ROCKSTARS

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ユーライア・ヒープ

2022-11-13 15:14:09 | band

ユーライア・ヒープ Uriah Heep

【活動期間】
   1969~

【メンバー】
 <vocal>
  デヴィッド・バイロン/David Byron(vocal)在籍1969~1976
  ジョン・ロートン/John Lawton(voval)在籍1976~1979
  ジョン・スローマン/John Sloman(vocal)在籍1979~1981
  ピーター・ゴールビー/Peter Goalby(vocal)在籍1981~1985
  ステフ・フォンテイン/Steff Fontaine(vocal)在籍1986
  バーニー・ショウ/Bernie Shaw(vocal)在籍1986~
 <guitar>
  ミック・ボックス/Mick Box(guitar)在籍1969~
 <keyboard>
  ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(keyboard)在籍1970~1980
  グレッグ・デシャート/Gregg Dechert(keyboard)在籍1980~1981
  ジョン・シンクレア/John Sinclair(keyboard)在籍1981~1985
  フィル・ランゾン/Phil Lanzon(keyboard)在籍1986~
 <bass>
  ポール・ニュートン/Paul Newton(bass)在籍1969~1971
  マーク・クラーク/Mark Clarke(bass)在籍1971~1972
  ゲイリー・セイン/Gary Thain(bass)在籍1972~1975
  ジョン・ウェットン/John Wetton(bass)在籍1975~1976
  トレヴァー・ボルダー/Trevor Bolder(bass)在籍1976~1981, 1983~2013
  ボブ・デイズリー/Bob Daisley(bass)在籍1981~1983
  デイヴ・リマー/Dave Rimmer(bass)在籍2013~
 <drums>
  アレックス・ネピアー/Alex Napier(drums)在籍1969~1970
  ナイジェル・オルソン/Nigel Olsson(drums)在籍1970
  キース・ベイカー/Keith Baker(drums)在籍1970
  イアン・クラーク/Ian Clarke(drums)在籍1970~1971
  リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums)在籍1971~1979, 1981~2007
  クリス・スレイド/Chris Slade(drums)在籍1979~1981
  ラッセル・ギルブルック/Russell Gilbrook(drums)在籍2007~

    
   
 ユーライア・ヒープは、ブリティッシュ・ハード・ロックの代表的なバンドのひとつである。
 全盛期の1970年代は、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバスなどと並び称された。


 1965年、「ゴッズ」(Gods)が活動を開始する。このバンドには,ケン・ヘンズレー(keyboard)が在籍していたほか、1967年にはポール・ニュートン(bass)、リー・カースレイク(drums)が加入している。
 1968年3月にゴッズを脱退したニュートンは、ミック・ボックス(guitar)やデヴィッド・ガーリック(のちデヴィッド・バイロンと改名, vocal)の在籍する「スパイス」に参加する。スパイスは、ボックスとガーリックを中心として1967年に結成されたバンドである。


 1969年2月にゴッズが解散すると、ヘンズレーは「クリフ・ベネット・バンド」に参加。同年6月、このバンドにやはり元ゴッズのリー・カースレイクが加わり、バンド名を「トー・ファット」とした。
 同年11月、ヘンズレーとカースレイクはバンドから脱退し、「ヘッドマシーン」(Head Machine)名義でアルバムを発表する。


 この1969年当時、スパイスはブロン・エージェンシーと契約を交わしていた。
 当時のスパイスのラインナップは、ポール・ニュートン(bass)、デヴィッド・バイロン(vocal)、ミック・ボックス(guitar)、アレックス・ネピアー(drums)の4人だったが、マネージャーのジェリー・ブロンは、バンドに歌える鍵盤奏者で、かつ正式メンバーが必要だと考えていた。こうして、ニュートンのゴッズ時代のバンド・メイトであり、1969年11月にトー・ファットを脱退したばかりだったヘンズレーに声がかかったのである。このバンドが1969年末に「ユーライア・ヒープ」と改名する。
 このユニークなバンド名はブロンの発案とも言われており、ちょうどディケンズ没後100周年でイギリス国内がディケンズ・ブームだったため、チャールズ・ディケンズの小説「デヴィッド・コパーフィールド」の登場人物の名を取ったものである。


