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ジョン・ウェットン

2023-05-31 14:45:09 | bass

ジョン・ウェットン John Kenneth Wetton

 【パート】
   ベース、ヴォーカル、ギター、キーボード

 【生没年月日】
   1949年6月12日~2017年1月31日(67歳没)

 【出生地】
   イングランド ダービーシャー州ウィリントン

 【経歴】
   ブラザーフッド/Brotherhood(1969~1970)
   モーグル・スラッシュ/Mogul Thrash(1970~1971)
   ルネッサンス/Renaissance(1971)
   シルヴァー・ジェイド(1971)
   ファミリー(1971~1972)
   キング・クリムゾン(1972~1974)
   ロキシー・ミュージック(1974~1975)
   ユーライア・ヒープ(1975~1976)
   ブライアン・フェリー・バンド(1976~1977)
   U.K.(1977~1980)
   ウィッシュボーン・アッシュ(1980~1981)
   エイジア(1981~1983、1984~1986、1989~1991、2006~2017)
   U.K.(2011~2015)


 ブリティッシュ・ロック史上に残るベーシストのひとり。
 キング・クリムゾンユーライア・ヒープ、ロキシー・ミュージック、エイジア、U.K.、ウィッシュボーン・アッシュなど、数多くの名だたるバンドで活躍した。
 テクニカルかつ重厚なベースが持ち味である。かつ幅広い音楽性を備えており、コンポーザーとしても定評がある。
 哀愁を帯びた深みのある声を持ち、ヴォーカリストとしても評価が高い。
 

 ダービーシャー州ウィリントンに生まれ、10代前半の頃に一家でイギリス南西部のドーセット州ボーンマスに転居する。
 教会のオルガン奏者だった兄ロバートの影響で、幼い頃からクラシック音楽に馴れ親しみ、足鍵盤のないオルガンやピアノで練習する兄のために連弾のようにして低音部のパートを受け持ったりしていた。
 やがて当時の人気バンドであるエヴァリー・ブラザーズやシャドウズなどのロックンロール、あるいはR&Bバンドに夢中になり、エレキギターを弾き始める。
 学生時代に音楽活動を始めたが、この頃、のちにソング・ライティングでチームを組むリチャード・パーマー=ジェイムスと知り合い、1964年にはパーマー=ジェイムスのバンド「The Corvetts」(のち「The Palmer-James Group」に発展)に加入している。


 学校を卒業すると、地元ボーンマスやロンドンなどでプロ・ミュージシャンとして本格的に活動を始める。
 パーマー=ジェイムスと新たなバンド「Tetrad」組んだのを皮切りに、「スプリンター」というバンドに加わったり、ヘレン・シャピロのバックを務めたりするなど、徐々に活躍の場を広げていった。
 スプリンター解散後の1969年秋、ウェットンとエド・ビックネル(drums)は、「ダンディ・ホーンズ」の名で活動していたマルコム・ダンカン(sax)とロジャー・ボール(sax)と出会い、新たなバンドの構想を練るようになる。そしてこのバンドに興味を持った元コロシアムのジェームズ・リザーランド(guitar)が合流し、「ブラザーフッド」が結成された。
 その後すぐに「ジェームス・リザーランズ・ブラザーフッド」と名を改めたバンドは、ドラマーをビル・ハリスンに替え、マイケル・ローゼン(guitar, trumpet)を加えて、RCAと契約を交わすことになった。この時に同名のバンドが存在することが分かったため、1970年5月に名前を「モーグル・スラッシュ」と改めて契約した。
 1971年2月にデビュー・アルバム『モーグル・スラッシュ』をリリース。
 しかし間もなくバンドは解散したため、セッション・ミュージシャンとして働くようになった。この頃、短期間「ルネッサンス」や「ジェイド」に加入している。


