太った中年

日本男児たるもの

凡庸な作品

2008-09-30 | weblog

これは天麩羅籠。友達のお店で簡単に撮った。なかなかのデキだと自惚れてはイケナイ。凡庸な作品であることは歪めない。似たような写真は山のようにあるだろう。そう言えば、現代美術のアーティスト、故ナム・ジュン・パイクがビデオでアート作品を作り始めたころ、ある美術誌のインタビューで「これだけ情報が発達すれば今までの芸術作品は世界のどこかで誰かが同じことを考え、制作している」と発言していた。30年以上も昔の話だ。当時のパイクによれば技術の進化(ビデオ)自体が芸術となる。これは現代芸術が始まったイタリア未来派のメッセージでもあり、技術の進化によって作品(商品でもいい)が決定されるならデジタル技術の写真は、それそのものだろう。そして、現在、インターネットが発展して新しい情報が瞬時に世界を網羅していることを思えば、世界のどこかで誰かが同じことをしている。そう考えたほうがいい。どうしたって凡庸なのだ。オリジナリティーなんてことは大して重要でなく、デジタル技術の進化/差異に依拠して、ひたすら個人的な視覚の快楽を追及して飽きたらヤメればよいと考えている。