マイク・ハリスン Mike Harrison
【パート】
ヴォーカル、キーボード
【生没年月日】
1942年9月30日~2018年3月25日(75歳没)
【出身地】
イングランド カンバーランド州カーライル
【活動期間】
1963~1975
1997~2018
【経歴】
ディノ&ザ・ドナウズ/Dino & The Danubes
ザ・ダコタス/The Dakotas
ザ・ラムロッズ/The Ramrods(1960~1963)
V.I.P.'s(1963~1967)
アート/Art(1967)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1967~1970)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1972~1974)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1998~1999)
ハンブルグ・ブルース・バンド/The Hamburg Blues Band(2001)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(2004)
マイク・ハリスン・トラスト/Mike Harrison Trust(2005)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(2008~2009)
マイク・ハリスンは、イングランド出身のキーボード奏者、ヴォーカリスト。
スプーキー・トゥースのリード・シンガーとして知られている。
1960年、学校で友人だったグレッグ・リドリー(当時はギタリスト)らと「ディノ&ドナウズ」を結成したのがハリスンの音楽活動の出発点である。その後、リドリーとともに「ザ・ダコタス」で活動したのち、同年マイク・ヘンショウ(guitar)、アラン・マーシャル(drums)とロカビリー・スタイルのバンド「ザ・ラムロッズ」を結成する。
1963年後半、リドリーがラムロッズに加入すると、それをきっかけとしてバンドは「The V.I.P.'s」と名を改めた。
その頃、当時キンクスのマネージャーだったラリー・ペイジがV.I.P.'sに注目するようになった。ペイジの尽力によって、V.I.P.'sはRCAと契約を交わし、1964年10月にデビュー・シングル「Don't Keep Shouting at Me」をリリースする。この曲は本国イギリスで注目されることはなかったが、フランスではシングル・チャート2位を記録する大ヒットとなった。
その後ペイジはV.I.P.'sから離れ、代わってアニマルズのマネージャーであるマイク・ジェフリーズがマネージメントを行うようになる。ジェフリーズの紹介により、バンドは1965年にドイツへ渡り、ハンブルグのスター・クラブに出演。1966年初頭にはCBSに移籍する。
1966年、西ドイツから帰国したV.I.P.'sは、アイランド・レーベル創設者のクリス・ブラックウェルの知己を得る。バンドの将来性を高く評価していたブラックウェルはV.I.P.'sと契約し、この年「Vipps」名義を含む3枚のシングルをリリースした。なかでも同年10月にリリースされたシングル「I Wanna Be Free」は、フランスや西ドイツなどまたも本国以外で大ヒットした。とくに西ドイツではチャート1位を獲得している。
1966年秋から冬にかけてV.I.P.'sは大幅なメンバー・チェンジを行い、ラインナップはハリスン(vocal)、キース・エマーソン(keyboard)、グレッグ・リドリー(bass)、マイク・ケリー(drums)の4人となる。1967年初頭にはルーサー・グロヴナー(guitar)が加わって5人編成となるが、間もなくエマーソンは「ナイス」を結成するためバンドを脱退する。
V.I.P.'sはサイケデリック全盛期にさしかかった当時のロック界の状況を意識して、1967年4月に「Art」と改名する。アートは同年7月にアルバム「Supernatural Fairy Tales」とシングル「What's That Sound?」を発表。
スプーキー・トゥース(中央マイク・ハリスン)
1967年10月、留学のため西ドイツに滞在中だったアメリカ人のキーボード奏者兼ヴォーカリスト、ゲイリー・ライトがバンドに加わり、それを契機にバンドは「スプーキー・トゥース」と名を改めた。
スプーキー・トゥースの特色のひとつは、ハリスンとライトのふたりのヴォーカリスト兼キーボーディストを擁する、そのユニークな編成である。彼らが生み出すサイケデリック色の濃いヘヴィなサウンドは、のちのハード・ロックの源のひとつとも言われている。また、ザ・バンドの名曲「ザ・ウェイト」のカヴァー・シングルをリリースしていることからも分かるように、アメリカン・ロックへの憧れと接近を明確に打ち出しており、ブルージーでアーシーな音楽性を培って好意的な評価を得た。
ハリスンの「白いレイ・チャールズ」とも言われる、やや哀愁を帯びたブルージーな歌声は、そのスプーキー・トゥース・サウンドには欠かせないものであった。