 バンドは、諸事情によって1970年初頭まで「スパイス」名義で活動したのち、1970年3月から「ユーライア・ヒープ」として活動をスタートした。
 さっそくファースト・アルバムのレコーディングに取りかかったが、アレックス・ネピアー(drums)は6曲録音したのみで解雇され、すぐにナイジェル・オルソン(元プラスティック・ペニー、スペンサー・デイヴィス・グループ)と交替する。
 1970年12月、ファースト・アルバム『ユーライア・ヒープ・ファースト』を発表したが、メディアからは酷評され、アルバム発表後のツアーも結果を残せなかった。オルソンはツアーに短期間だけ参加したがすぐに脱退し、間もなく後任としてキース・ベイカー(drums 元ベイカールー、メイ・ブリッツ)が加入。
 1970年12月、セカンド・アルバム『ソールズベリー』のレコーディングが終了した後、ドラムがイアン・クラーク(元Cressida)に交替。そのクラークも、翌年秋にヒープを解雇される。以前からヒープが参加を打診していたリー・カースレイクの加入が決まったためである。そしてその直後にポール・ニュートンもバンドを離れた。
 クラークの後任として1971年11月に加入したリー・カースレイク(元ナショナル・ヘッド・バンド)は、ヘンズレーとともにゴッズに在籍していたドラマーである。カースレイクはこの後通算して約36年ユーライア・ヒープのドラマーを務めることになる。
 ベーシストにはマーク・クラーク(元コロシアム)が加わったが、彼はわずか3ヵ月在籍したのみで、『悪魔と魔法使い』のレコーディング中に脱退し(「悪魔と魔法使い」の1曲のみベース、ソング・ライティング、ボーカル・パートの一部に参加)、「テンペスト」の結成に参加。クラークの後任に迎えられたのが、ゲイリー・セイン(元キーフ・ハートリー・バンド)である。
 同年11月にはヒープの出世作となったサード・アルバム『対自核』を発表。『対自核』は全英アルバム・チャートで初めて100位以内に入ったばかりか、39位までチャートを上昇した。このヒットでヒープは一躍人気バンドの仲間入りをした。



Uriah Heep 1973


 メンバーがバイロン、ボックス、ヘンズレー、セイン、カースレイクに固まった1972年からがユーライア・ヒープの黄金時代だと言われている。
 バイロンのハイ・トーン・ヴォイスと重厚なコーラス・ワーク、セインとカースレイクの強力なリズム・セクション、ファズを効かせた独特なヘンズレーのオルガン、ワウを有効に使ったボックスのギターなどの彼らの特徴を活かし、親しみやすいメロディーとドラマチックな曲構成を持った独自のヘヴィーなサウンドを構築した。
 1972年に発表した『悪魔と魔法使い』は全英20位、全米23位(初の全米トップ40入り)のヒットを記録。このアルバムからシングル・カットされた『安息の日々』はスマッシュ・ヒットし、ヒープ唯一の全米トップ40シングル(全米39位)となった。のちケン・ヘンズレーは、このアルバムにおいて「ユーライア・ヒープは完成した」と述べている。なおレコード・ジャケットは、「イエス」のジャケットで知られるロジャー・ディーンが担当している。
 続いてさらに同年に発表した『魔の饗宴』も全英28位、全米31位のヒットを記録したが、この頃にはゲイリー・セインの薬物依存がバンドに影を落とすようになっていた。


