのは、ジョン・メイオール(guitar)、ロッド・メイオール(organ)、リック・グレッチ(bass)、エインズレー・ダンバー(drums)であった。
この年、全曲即興的なインストゥルメンタルであるソロ・アルバム「エンド・オブ・ザ・ゲーム」を発表する。これはゴッドフリー・マクリーン(drums)、ズート・マネー(keyboard)、ニック・バック(keyboard)、アレックス・ドモチョフスキー(bass)によるジャム・セッションを録音したものである。
1971年には、フリートウッド・マックから突如脱退したジェレミー・スペンサーの穴を埋めるため、「ピーター・ブルー」の変名で急遽フリートウッド・マックのツアーに参加する。そのほかピーター・バーデンス、ボブ・テンチのバンド「ガス」、ナイジェル・ワトソンなどのレコーディング・セッションに参加したほか、1973年にはフリートウッド・マックのアルバム「ペンギン」に収録されている「ナイトウォッチ」にノン・クレジットで参加。しかしこの時点のグリーンはもはや薬物に蝕まれたどん底の状態で、音楽界からも姿を消した。一時は墓地の管理人などをしていたという。この頃に愛用していたギター(レスポール)をゲイリー・ムーアに無料同然の値段で譲り渡している。
1977年には自分の会計士を散弾銃で脅したとして逮捕された。
グリーンは最終的に統合失調症と診断され、1977年には精神病院への入院を余儀なくされた。
こうしてグリーンは、1970年代の大半をドラッグの使用とその治療に費やしたが、1978年に約1年ぶりに退院すると、兄の援助でPVKとレコーディング契約を交わした。これをきっかけに、スノウィー・ホワイト(guitar)のサポートを受けてソロ活動を再開し、1979年にアルバム「虚空のギター」を発表、ついにカムバックを果たした。このアルバムは全英チャートで32位を記録した。同年にはフリートウッド・マックのアルバム「タスク」の「ブラウン・アイズ」にクレジットなしで参加している。
以後は1980年から1983年までは毎年ソロ・アルバムを発表したほか、「カラーズ」や「カトマンズ」というプロジェクトでも活動した。
1981年にはミック・フリートウッドのソロ・アルバム「ビジター」へ客演している。
1985年、レイ・ドーセット(guitar 元マンゴ・ジェリー)やヴィンセント・クレイン(keyboard 元アトミック・ルースター)らと「カトマンズ」を結成し、アルバムを制作するが、1980年代半ばになると再びドラッグの使用によって健康を損ない、消息不明となる。
一時は「ピーター・グリーンの再起は不可能」だとする噂も流れたほどだったが、1990年代にゲイリー・ムーアやピート・ブラウンらによって自身の楽曲の再評価を受けたことを機に、本格的な復帰の準備に入る。
1996年3月14日、ドイツのフランクフルトで開催された楽器イベント「ミュージックメッセ」で、出演を取りやめたB.B.キングの代わりにライヴを行う。ナイジェル・ワトソン(guitar)、ニール・マーレイ(bass)とコージー・パウエル(drums)を従えたグリーンは「ピーター・グリーン・スプリンター・グループ」として約30分ほどのステージをこなし、再びカムバックしたのである。
この年12月にはイギリス・ツアーを行うまでに回復したグリーンは、1997年には「スプリンター・グループ」として初のアルバムを発表する。のちパウエルの交通事故死とマーレイの脱退によるメンバー・チェンジもあったが、1999年4月には初の日本公演も行い、Char、ジョー山中、近藤房之助らと共演した。2002年には再来日し、「ジャパン・ブルース・カーニヴァル」に出演している。
しかしワトソンとの間にできた溝は徐々に広がり、訴訟にまで発展。これが原因でスプリンター・グループは2004年に解散した。
なお1998年にはフリートウッド・マックの他のメンバーとともに「ロックの殿堂」入りを果たしている。
この後グリーンはまたもや音楽界から姿を消すが、2009年から2010年にかけて「ピーター・グリーン & フレンズ」として、イギリス、ドイツおよびオーストラリア・ツアーを行った。その後はエセックス州に居を構えて穏やかに日々を過ごした。
2009年2月、「ピーター・グリーン&フレンズ」として再び演奏とツアーを開始した。この年BBCのドキュメンタリー番組「ピーター・グリーン:マン・オブ・ザ・ワールド」が制作されている。
2020年2月25日、盟友ミック・フリートウッドはグリーンに対するリスペクトから、グリーンの音楽を讃える特別ライヴ「ミック・フリートウッド & フレンズ・トリビュート・トゥ・ピーター・グリーン」をロンドン・パラディアムで開催した。グリーンはこのイヴェントには出席しておらず、おそらくはイヴェントが開催されたことも知らなかっただろう、と言われている。
2020年7月25日、イングランド、エセックス州キャンヴェイ島にて73歳で死去。死因は公表されていないが、睡眠中に息を引き取ったという。
21世紀初頭、初期メンバーによるフリートウッド・マック再結成の噂が何度か流れたが、実現することはなかった。
ゲイリー・ムーア、ジョー・ペリー、アンディ・パウエル、マーク・ノップラー、ノエル・ギャラガーなど多くの名ギタリストがグリーンから影響を受けたと公言している。
またグリーンの曲はサンタナ、エアロ・スミス、ステイタス・クォー、ブラック・クロウズ、ジューダス・プリースト、ゲイリー・ムーア、トム・ペティなどによってカヴァーされ、演奏され続けている。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<ソロ>
1970年 エンド・オブ・ザ・ゲーム/The End of the Game ※旧邦題『ジニアス』
1979年 虚空のギター/In the Skies(UK32位)
1980年 夢幻のギター/Little Dreamer
1981年 自由へのギター・ロード/Whatcha Gonna Do?