ハリスンとライトはともにリード・シンガーであったが、しばしばお互いのヴォーカルを重ね合うというスタイルを創りだしており、その点ではブルー・アイド・ソウルの名デュオ、ライチャス・ブラザーズから影響されていると考えられている。
第1期スプーキー・トゥースは、バンド史上最高傑作と言われている1968年の作品「スプーキー・トゥー」をはじめとして、1969年までに3枚のアルバムを発表したが、ハリソンとライトが主導権を巡って争うようになり、それに端を発する感情的対立が原因となってライトが脱退する。
残ったハリソン、グロヴナー、ケリーは3人は、ジョー・コッカーのバック・バンド「グリース・バンド」のメンバーを補充し、「スプーキー・トゥース Featuring マイク・ハリスン」名義で4枚目のアルバム「ザ・ラスト・パフ」を制作したが、アルバム発表前の1970年夏にバンドは解散してしまった。
しかし解散後間もない1970年の秋に、ハリスン、グロヴナー、ケリー、元ナッシュヴィル・ティーンズ~ルネッサンスのジョン・ホウケン(keyboard)、元ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズのスティーヴ・トンプソン(bass)というラインナップで、ヨーロッパ・ツアーのためにだけいったん再結成し、ツアー終了後の1970年10月に改めて解散した。
スプーキー・トゥースとしての活動に区切りをつけたハリスンは、同郷カーライルのバンドで、V.I.P.'s時代にバンド・メイトだったフランク・ケニオン(guitar)が在籍する「ジャンクヤード・エンジェル」を起用して、1971年にファースト・ソロ・アルバム「Mike Harrison」を発表する。
翌72年には米アラバマ州のマッスル・ショールズでセカンド・ソロ・アルバム「Smokestack Lightning」を制作した。
1972年秋、ハリスンはゲイリー・ライトと再会する。ふたりの関係は修復の方向へ進み、同年9月にスプーキー・トゥースの再結成が実現した。ラインナップは、ハリソン、ライトのほか元ワンダーホィールのミック・ジョーンズ(guitar)、元ジャンクヤード・エンジェルのイアン・ハーバート(bass)、元メインホースのブライソン・グラハム(drums)である。(ベースは間もなく元ロニー・レーンズ・スリム・チャンスのクリス・スチュワートに、ドラムスはのちマイク・ケリーに代わる)
新生スプーキー・トゥースは「ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ」と「ウィットネス」の2枚のアルバムを発表し、一部では「全盛期を思い起こさせるサウンド」と好意的に評価された。
しかし1973年頃には、またもハリスンとライトはバンドの主導権を巡って対立するようになり、ハリスンはケリー、スチュワートとともに1974年2月に脱退した。
ライトはメンバーを補充して1974年にアルバム「ザ・ミラー」を発表したが、セールスは低迷した。その結果ライトもソロ活動を志向するようになり、バンドを離れた。そのためスプーキー・トゥースは1974年11月に解散した。
スプーキー・トゥースを脱退したハリスンは再びソロ活動に入り、1975年に3枚目のソロ・アルバム「Rainbow Rider」を発表する。
ところが、ハリスンのソロ・アルバムの印税が「スプーキー・トゥースのアイランド・レコードに対する負債の返済」として、ハリスン本人の同意を得ることなくアイランド・レコードに渡っていることが判明した。そればかりではなく、スプーキー・トゥースのメンバーは、アイランド・レコードから受け取る週給以外には、印税等受け取るべき利益を受け取っておらず、そればかりか「アイランドに対する負債」という名目の借金が累積していたのである。これが原因でハリスンは音楽業界から離れることを決めた。
1975年から1997年までのハリスンはほとんど音楽活動を行っておらず、バーテンダーやトラックの運転手として働いていた。
この後カナダに移るなどして音楽業界から遠ざかっていたが、1990年代に入るとハリスンは再び音楽活動に対して意欲を持つようになり、いずれもスプーキー・トゥースのオリジナル・メンバーであるマイク・ケリー(drums)、ルーサー・グロヴナー(guitar)、グレッグ・リドリー(bass)とレコーディングを行う。これがきっかけとなって1998年にはこの4人でのスプーキー・トゥース再結成が実現、1999年には25年ぶりとなる新作アルバム「Cross Purpose」をリリースした。オリジナル・メンバーのうち4人がそろったのは1969年以来であった。
1999年、ハリスンは「ハンブルグ・ブルース・バンド」からオファーを受け、ドイツを拠点にブルース・ロック主体の演奏活動を活発に行った。このバンドはクリームやジャック・ブルースなどと仕事をしてきた詩人ピート・ブラウンの歌詞をフィーチャーしたものであった。