 1973年1月、イギリス・ツアーを行なう。この模様を収めたのがライヴ・アルバム『ユーライア・ヒープ・ライヴ』である。このアルバムは全盛期のユーライア・ヒープの様子を聴くことができる貴重なものである。またこの年には初来日も果たしており、3月16日から21日にかけて日本武道館などで5公演を行なった。
 1973年に『スウィート・フリーダム』、翌1974年には『夢幻劇』発表。ヒープ・サウンドの特徴は残しながらもややコマーシャルなサウンドへとシフトしたため、その影響から一時の勢いに影を落とすことになる。
 1974年、ゲイリー・セインがステージ上で感電事故に遭う。かなりの重傷だったため長期休養に入ったが、治療のあいだに薬物への依存が深刻なものとなり、同年ついに解雇される。後任として加入したのは、ブリティッシュ・ロック界の重鎮ベーシスト、ジョン・ウェットンであった。ウェットン加入のニュースはロック界に驚きをもって迎えられた。
 ウェットンを迎えて1975年6月に発表した『幻想への回帰』は全英7位(ヒープ唯一の全英トップ10アルバム)を記録、やや低迷していたヒープの久しぶりの快心作となった。
 1976年5月には『ハイ&マイティ』をリリース。
 曲作りなどでバンドの中枢を担いつつあったウェットンだったが、『ハイ・アンド・マイティ』リリース直後の8月に脱退する。その後ウェットンは、ブライアン・フェリーのグループを経てU.K.に加わる。
 またこの年には、アルコール中毒という大きな問題を抱えていたバイロンも解雇された。
 ふたりが去ったヒープはかつての勢いを失ったものの、ふたりの後任としてドイツのバンド「ルシファーズ・フレンド」のジョン・ロートン(vocal)と、デヴィッド・ボウイのバック・バンド「スパイダース・フロム・マーズ」のトレヴァー・ボルダー(bass)を1977年に加えてバンドの再建に乗り出し、10枚目のスタジオ・アルバム『ファイアフライ』を発表。



Uriah Heep 1975


 1978年、ハード・ポップ寄りのアルバム『罪なきいけにえ』『堕ちた天使』を発表。
 1979年9月、ヴォーカルのジョン・ロートンが脱退し、ジョン・スローマン(元ローンスター)に交替すると、同年11月にはドラマーのリー・カースレイクがケン・ヘンズレーとの対立が原因で脱退、後任にクリス・スレイド(元マンフレッド・マンズ・アース・バンド)が加入する。
 1980年4月『征服者』発表。
 同年9月、バンドの支柱のひとり、ケン・ヘンズレーが音楽性の相違から脱退し、「ブラックフット」に参加。後任にはカナダ人キーボード・プレイヤー、グレッグ・デシャート(元ローンスター)が加入。



Uriah Heep 1978


 この頃にはバンド内でのメンバー間の軋轢が非常に高まっており、1981年にはボックスを除くすべてのメンバー(ボルダー、スローマン、スレイド、デシャート)が脱退してしまう。ボルダーはウィッシュボーン・アッシュに加入。
 この結果、ヒープは完全に活動を停止した。
 その後ミック・ボックスは「ミック・ボックス・バンド」として活動を継続しようとしたが、レコーディング契約にあたって消滅状態になっていた「ユーライア・ヒープ」の名が必要となった。このためボックスは、ユーライア・ヒープ再編に向けて動き始めることになる。


 ヒープ存続の危機にあたり、まずボーカリストのピート・ゴールビー(元トラピーズ)、そしてキーボード・プレイヤーのジョン・シンクレア(元Heavy Metal Kids、Lion)が参加。その後Blizzard of Ozzを脱退したかつてのメンバー、リー・カースレイク(drums)が復帰。そして数々のブリティッシュ・ハード・ロック・バンドを渡り歩いてきた強者ベーシスト、ボブ・デイズリー(元Blizzard of Ozz)という、一騎当千のメンバーが集まったのである。
 こうしてようやくレコーディングの態勢が整ったヒープは、ハードなサウンドを維持しながらもキャッチーなアルバム『魔界再来』(1982年)を発表した。『That's the Way That It Is』はアメリカでのシングル・ヒットとなった。
 折しもハード・ロック・シーンは1970年代末からのNWOBHMの波に乗って活気づいており、ヒープも勢いを盛り返した。
 この1982年にはイギリスの夏の一大イベント「モンスター・オブ・ロック」にも出演し、ヒープ健在を見せつけている。
 以後もヒープは何度か活動停止に見舞われるが、唯一のオリジナル・メンバーとなったミック・ボックスがヒープ存続のためバンドを引っ張り続けている。