 1971年9月、ジョン・ワイダーの後任として「ファミリー」に参加し、アルバム『フィアレス』の録音に参加。
 しかし、次作『バンドスタンド』が発表された1972年9月、ポーツマス時代からの友人ロバート・フリップからの要請でファミリーを脱退し、同年4月に新生「キング・クリムゾン」に参加した。この当時のメンバーはフリップ、ウェットン、ビル・ブルーフォード(drums)、デヴィッド・クロス(violin)、ジェイミー・ミューア(percussions)の5人である。ちなみに、ウェットンがファミリーに参加した1971年9月には、すでにロバート・フリップからクリムゾン入りを要請する最初のアプローチを受けている。
 クリムゾンではベース、ヴォーカルはもちろん、旧友で作詞担当のパーマー=ジェイムスを含めた他のメンバーとともに多くの曲作りに携わり、『太陽と戦慄』(1973年)、『暗黒の世界』(1974年)、『レッド』(1974年)の3枚のアルバム制作に加わった。これらはキング・クリムゾンのみならずロック史上に残る傑作との呼び声が高いアルバムである。
 ウェットンとブルーフォードの複雑な変拍子をものともしないリズム陣はまさに鉄壁で、ウェットン自身もベーシスト、そしてヴォーカリストとしてさらなる高い評価を得た。
 しかし1974年の『レッド』発表直後に、フリップが突然解散を宣言。


 クリムゾン解散後の1974年にロキシー・ミュージックに加入。そして1975年にはユーライア・ヒープに加入したが、ウェットンはプログレッシヴ・ロック畑のミュージシャンと見られていたため、この動きはロック界をあっと言わせた。
 ユーライア・ヒープでも曲作りに参加するなどバンドの中枢として活躍、『幻想への回帰』(1975年)、『ハイ・アンド・マイティ』(1976年)の2枚のアルバムを残して脱退した。


 1976年、ビル・ブルーフォードとインプロヴィゼイションを主体とする新グループの構想を練り、キング・クリムゾンの再結成を視野に入れてロバート・フリップに声をかけるが、フリップはこれを受け入れなかった。そこでイエスを脱退してソロ活動を行っていたリック・ウェイクマンとのスーパー・トリオ「ウェイクマン・ウェットン&ブルーフォード」(仮称)を結成し、リハーサルを行う。しかしウェイクマンが当時所属していたレコード会社と意見が合わなかったため、公式でのバンド活動には至らず、曲の一部がのちにブルーフォードのソロ・アルバム『フィールズ・グッド・トゥ・ミー』に別アレンジで収録されるに留まった。


 ウェットンは新たなバンドの構想を練りつつ、1976年からはブライアン・フェリーのソロ・アルバム、ソロ・ツアーに参加する。1977年に入って再びブルーフォードと新バンド結成について話し合うようになり、ウェットン、ブルーフォードに、エディ・ジョブソンとアラン・ホールズワースを加えたプログレッシブロック・バンド「U.K.」を結成。このバンドは「スーパー・グループ」として大きな注目を集め、1978年にはファースト・アルバム『U.K.』を発表したが、同年の北米ツアー終了後の11月、音楽性の相違を理由にブルーフォードとホールズワースが脱退。 1979年にはセカンド・アルバム『デンジャー・マネー』を発表、5月には日本公演を行ったが、ウェットンとジョブソンのあいだに生まれた溝が深刻になり、1979年末に活動を停止した。


 1980年、初のソロアルバム『コート・イン・ザ・クロスファイアー』を発表。
 1980年末、ウィッシュボーン・アッシュに加入してアルバム『ナンバー・ザ・ブレイヴ』の制作に参加する。
 1980年、ウェットンはこの年解散したイエスのマネージャーだったブライアン・レーンによって、元イエスのスティーヴ・ハウ(guitar)とジェフ・ダウンズ(keyboard)のふたりに引き合わされる。これに元エマーソン・レイク&パーマーのカール・パーマー(drums)が加わり、プログレッシブ・ロック界のスター・プレイヤーが集まったスーパー・グループ「エイジア」が結成された。1982年に発表したデビュー・アルバム『詠時感~時へのロマン』はビルボードで9週連続1位の大ヒットを記録、エイジアは世界的な人気を得るに至った。
 セカンド・アルバム『アルファ』もヒットしたが、この頃からハウとの関係が悪化し、ウェットン自身のアルコール依存症という問題もあって、1983年秋にバンドを解雇された。
 エイジアは一時グレッグ・レイクを代役として迎えたが、ウェットンは翌84年には復帰する。
 1985年、ウェットンが主導して制作したサード・アルバム『アストラ』のセールスが伸び悩んだため、バンドから解雇される。
 1989年、再結成されたエイジアに参加するが、バンドの限界を感じたことを理由に1991年脱退。


