デイヴ・ショグレン David Paul "Dave" Shogren
【パート】
ベース、キーボード、ギター、バッキング・ヴォーカル
【生没年月日】
1950年10月12日~1999年12月14日(49歳没)
【出生地】
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ
【経歴】
ドゥービー・ブラザーズ/The Doobie Brothers(1970~1972)
SMB(1996~1999)
デイヴ・ショグレンはアメリカのベーシスト。ドゥービー・ブラザーズのオリジナル・メンバーである。
当初は12弦ギターを弾いていた。1970年、トム・ジョンストン(guitar, vocal)とジョン・ハートマン(drums)が在籍していたバンド「Pud」に、グレッグ・マーフィー(bass)の後任として加入し、ベーシストに転向。その後パトリック・シモンズ(guitar, vocal)が加わったPudは、同年にはバンド名を新たに「ドゥービー・ブラザーズ」と変えた。
ドゥービーズは1970年11月にデビュー・アルバムのレコーディングを始め、1971年4月に『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』というタイトルで発表したが、これはほぼ話題にならなかった。
1972年、セカンド・アルバム『トゥールーズ・ストリート』の制作中、ショグレンは『トゥールーズ・ストリート』(bass, acoustic-guitar)、『ホワイト・サン』(backing-vocals)の2曲の録音を残してドゥービーズを脱退。
ショグレンのベース・ラインは、初期のドゥービー・ブラザーズ・サウンドを堅実に支えている。
ドゥービーズ脱退後のショグレンは、サンフランシスコのベイエリアでセッション・ベーシストとして音楽活動を続ける。またカリフォルニアにスタジオを所有し、長年レコーディング業界に携わってプロデューサー、エンジニアとしても仕事をした。
1993年から1995年までは、ライターのブラッド・フィーガーと協力して「Parrot Audio Books」という出版社を設立し、バート・レイノルズやジョン・デンヴァーの自伝などのナレーション付きの本を12冊出版した。ショグレンは録音の専門知識を活かしてチーフ・エンジニアを務め、「エクソシスト」「アルジャーノンに花束を」の20周年記念オーディオも担当している。
1996年、ショグレンは彼のマネージャー兼プロデューサーであるポール・クルシオと協力して、チェット・マクラッケン(drums)、コーネリアス・バンパス(sax, keyboard)とともに「SMB」というバンドを結成した。
このバンドは主にドゥービー・ブラザーズの曲を演奏するトリビュート・バンドで、ドゥービーズのヒット曲のレコーディングも行った。当初は「オリジナル・ドゥービー・ブラザーズ」と名乗って活動していたが、ドゥービーズはこのバンド名を使用することに対して訴訟を起こし、裁判所からは名前の差し止め命令が出された。
SMBは1998年9月にフロリダ州クリアウォーターのクラブ・モアでライヴを行った。クラブ・モアの共同オーナーであるデイヴ・ケアリーはのちに「そのライブは大成功だった」と述べている。
1999年12月14日、ショグレンはカリフォルニア州サンノゼの自宅で睡眠中に死去。49歳だった。
健康状態は良好だったと言われているが、死の数日前にショグレンは父に体調不良であるとの電話をかけていたという。
SMBは新しいCDを完成させており、ヨーロッパ・ツアーの計画を立てていたところであった。
【ディスコグラフィ】
<ドゥービー・ブラザーズ>
1971年 ドゥービー・ブラザーズ・ファースト/The Doobie Brothers
1972年 トゥールーズ・ストリート/Toulouse Street US21位
<参加アルバム>
1974年 Ron Gardner「RG」
1982年 Richard Horner「Talkin' 'Bout You」
1992年 The Charlie Brechtel Band「Made In The U.S.A.」
1999年 Joel Crawford「BeFriender」
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