 1983年、『ヘッド・ファースト』発表。レコーディング後にボブ・デイズリーが脱退し、後任としてトレヴァー・ボルダーが復帰した。
 1985年2月、オリジナル・メンバーのデヴィッド・バイロンがアルコール依存症にともなう肝硬変のため死去、という悲報が伝えられた。まだ38歳という若さであった。
 この年、15年間在籍したブロンズ・レコードが倒産したため、CBS傘下のポートレイト・レコードに移籍。移籍第1弾として1985年3月に『イクウェイター』(Equator)をリリースしたが、アルバム発表後にシンクレアとゴールビーが脱退した。
 またしてもバンド存続の危機に立たされたヒープだったが、1986年にステラ・フォンテイン(vocal)とフィル・ランゾン(keyboard 元Grand Prix)を新たに加える。同年11月にフォンテインが解雇されると、Grand Prixでランゾンとバンド・メイトだったバーニー・ショウ(vocal)が迎えられた。
 こうして息を吹き返したヒープは1987年秋に本格的な活動を再開。同年12月にモスクワ・オリンピックで計18万人の観客を動員するライヴを行なった。この模様は1988年に『ライヴ・イン・モスクワ』のタイトルでリリースされた。
 モスクワでのコンサートの後は、再開されたレディング・フェスティヴァルにも出演し、ファンを湧かせている。
 1989年には新ラインナップとして初めてのスタジオ・アルバム『レイジング・サイレンス』リリースした。
 1991年、『ディファレント・ワールド』発表。18年ぶりの来日公演を行う。



Uriah Heep 1995


 1995年、デビュー25周年を記念したアルバム『シー・オブ・ライト』発表。23年ぶりにロジャー・ディーンがジャケットを手がけた。音楽的にも全盛期の1970年代に回帰した作品と評されている。
 その後バーニー・ショウが喉を手術したため、アルバム・リリース後のツアーの一部ではジョン・ロートンが代役を務めている。
 1998年『ソニック・オリガミ』発表。
 メンバーの入れ替わりが激しいことで知られていたユーライア・ヒープであるが、1986年からは20年以上固定メンバーで活動を続けていた。しかし2007年にリー・カースレイクが健康上の理由から脱退し、後任としてラッセル・ギルブルックが加入。
 2008年、10年ぶりのスタジオ・アルバム『ウェイク・ザ・スリーパー』発表。
 2009年、最新メンバーによる往年の名曲の新録音+新曲2曲のデビュー40周年記念ベスト・アルバム『セレブレイション』発表。
 2010年、デビュー40周年記念として19年ぶり3度目の来日公演を行う。川崎クラブチッタでのライヴではゲストにミッキー・ムーディ(guitar 元ホワイトスネイク)を迎えて『悪魔と魔法使い』の完全再現を行った。このライヴは『Official Bootleg vol.3:Live in Kawasaki Japan 2010』としてCD化され、2013年に『ライヴ・イン・カワサキ』として国内盤がリリースされた。
 2011年4月、22ndアルバム『イントゥ・ザ・ワイルド』発表。
 2013年、トレヴァー・ボルダーが癌のため62歳で死去。ボルダー療養中のツアーではデイヴィー・リマーが代役を務めていたが、ボルダーの死去によって正式メンバーに昇格。
 2014年、リマー加入後初、通算23枚目のスタジオ・アルバム『異端審問』発表。
 2016年、デビュー45周年記念。ジョン・ロートン率いるルシファーズ・フレンドと大阪Zeppなんば、川崎クラブチッタで来日ジョイント公演を行った。
 2018年25thアルバム『桃源郷』リリース。
 2020年9月19日、長期間ユーライア・ヒープを支えたドラマーのリー・カースレイクが癌のため73歳で死去。
 同年11月4日、創設メンバーのひとりケン・ヘンズレーが75歳で死去。


