Life goes on.
まだ10代の頃、失恋に傷ついた私に、2つほど年下の友達が言った。
実は、あまり好きになれない言葉だった。
好きで好きで仕方がなかった彼が、私を長いこと裏切っていた上、別れを告げてきた。
随分後になって、大した奴じゃなかったな、と思ったけど、ティーンエイジの女子が渦中にいると余計に周りが見えなくなるものなのだろう。
そんな時に言われた言葉。
悲しみと悔しさと、まだどうにかなるんじゃないか、いや、どうにかしてみせる、と執拗に思うくらい私には納得出来ず、1週間で体重が7キロ落ちるほど崩れてしまうくらいもろかった。
人生は続いていくもの、仕方がない。
そんな意味のその言葉を、あの時の私は、到底受け入れることができなかった。
実は先日、流産した。
ショーやレッスンなど、色々とお休みさせていただいていたのは、妊娠が分かり、切迫流産の危険性から安静を言い渡されたから。
すぐにその報告をしなかったのは、妊娠初期でまだ早すぎたため。
安定期に入るまでは、と思ってた。
戸惑いながらも妊娠の喜びを実感し始めたものの、間もなくして出血がおきた。
体中から血の気が引いた。
それでも赤ちゃんは少しずつ大きくなり、寝たきりで安静にしていたのが功をなしたのか、心拍の確認もとれ安心した。
Made in Africa。
強い子のはず。
そう思って信じてた。
それでも、どんなに安静にしていても、出血が完全に止まることはなく、来る日も来る日も不安で仕方なかった。
トイレに行くのが、怖くて怖くてたまらなかった。
まだ分かるわけのないお腹の赤ちゃんに、それでも毎日話しかけ続けた。
そんな日が続いた。
今まで自分のお腹の中で生きていたはずの赤ちゃんがお空に還ってしまったことは、何だかとても空虚で、信じ難かった。
悲しかった。
一人でいる時、事あるごとに涙が出た。
長い間歩くことも出来なかった私は、術後1週間、外を何時間かほっつき歩いただけで筋肉痛になった。
余計に虚しかった。
今までは避けていた流産という言葉を、調べてみた。
怖くて積極的に読まなかった本の中の流産のセクションもきちんと読んでみた。
流産は、悲しい出来事だけど、身近に起き得ること。
どうしようもないことであること。
ある本には、年賀状には赤ちゃんが生まれた報告はするけど、赤ちゃんがお空に還ってしまった話はしないもの。
話すことがないだけで、周りにも、辛い思いをした人がいるかもしれない。
そんな事も書いてあった。
勝手な解釈だけど、短いながらも赤ちゃんが自分の命をかけて私に何かを伝えに来てくれたのだろうなと思う。
その何かはまだ分かってないけれど、いつかそれが分かる日が来ると思う。
自分なりに理解して、納得して、自分なりに気持ちを整理する。
急がないでいいし、焦らないでいい。
人それぞれなのだから。
そうしたら、何だか今はこう言える。
Life goes on.
辛いことがあった時、その出来事やその時を、悲しいままの状況でも、辛いままの状況でも、その時から一秒でも過ぎたなら、もう既に人生は続いているものだと思う。
すぐには到底書けなかったことも、時間が経って落ち着いて、独り言のように書ける不思議。
実は、妊娠してると知らずに撮った写真がある。
これは、赤ちゃんが私と一緒にいてくれた時を撮った証。
いつかまた赤ちゃんが戻って来てくれることを願って。
各方面の皆さまにはご迷惑をおかけいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。
私を応援してくださっている皆さま、レストランショーにお越し頂いておりますお客さま、サライさん、ボスボラスハサンさん、スタジオエルサラームさん、ノアダンス教室さん、レッスン代行を引き受けて下さったり、ご理解ある対応を下さったKaguraさん、Kanariさん、Kahinaさん、Malihaさん、Nisaaさん、そして生徒の皆さま、
皆さまのご理解そしてご協力なしには私は安心して横になることが出来ませんでした。
ベリーダンスコミュニティーとそれに関係している人々が、人間的で、愛のある方達で本当に救われています。
心から感謝しております。
本当にありがとうございました。
復帰は5月半ばを予定しています。
詳しくはまた改めてお知らせします。
一番近くにいて欲しい連れにはまだ会えていません。
少し、アフリカの熱帯雨林地帯に住む連れのところに行ってこようと思います。
今の私には相当遠く感じるデスティネーションですが、こうでもしないと会えません。
どうりで、私はどんどん逞しくなるはずです。
ご心配おかけしておりますが、だんだん元気になりますので、安心してください。