2004年6月、ハリスン、ゲイリー・ライト(vocal, keyboard)、マイク・ケリー(drums)は、新たにジョーイ・アルブレヒト(guitar)とマイケル・ベッカー(bass)を加えて3度目のスプーキー・トゥース再結成を果たし、ツアーを行う。
2006年、ハロー・レコードのオーナーであるマイケル・マスレンが、ハンブルグ・ブルース・バンドのライヴでハリスンの歌に大きな感銘を受ける。スプーキー・トゥースのファンでもあったマスレンはハリスンにソロ・アルバムを制作するよう説得し、レコーディングに漕ぎつける。こうして2006年にリリースされたのが、ハリスン31年ぶり4枚目のソロ・アルバム「Late Starter」である。
2008年2月、ハリソン(vocal, keyboard)、ライト(vocal, keyboard)、ケリー(drums)の3人のオリジナル・メンバーをフィーチャーし、スティーヴ・ファリス(guitar)とシェム・フォン・シュローク(bass)を加えた5人で4度目のスプーキー・トゥース再結成が行われ、ヨーロッパでツアーを行った。
2009年5月29日、ハリソン(vocal, keyboard)、ライト(vocal, keyboard)、アルブレヒト(guitar)、ベッカー(bass)を[、そしてケリーの代わりにトム・ブレフテリン(drums)を加え、シェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われたアイランド・レコード50周年記念コンサートで演奏した。
ハリスンはその後も時折り演奏活動を続けていたが、2018年3月25日に故郷のカーライルで死去した。死因は不明である。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
◆アルバム
<ソロ>
1971年 Mike Harrison
1972年 Smokestack Lightning
1975年 Rainbow Rider
2006年 Late Starter
<The V.I.P.'s>
★2007年 The Complete V.I.P.'s
<Art>
1967年 Supernatural Fairy Tales
<スプーキー・トゥース>
1968年 イッツ・オール・アバウト/It's All About
1969年 スプーキー・トゥー/Spooky Two(US44位)
1969年 セレモニー/Ceremony(US92位) *with Pierre Henry
1970年 ザ・ラスト・パフ/The Last Puff(US84位) *「Spooky Tooth featuring Mike Harrison」名義
1971年 タバコ・ロード/Tabacco Road(US152位)
1973年 ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ/You Broke My Heart So I Busted Your Jaw(US84位)
1973年 ウィットネス/Witness(US99位)
1999年 Cross Purpose
★1999年 The Best of Spooky Tooth:That Was Only Yesterday
☆2001年 BBC Sessions
<Hamburg Blues Band>
2001年 Touch (Mike Harrison meets The Hamburg Blues Band)
<Mike Harrison Trust>
2005年 Mike Harrison Trust (no label no number)
◆シングル
<ソロ>
1975年 We Can Work It Out
1975年 Somewhere Over the Rainbow
<The V.I.P.'s>
1964年 Don't Keep Shouting at Me
1966年 Mercy, Mercy *「Vipps」名義
1966年 Wintertime *「Vipps」名義
1966年 I Wanna Be Free
1967年 Straight Down to the Bottom
<Art>
1967年 What's That Sound (For What It's Worth)
<スプーキー・トゥース>
1968年 ザ・ウェイト/The Weight
1968年 サンシャイン・ヘルプ・ミー/Sunshine Help Me(US:Cash Box126位)
1968年 ラヴ・リアリー・チェンジド・ミー/Love Really Changed Me
1969年 ザット・ワズ・オンリー・イエスタデイ/That Was Only Yesterdai(Durch13位)
1969年 ザン・オブ・ユア・ファーザー/Son of Your Father
1969年 フィーリン・バッド/Feelin' Bad(US:Bebbling Under132位)
1970年 アイ・アム・ザ・ウォルラス/I Am the Walrus(Dutch38位)
1973年 オール・ソウン・アップ/All Sewn Up