【ディスコグラフィ】
 <アルバム> ☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム
  1970年 ユーライア・ヒープ・ファースト/…Very 'Eavy …Very 'Umble(US186位 日本41位)
  1971年 ソールズベリー/Salisbury(US103位 日本47位 フィンランド3位)
  1971年 対自核/Look at Yourself(UK39位 US93位 日本5位 フィンランド1位)
  1972年 悪魔と魔法使い/Demons and Wizards(UK20位 US23位 日本28位 フィンランド1位 ノルウェイ5位 ドイツ5位 スウェーデン8位)
  1972年 魔の饗宴/The Magician's Birthday(UK28位 US31位 日本43位 フィンランド1位 ノルウェー5位 オーストラリア6位 ドイツ7位 スウェーデン9位)
 ☆1973年 ユーライア・ヒープ・ライヴ/Uriah Heep Live(UK23位 US37位 ノルウェイ3位 オーストリア5位 フィンランド5位 ドイツ8位 スウェーデン10位)
  1973年 スウィート・フリーダム/Sweet Freedom(UK18位 US33位 日本45位 ノルウェイ2位 フィンランド2位 カナダ5位 オーストリア9位)
  1974年 夢幻劇/Wonderworld(UK23位 US38位 日本76位 オーストリア2位 ノルウェイ3位 フィンランド5位 ドイツ7位)
  1975年 幻想への回帰/Return to Fantasy(UK7位 US85位 日本74位 ノルウェイ2位 オーストリア3位 フィンランド8位 スウェーデン9位)
  1976年 ハイ・アンド・マイティ/High and Mighty(UK55位 US161位 ノルウェイ4位)
 ★1976年 ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ/The Best of Uriah Heep(US145位 オーストリア8位 スウェーデン47位)
  1977年 ファイアフライ/Firefly(US166位 ノルウェイ6位)
  1977年 罪なきいけにえ/Innocent Victim(ノルウェイ13位 ドイツ15位)
  1978年 堕ちた天使/Fallen Angel(UK186位 ノルウェイ10位)
  1980年 征服者/Conquest(UK37位)
  1982年 魔界再来/Abominog(UK34位 US56位)
  1983年 ヘッド・ファースト/Head First(UK46位 US159位 ノルウェイ19位)
  1985年 イクウェイター/Equator(UK79位)
 ☆1986年 Live in Europe 1979 
 ☆1986年 Live at Shepperton '74 
 ☆1988年 Live in Moscow
  1989年 レイジング・サイレンス/Raging Silence(スイス26位)
  1991年 ディファレント・ワールド/Different World
  1995年 シー・オブ・ライト/Sea of Light(スイス29位 ドイツ87位)
 ☆1996年 Spellbinder Live
  1998年 ソニック・オリガミ/Sonic Origami
  2008年 ウェイク・ザ・スリーパー/Wake the Sleeper(アメリカ55位 ノルウェイ55位)
  2011年 イントゥ・ザ・ワイルド/Into the Wild(スウェーデン29位 フィンランド31位 ドイツ32位 スイス42位 オーストラリア58位)
  2014年 異端審問/Outsider(スイス17位 フィンランド28位 ドイツ32位 オーストリア56位)
  2018年 桃源郷/Living the Dream(UK57位 スイス5位 ドイツ10位 オーストリア18位 ノルウェイ28位 フィンランド28位)
  2023年 獄彩色/Chaos & Colour(UK73位 US69位 ドイツ4位 スイス5位 オーストリア10位 フィンランド16位 ノルウェイ40位)