★1981年 Blue Guitar ※アルバム未収録シングル含む編集盤
1982年 無垢のギター/White Sky
1984年 A Case For The Blues / Katmandu
★1988年 Legend ※未発表を含む編集盤
★1991年 Last Train To San Antone
★1992年 Baby When the Sun Goes Down
★1993年 Collection
★1995年 Rock and Pop Legends
★1996年 Green and Guitar
★1997年 Bandit
★1997年 Knights of the Blues Table
★1998年 Blues for Dhyana
★1998年 Born on the Wild Side
★2000年 Alone with the Blues
★2001年 The Clown
★2001年 A Fool No More
★2001年 Promised Land
★2008年 Anthology
<ジョン・メイオール & ザ・ブルースブレイカーズ>
1967年 ジョン・メイオールとピーター・グリーン/ブルースの世界/Hard Road(UK10位)
<フリートウッド・マック>
1968年 ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック/Peter Green's Fleetwood Mac(UK4位, US198位)
1968年 ミスター・ワンダフル/Mr. Wonderful(UK10位)
1969年 ゼン・プレイ・オン/Then Play On(UK6位, US109位)
1969年 ブルーズ・ジャム・イン・シカゴ/Fleetwood Mac in Chicago(US118位)
<カラーズ>
★1983年 彩りのギター/Kolors ※未発表曲集。Kolorsの解散後にリリース
<カトマンズ>
1985年 ア・ケース・フォー・ザ・ブルース/A Case for the Blues
<ピーター・グリーンズ・スプリンター・グループ>
☆1997年 スプリンター・グループ/Peter Green Splinter Group ※ソロ名義
1998年 The Robert Johnson Songbook ※Peter Green with Nigel Watson Splinter Group
☆1998年 Soho Session
1999年 デスティニー・ロード/Destiny Road
2000年 ホット・フット・パウダー/Hot Foot Powder ※Peter Green with Nigel Watson Splinter Group
2001年 タイム・トレイダーズ/Time Traders
★2001年 Me and the Devil ※限定3CDボックス。1CDはロバート・ジョンソンの録音
2001年 Blues Don't Change ※コンサート会場および公式ウェブサイト限定
2003年 リーチング・ザ・コールド 100/Reaching the Cold 100
★2006年 ザ・ベスト・オブ・ピーター・グリーン・スプリンター・グループ/The Best of Peter Green Splinter Group
★2013年 The Very Best of Peter Green Splinter Group
<レコーディング・セッション>
*エディー・ボイド
1967年 Eddie Boyd and His Blues Band featuring Peter Green
1968年 7936 South Rhodes
*ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズ
1968年 ベア・ワイヤーズ/Bare Wires(UK3位) ※収録はリイシュー盤(CD)のボーナス・トラックのみ
1968年 ローレル・キャニオンのブルース/Blues from Laurel Canyon(UK33位)
*ダスター・ベネット
1968年 Smiling Like I'm Happy
1969年 Bright Lights
1970年 12 DB's
*ゴードン・スミス
1968年 ロング・オーヴァーデュー/Long Overdue
*オーティス・スパン
1969年 The Biggest Thing Since Colossus
*ブランニング・サンフラワー・ブルース・バンド
1969年 Trackside Blues
1970年 I Wish You Would
*ガス
1970年 Juju
*ジェレミー・スペンサー
1970年 Jeremy Spencer
*トー・ファット
1970年 Toe Fat Two
*メンフィス・スリム
1971年 Blue Memphis
*B.B. キング
1971年 B.B.King in London(Green plays on「Caldonia」)
*デイヴ・ケリー
1971年 Dave Kelly
*カントリー・ジョー・マクドナルド
1971年 Hold On It's Coming
*ピーター・バーデンス
1970年 ジ・アンサー/The Answer
*フリートウッド・マック
1973年 ペンギン/Penguin(Plays on "Night Watch" )(US49位)
1979年 牙(タスク)/Tusk(Plays on "Brown Eyes" )(UK1位, US4位)
*リチャード・カー
1973年 From Now Until Then
*ダッフォ
1980年 The Disappearing Boy
*ミック・フリートウッド
1981年 ザ・ビジター/The Visitor
*ブライアン・ナイト
1981年 A Dark Horse
*ジ・エネミー・ウィズイン
1986年 ア・タッチ・オブ・サンバーン/A Touch Of Sunburn
*SAS バンド
1997年 SAS Band
*ディック・ヘクストール=スミス
2001年 Blues and Beyond
*クリス・ココ
2002年 Next Wave
*ピーター・ガブリエル
2003年 Up(UK11位 US9位)
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