 この後は主にソロ・アーティストとして活動する一方、プログレッシブ・ロック系のアーティストのトリビュート・アルバムに参加したり、プロジェクト活動を積極的に行った。
 スティーヴ・ハケットを中心とした大物ぞろいのバンドでツアーを行うなどし、1996年にはイアン・マクドナルドらとともにスティーヴ・ハケットのバック・バンドの一員として来日。
 1996年、ウェットン、ブルーフォード、ジョブソンの3人でU.K.を再結成したが、レコーディングを行ったものの、ウェットンとジョブソンの対立がもとで、間もなく解散。
 1999年~2000年かけてはカール・パーマーと新バンド「Quango」を結成。


 2002年、エイジアでの作曲面のパートナーだったジェフ・ダウンズと再会し、ライブで共演したのをきっかけとして、ダウンズとのユニット「ウェットン/ダウンズ」を結成し、2005年にアルバム『アイコン』を発表
 2006年にはオリジナル・メンバーによって再結成されたエイジアに参加、精力的にツアーを行っていたが、2007年夏に行われた定期検診で心臓の冠動脈に異常が見つかったため、一時活動を停止する。同年8月10日にバイパス手術を受けて順調に回復、2008年に活動を再開した。また、オリジナル・メンバーでのアルバム『フェニックス』が発表された。
 2009年11月、エディ・ジョブソンのプロジェクト「U-Zプロジェクト」に参加したことがきっかけとなり、2011年には正式にU.K.を再々結成してライブ活動を行っていたが、2015年に活動を停止した。

 2017年1月、闘病中だった大腸がんの治療に専念するため、エイジアでの活動を一時休止することを表明。しかしその後間もなく病状が悪化し、同月31日午前5時25分にドーセット州ボーンマスの自宅で死去した。67歳だった。
 ウェットンが死去した2日後、エリック・クラプトンが「For John W」という小品をSNSで公開、話題となった。


          



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレイション・アルバム)

 <モーグル・スラッシュ>
   1971年 モーグル・スラッシュ/Mogul Thrash(旧邦題「炸裂!モーグル・スラッシュ」)

 <ファミリー>
   1971年 フィアレス/Fearless UK14位 US177位
   1972年 バンドスタンド/Bandstand UK15位 US183位

 <キング・クリムゾン>
   1973年 太陽と戦慄/Larks' Tongues in Aspic UK20位 US61位
   1974年 暗黒の世界/Starless and Bible Black UK28位 US64位
   1974年 レッド/Red UK45位 US66位
  ☆1975年 USA/USA US125位

 <ユーライア・ヒープ>
   1975年 幻想への回帰/Return to Fantasy UK7位 US85位
   1976年 ハイ・アンド・マイティ/High and Mighty UK55位 US161位

 <ロキシー・ミュージック>
  ☆1976年 VIVA! ロキシー・ミュージック/Viva! UK6位 US81位

 <ブライアン・フェリー・バンド>
   1974年 アナザー・タイム、アナザー・プレイス (いつかどこかで)/Another Time, Another Place UK4位
   1976年 レッツ・スティック・トゥゲザー/Let's Stick Together UK19位 US160位
   1977年 イン・ユア・マインド(あなたの心に)/In Your Mind UK5位 US126位
   1978年 ベールをぬいだ花嫁/The Bride Stripped Bare UK13位 US159位

 <U.K.>
   1977年 U.K.(憂国の四士)/U.K. UK43位 US65位
   1978年 デンジャー・マネー/Danger Money US45位
  ☆1979年 ナイト・アフター・ナイト(ライヴ・イン・ジャパン)/Night After Night US109位
  ☆1999年 U.K. ライヴ・イン・ボストン/Concert Classics, Vol.4
  ☆2013年 リユニオン-ライヴ・イン・トーキョー/ーReunionー Live in Tokyo ※2011年録音
  ☆2015年 エディー・ジョブソン-U.K.特別公演『憂国の四士』『デンジャー・マネー』完全再現ライヴ カーテン・コール/Curtain Call ※2013年録音

 <ウィッシュボーン・アッシュ>
   1981年 ナンバー・ザ・ブレイヴ/Number the Brave UK61位
   2008年 アーガス・スルー・ザ・ルッキング・グラス/Argus Through the Looking Glass ※「マーティン・ターナー & フレンズ」名義