 <シングル>
  1970年 ジプシー/Gypsy(ドイツ28位)
      ウェイク・アップ/Wake Up
  1971年 黒衣の娘/Lady in Black(ドイツ5位 スイス6位 フィンランド16位)
      尼僧/High Priestess
      対自核/Look at Yourself(スイス4位 ドイツ33位)
  1972年 魔法使い/The Wizard(スイス8位 ドイツ34位 カナダ86位)
      7月の朝/July Morning
      安息の日々/Easy Livin'(US39位 オランダ5位 デンマーク9位)
      スパイダー・ウーマン/Spider Woman(ドイツ14位)
  1973年 スウィート・ロレイン/Sweet Lorraine(US91位) 
      7月の朝/July Morning [Live]
      ラヴ・マシーン/Love Machine [Live]
      略奪/Stealin'(US91位 ニュージーランド1位 ノルウェイ9位 フィンランド23位 ドイツ40位)
      ドリーマー/Dreamer
      セヴン・スターズ/Seven Stars
  1974年 浮気な瞳/Something or Nothing(ノルウェイ6位 フィンランド25位 ドイツ45位)
  1975年 プリマ・ドンナ/Prima Donna(ノルウェイ3位 デンマーク10位)
      幻想への回帰/Return to Fantasy(オランダ34位)
  1976年 ワン・ウェイ・オア・アナザー/One Way or Another
      メイク・ア・リトル・ラヴ/Make a Little Love
  1977年 賢者/Wise Man
      哀れみの涙/Sympathy(デンマーク13位 ドイツ37位)
      フリー・ミー/Free Me(ニュージーランド3位 スイス8位 ドイツ9位 ノルウェイ18位)
  1978年 ラヴ・オア・ナッシング/Love or Nothing(ドイツ36位)
      カム・バック・トゥ・ミー/Come Back to Me(ドイツ40位)
  1979年 ワン・モア・ナイト/One More Night
  1980年 キャリー・オン/Carry On
      フィーリングス/Feelings
      Love Stealer
  1981年 シンク・イット・オーヴァー/Think It Over
  1982年 オン・ザ・リバウンド/On the Rebound
      ザッツ・ザ・ウェイ・ザット・イット・イズ/That's the Way That It Is(US106位)
  1983年 ロンリー・ナイツ/Lonely Nights(UK85位)
      ステイ・オン・トップ/Stay on Top(UK76位)
  1985年 ロッカラマ/Rockarama
      プアー・リトル・リッチ・ガール/Poor Little Rich Girl
  1989年 ホールド・ユア・ヘッド・アップ/Hold Your Head Up
      レッド・ローズ/Blood Red Roses
  1991年 ディファレント・ワールド/Different World
  1995年 ドリーム・オン/Dream On
  1998年 ハートレス・ランド/Heartless Land
  2001年 黒衣の娘/Lady in Black [Live]
  2011年 ネイル・オン・ザ・ヘッド/Nail on the Head
  2014年 刹那主義/One Minute
  2018年 禁断の果実/Grazed by Heaven


【ラインナップの変遷】
 #1 1969~1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  アレックス・ネピアー(drums)

 #2 1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  ナイジェル・オルソン(drums)ex. Spencer Davis Group

 #3 1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  キース・ベイカー(drums)ex. May Blitz

 #4 1970~1971
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  イアン・クラーク(drums)ex. Cressida

 #5 1971~1972
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  マーク・クラーク(bass)ex. Colosseum
  リー・カースレイク(drums)ex. National Head Band

 #6 1972~1975
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ゲイリー・セイン(bass)ex. Keef Hartley Band
  リー・カースレイク(drums)

 #7 1975~1976
  デヴィッド・バイロン(vocal)→ Rough Diamond
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ジョン・ウェットン(bass, vocal)ex. King Crimson, Roxy Music → U.K.
  リー・カースレイク(drums)

 #8 1976~1979
  ジョン・ロートン(vocal)ex. Lucifer's Friend
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)ex. Spiders From Mars
  リー・カースレイク(drums)→ Blind Ambition

 #9 1979~1980
  ジョン・スローマン(vocal)ex. Lonestar
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)→ Blackfoot
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  クリス・スレイド(drums)ex. Manfred Mann's Earth Band

 #10 1980~1981
  ジョン・スローマン(vocal, keyboard, guitar)
  ミック・ボックス(guitar)
  グレッグ・デシャート(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)→ Wishbone Ash
  クリス・スレイド(drums)

 #11 1981~1983
  ピーター・ゴールビー(vocal)ex. Trapeze
  ミック・ボックス(guitar)
  ジョン・シンクレア(keyboards)ex. Lion
  ボブ・デイズリー(bass)ex. Blizzard of Ozz
  リー・カースレイク(drums)ex. Blizzard of Ozz

 #12 1983~1985
  ピーター・ゴールビー(vocal)ex. Trapeze
  ミック・ボックス(guitar)
  ジョン・シンクレア(keyboards)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #13 1986
  ステフ・フォンテイン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)ex. Grand Prix, Andy Scott's Sweet
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #14 1986~2006
  バーニー・ショウ(vocal)ex. Grand Prix
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #15 2007~2013
  バーニー・ショウ(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  ラッセル・ギルブルック(drums)

 #16 2013~
  バーニー・ショウ(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  デイヴィー・リマー(bass)
  ラッセル・ギルブルック(drums)


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