まだ10代の頃、失恋に傷ついた私に、2つほど年下の友達が言った。
実は、あまり好きになれない言葉だった。
好きで好きで仕方がなかった彼が、私を長いこと裏切っていた上、別れを告げてきた。
随分後になって、大した奴じゃなかったな、と思ったけど、ティーンエイジの女子が渦中にいると余計に周りが見えなくなるものなのだろう。
そんな時に言われた言葉。
悲しみと悔しさと、まだどうにかなるんじゃないか、いや、どうにかしてみせる、と執拗に思うくらい私には納得出来ず、1週間で体重が7キロ落ちるほど崩れてしまうくらいもろかった。
人生は続いていくもの、仕方がない。
そんな意味のその言葉を、あの時の私は、到底受け入れることができなかった。
実は先日、流産した。
ショーやレッスンなど、色々とお休みさせていただいていたのは、妊娠が分かり、切迫流産の危険性から安静を言い渡されたから。
すぐにその報告をしなかったのは、妊娠初期でまだ早すぎたため。
安定期に入るまでは、と思ってた。
戸惑いながらも妊娠の喜びを実感し始めたものの、間もなくして出血がおきた。
体中から血の気が引いた。
それでも赤ちゃんは少しずつ大きくなり、寝たきりで安静にしていたのが功をなしたのか、心拍の確認もとれ安心した。
Made in Africa。
強い子のはず。
そう思って信じてた。
それでも、どんなに安静にしていても、出血が完全に止まることはなく、来る日も来る日も不安で仕方なかった。
トイレに行くのが、怖くて怖くてたまらなかった。
まだ分かるわけのないお腹の赤ちゃんに、それでも毎日話しかけ続けた。
そんな日が続いた。
今まで自分のお腹の中で生きていたはずの赤ちゃんがお空に還ってしまったことは、何だかとても空虚で、信じ難かった。
悲しかった。
一人でいる時、事あるごとに涙が出た。
長い間歩くことも出来なかった私は、術後1週間、外を何時間かほっつき歩いただけで筋肉痛になった。
余計に虚しかった。
今までは避けていた流産という言葉を、調べてみた。
怖くて積極的に読まなかった本の中の流産のセクションもきちんと読んでみた。
流産は、悲しい出来事だけど、身近に起き得ること。
どうしようもないことであること。
ある本には、年賀状には赤ちゃんが生まれた報告はするけど、赤ちゃんがお空に還ってしまった話はしないもの。
話すことがないだけで、周りにも、辛い思いをした人がいるかもしれない。
そんな事も書いてあった。
勝手な解釈だけど、短いながらも赤ちゃんが自分の命をかけて私に何かを伝えに来てくれたのだろうなと思う。
その何かはまだ分かってないけれど、いつかそれが分かる日が来ると思う。
自分なりに理解して、納得して、自分なりに気持ちを整理する。
急がないでいいし、焦らないでいい。
人それぞれなのだから。
そうしたら、何だか今はこう言える。
Life goes on.
辛いことがあった時、その出来事やその時を、悲しいままの状況でも、辛いままの状況でも、その時から一秒でも過ぎたなら、もう既に人生は続いているものだと思う。
すぐには到底書けなかったことも、時間が経って落ち着いて、独り言のように書ける不思議。
実は、妊娠してると知らずに撮った写真がある。
これは、赤ちゃんが私と一緒にいてくれた時を撮った証。
いつかまた赤ちゃんが戻って来てくれることを願って。
各方面の皆さまにはご迷惑をおかけいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。
私を応援してくださっている皆さま、レストランショーにお越し頂いておりますお客さま、サライさん、ボスボラスハサンさん、スタジオエルサラームさん、ノアダンス教室さん、レッスン代行を引き受けて下さったり、ご理解ある対応を下さったKaguraさん、Kanariさん、Kahinaさん、Malihaさん、Nisaaさん、そして生徒の皆さま、
皆さまのご理解そしてご協力なしには私は安心して横になることが出来ませんでした。
ベリーダンスコミュニティーとそれに関係している人々が、人間的で、愛のある方達で本当に救われています。
心から感謝しております。
本当にありがとうございました。
復帰は5月半ばを予定しています。
詳しくはまた改めてお知らせします。
一番近くにいて欲しい連れにはまだ会えていません。
少し、アフリカの熱帯雨林地帯に住む連れのところに行ってこようと思います。
今の私には相当遠く感じるデスティネーションですが、こうでもしないと会えません。
どうりで、私はどんどん逞しくなるはずです。
ご心配おかけしておりますが、だんだん元気になりますので、安心してください。