 <エイジア>
   1982年 詠時感~時へのロマン/Asia UK11位 US1位
   1983年 アルファ/Alpha UK5位 US6位
   1985年 アストラ/Astra UK68位 US67位
  ☆1991年 ライヴ・イン・モスクワ 1990/Live in Moscow
  ☆1997年 ライヴ・イン・ノッティンガム 1990/Now-Live in Nottingham
  ☆2007年 Extended Versions
  ☆2007年 ファンタジア~ライヴ・イン・トーキョー 2007/Fantasia:Live in Tokyo
   2008年 フェニックス/Phoenix UK166位 US73位
   2010年 オメガ/Omega UK135位
  ☆2010年 スピリット・オブ・ザ・ナイト~ザ・フェニックス・ツアー・ライヴ・イン・ケンブリッジ/Spirit of the Night-Live in Cambridge 09
  ☆2011年 Live at the London Forum(The Omega Tour)
  ☆2012年 レゾナンス-オメガ・ツアー~ライヴ・イン・バーゼル 2010/-Resonance- The Omega Tour 2010
   2012年 XXX~ロマンへの回帰/XXX
   2014年 グラヴィタス~荘厳なる刻/Gravitas
  ☆2014年 ハイ・ヴォルテージ・ライヴ2010/High Voltage-Live
  ☆2015年 エイジア・ライヴ・イン・サンフランシスコ 2012/Axis XXX Live in San Francisco MMXII
  ☆2015年 Live in America
  ☆2017年 シンフォニア~ライヴ・イン・ブルガリア 2013/-Symfonia- Live in Bulgaria 2013

 <コラボレーション・アルバム>
 ◇ジャックナイフ
   1980年 アイ・ウィッシュ・ユー・ウッド/I Wish You Would
 ◇ウェットン・マンザネラ(with フィル・マンザネラ)
   1987年 ウェットン・マンザネラ/Wetton/Manzanera
 ◇with リチャード・パーマー=ジェイムス
   1998年 モンキー・ビジネス/Monkey Business 1972-1997
 ◇with ケン・ヘンズレー
   2002年 One Way or Another
   2002年 More Than Conquerors
 ◇アイコン(ウェットン/ダウンズ)
   2002年 ウェットン/ダウンズ/Wetton Downes
   2005年 アイコン/Icon
   2005年 Heat of the Moment '05 EP
   2006年 ルビコン/IconⅡ:Rubicon
   2009年 アイコン3/Icon 3
 ◇with ディストリクト97
  ☆2014年 ワン・モア・レッド・ナイト:ライヴ・イン・シカゴ (ジョン・ウェットン、キング・クリムゾンを歌う)/One More Red NightLive in Chicago
 ◇with ザ・レス・ポール・トリオ
   2015年 ニューヨーク・ミニット/New York Minute

 <ソロ・アルバム>
   1980年 コート・イン・ザ・クロスファイアー/Caught in the Crossfire
   1994年 ヴォイス・メイル/Voice Mail ※旧邦題『バトル・ラインズ』
  ☆1995年 チェイシング・ザ・ドラゴン/Chasing the Dragon (Live in Japan)
  ☆1996年 アクスティカ/ライヴ・イン・アメリカ/Akustika:Live in America
   1997年 アークエンジェル/Arkangel
   1998年 チェイシング・ザ・ディアー/Chasing the Deer ※サウンドトラック
  ☆1998年 ライヴ・イン・トウキョウ/Live in Tokyo 1997
  ☆1999年 ノーマンズ・ランド/Nomans Land
  ☆1999年 ヘイジー・モネット/Hazy Monet Live in New York City May 27, 1997
  ☆1999年 サブ・ローサ(ライヴ・イン・ミラン)/Sub Rosa Live in Milan Italy
   2000年 ウェルカム・トゥ・ヘヴン/Welcome to Heaven
  ☆2000年 ライヴ・イン・トウキョウ1999/Live at the Sun Plaza Tokyo 1999
   2003年 ロック・オブ・フェイス/Rock of Faith
  ☆2003年 ライヴ・イン・オオサカ/Live in Osaka
  ☆2003年 ライヴ・イン・ジ・アンダーワールド/Live in the Underworld
  ☆2003年 ライブ・イン・アージェンティーナ/Live in Argentina
  ☆2003年 ライヴ・イン・スウェーデン/Live in Stockholm 1998
  ☆2004年 アマータ/Amata
  ☆2004年 アジェンダ/Agenda
   2011年 レイズド・イン・キャプティヴィティー/Raised in Captivity
  ☆2015年 ライヴ・ヴィア・サテライト/Live via Satellite
  ★2015年 Studio Recording Anthology

 <ゲスト参加>
  ◇デヴィッド・バイロン
   1975年 テイク・ノー・プリズナーズ/Take No Prisoners
  ◇イアン・マクドナルド
   1999年 ドライヴァーズ・アイズ/Drivers Eyes


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